第11話 すべて吐き出したなら
公平であるはずの役人による忖度満載の説教も終わり、本題の相談が始まった。
イノウエとフィールシアが並んで掛け、机を挟んだフィールシアの斜向かいにイェフが座っている状況だ。
面談室に集った三人は、どさくさに紛れて流れていた挨拶と紹介を再開する。
「こちら、イェフ・タラントさん。大災害で国諸々の所属先をなくした共生種の方です。種族特性の影響で余命一年を切っており、早々に結婚、ないしは所属を決めるべき状況です」
身も蓋もない説明に、イェフの顔が歪む。
言いたいことは沢山あるが、これもまた事実でしかないため反論できない。
喉に重い塊を突っ込まれてしまったような心地がして、イェフは目を伏せて口を引き結んだ。
「そして、こちらがフィールシア・クレド・クレイオ・インカルシさん。アルモニ建国前からこの地に住まう大地主であり、地域の相談役を務めておられます」
「務めてるってほどじゃないよ。若い子達を放っておけないだけで……」
フィールシアがもごもごと呟く。
「相談が得意なわけでもないし、ただ歳を取ってる分おせっかいなだけだからね」
眉間の奥に鈍痛を覚え、イェフは思わず目を閉じる。
彼女の言い訳がましい言葉になんとなく納得してしまったのだ。
先日も今日も感じたが、フィールシアは人との距離がやたらと近い。
時代遅れのお茶目さや小悪魔じみた仕草とは裏腹に、彼女の言葉と表情は慈しみに溢れ、意外なまでに嫌味がないのだ。
イェフはこの手の人間に覚えがあった。
孤児院時代、呵呵大笑しながら何かと物資を提供してくれていた元町長のご隠居爺。
学生時代、四角四面な対応をするわりに生徒一人一人の特長を掴んで能力を伸ばしてくれた老教師。
従軍先の食堂で、笑顔と美味しい食事を提供しながら、軍人達の健康状態を具に観察して口を挟んでいた調理師のおばさん。
毎朝道ですれ違うだけなのに、挨拶をしてくれていた隣の老夫婦。
フィールシアは彼らとよく似ている。
時に土足で踏み込んでくるほど強引に、時に遠くから見守り続け、ふと差し伸べられた手。
彼らの温度は熱くもなく冷たくもなく、それでもただそばにあったのに。
知らず知らず顔を顰めたイェフの眉間に、柔く触れる指があった。
眉間に寄った皺を勝手に押し伸ばされてしまい、ゆっくりと目を開ける。
「こら、我慢しないの」
フィールシアと視線が合い、彼女の微笑みを見た瞬間、イェフは机に突っ伏した。
「おばあちゃん! おばあちゃんだあ!」
「確かに、あなた達から見たらお婆ちゃんだね」
「おかしくない!? おれ、おばあちゃんと過ごしたことなんてないのに、今、ものすごい孫みを感じてる!」
イェフは猛烈な羞恥と意味不明な安堵に悶える。
簡素な作りのパイプ椅子と机が軋みをあげており、対人的にも物理的にも迷惑をかけている気がしてならない。
他方面への申し訳なさで吐きそうだ。
まじまじと覗き込んできたイノウエが興味深そうに呟く。
「限界を超えると、子どもを通り越して孫までいくんですね、バブみって。ん? 逆か」
また聞き慣れないアルモニ語が飛び出しているが、悶絶中のイェフはそれどころではなかった。
机に伏せたまま顔を拭い、不覚にも涙の浮いた目を誤魔化す。
それでも、揺らされてしまった心は誤魔化せないのだ。
「なんすか。じっと見ないでくださいよ」
せめてもの抵抗とばかりに、イェフはガンを飛ばし、未知のおばあちゃん生命体に威嚇する。
黙っていると美少女面なので、わけのわからない感情が湧いてくる。長く耐えられる気がしない。
もはや道端の仔猫のような有り様のイェフを見返し、おばあちゃんが小首を傾げた。
「うーん、あんまり話してると疲れちゃうかな」
「かもです。おれ、相談とか苦手っていうか、ほとんどしたことないし。事情説明だって下手だ。きっとあんたをイラつかせると思う」
「そんなことないよ」
「何で分かるんですか。おれら、碌に話したことないでしょ」
「うん?」
フィールシアの語尾が跳ね上がる。
何が引っ掛かっているのか、彼女は隣のイノウエに尋ねた。
「ハルカちゃんが私に連絡をくれたのって、うちのハンコを見たからだよね?」
問いかけに頷いたイノウエが、絶対零度の表情でイェフを見る。
「ええ。ですが、タラントさんは殆ど記憶がないと話していましたし、今も何も分かってないと思いますよ」
「あらら」
目を丸くして頬に手を当てるフィールシア。
その仕草と声に記憶が刺激されるのは何故なのだろうか。
銀髪。
包容力に満ち溢れた言動。
のんびりとした声音。
そして、なんとなく気になる胸あたり。
特に胸の大きい女性が好きというわけでもないのに、何故だか視線がいってしまう。
イェフは自然な動作を装って目を逸らした。
相手のセクハラを指摘した手前、自分がセクハラをかますわけにはいかないのだ。
バレていない、はず。
そう思ったのも束の間、向かいのイノウエがぼそりと呟く。
「さっきから無遠慮にチラチラと……」
「ひえ!? ち、ちちち違いますよ? やだなあ、もう。人聞きの悪い」
眼鏡をギラつかせる過激派の監視に耐えきれず、イェフは全力で話を逸らしにかかった。
「そう、事情説明ですよ! イノウエさんが一通り話してくれたけど、おれからも伝えた方がいいですよね? ねっ?」
「あー……っと、うん。うーん、えっとね」
揉み手で話すイェフだったが、肝心のフィールシアは困り顔になっていた。
場の空気が滞り、イノウエが特大の溜め息を落とす。
「クレイオさん。この人、本当に何一つ覚えてないんですよ」
「そうみたいだね」
「ええ。秒で酔い潰れてセクハラかました上に、クダを巻きながら五時間かけて身の上を語り尽くし、最後は物理的にゲロまで吐いて、クレイオさんにおんぶに抱っこで介抱されたこと、ぜーんぶ忘れてるんです」
なんだろう。
何か。
何か、思い出しそうな、気が。
イェフの頭がずきりと痛む。
「────えっ」
思い出せない。
思い出せはしないけれど。
福祉課のチラシと闇花屋のハンコ。
着替えさせられた痕跡、見知らぬ家での目覚め。
綺麗な銀髪、綺麗な声。
慣れぬ町、緊張の立ち飲み屋、慣れぬ酒。
まさか。
思考が追いついた瞬間、ふと意識が遠ざかるような感覚に襲われる。
身に覚えのない醜態の数々にあてられ、イェフはなす術もなく椅子から転がり落ちた。
「タラントさん、大丈夫ですか!?」
イノウエの声が聞こえる。
焦燥に上擦るその声は、まるで水の中で叫んでいるように遠い。
イェフは今、床に仰向けになって倒れているようなのだが、何故だか身体が動かなかった。
「目開けたまま気絶してる……」
「いや、意識はあると思うよ。だけど、頭を打っちゃったかもしれない。心配だな」
イノウエとフィールシアに覗き込まれ、申し訳なさと共に強烈な不安が襲ってくる。
そうこうしている間に、イノウエが立ち上がった。
「私、医務室の者を呼んできます。あと、レスキューも」
「うん。ハルカちゃん、お願いね」
イノウエが駆け足で部屋を出て行ってしまい、イェフはますます情けない気持ちになった。
「イェフくん、聞こえる?」
目の前でフィールシアの手が揺れている。
何か反応せねばと思うのに動けず、声すら出ない。
もどかしい。
それ以上に不安で仕方なかった。
当たり前だ。
これからのイェフにとって、フィールシアは命綱にも等しい存在なのに、相談を始める前からひどい迷惑をかけてしまっていたのだから。
血の気の引く気配が強まり、視界が薄暗く狭まっていく。
ここ数週間、幾度となく体験した感覚だ。
このままではまた気絶してしまう。
しかし、どうすれば。
完全に意識が途絶えそうになる、その間際。
声もなく喘ぐイェフの手を、フィールシアが握る。
「大丈夫だよ」
「…………」
「大丈夫だから」
何が、大丈夫だ。
イェフは何故だか泣きそうになってしまった。
イェフの手より随分と小さな手。
両手で包み込むようにしてイェフの手を握り込み、フィールシアが囁く。
「大丈夫。繋ぎ止めるだけなら得意なの。あなた自身が話してくれたあなたのこと、私がちゃんと覚えてるからね」
視界が滲む。
指先に感じた熱が手を伝わり、温かな何かがじわじわと全身に広がっていくような気がした。
喘ぐばかりだった喉が息を吸いこみ、掠れきった声が漏れる。
「ごめんなさい、クレイオさん。おれ……」
「うん」
「おれ、しにたくない」
情けない。
馬鹿馬鹿しい。
分かっている。
自分の失敗で他人に迷惑をかけて、それすら忘れてのうのうと過ごしていたくせに。
今もまた、自責よりも何よりも、自分が犯した失態に驚いて失神しかけただけだ。
見捨てられる。
もう助けてもらえないかもしれないと、手前勝手な不安に押しつぶされただけ。
今すぐ死ぬわけでもあるまいに、大袈裟に倒れたりなどして。
だけど。
それでも。
自身から溢れた言葉の意味。
それすら碌に理解できないままに、イェフは繰り返した。
「おれ、死にたくないよ」
未だ力の入らないイェフの左手をフィールシアが握り返す。
強く、強く。
「うん、知ってるよ」
涙で歪む視界の中、銀色が揺れていた。
「あの日、あなたが教えてくれたもの」
柔らかな声を聞きながら、イェフは深く息を吐き出し、ゆっくりと呼吸を繰り返す。
何故だろうか。
この声のそばならば、少しだけ。
ほんの少しだけ、息がしやすい。
そんな錯覚が、イェフの意識を繋いでいた。




