第12話 第一歩
イノウエが医務員とレスキューを呼びに行っている間、フィールシアが話してくれた。
イェフと初めて会った日のあらまし。
そして、共生種の先祖返りのこと。
「災禍対策部の人達に誘われて飲んでたら、イェフくんがいてさ。よくない飲み方してるなって思って見てたんだ」
酔っ払いの戯言を延々五時間も聞き続け、胸の上に吐瀉物をぶちまけられながら、彼女は最後まで面倒をみてくれたらしい。
「恥ずかしがらなくても大丈夫。うちに運んで着替えさせてくれたのはイノウエさん──ハルカちゃんのお父さんだよ」
災禍の事件の際、対策部にいたナイスミドルの一人だろう。冗談ではすまないほど多方面に迷惑をかけていたようだ。
当分の間は酒を封印する。
改めて固く心に決めたイェフである。
「迷惑をかけてすみません。それなのに、おれ、セクハラとか泥棒とか罵っちゃって……」
話を聞いている間に、少しずつではあるが身体に力が戻ってきた。
体勢が体勢であるため誠意も何もないものの、それでも伝えておくべきだと思い、イェフは謝る。
「本当にごめんなさい」
「ううん。声をかけたのは私の方だもの。迷惑だなんて思ってない。それに、セクハラも指輪泥棒も本当のことだしね」
フィールシアが眉根を下げた。
「ごめんね。あの時は急いでたんだ」
「分かってます。アーティファクトの発動を止めたかったんですよね?」
「それもあるけど……あなたのエネルギーがすごい勢いで減ってるから、つい」
フィールシア曰く、共生種は他者との感応性が発達した種族らしい。
集団の意図を掴んで適応し、共生によって命を繋ぐ。
裏を返せば、他者の感情に引っ張られやすいというわけだ。
加えて、イェフは先祖返り。
感応性が異常発達しており、拾う情報量も桁違い。さらにいえば、他者との境界線が脆く影響を受けやすい。
──というのが、フィールシアの見立てだった。
つまり、災禍の事件の際。
イェフはうっかり死にかけていたのである。
飛んで火にいるなんとやらだ。
羞恥で赤くなっては恐怖で青くなる顔を隠すこともできず、イェフは目を白黒させた。
申し訳なさそうに眉尻を下げたまま、フィールシアが呟く。
「あの場でゆっくり仲良くなるのは難しくて。強引にでも、縁と繋がりを意識してもらうしかなかったんだ」
キスという単純接触と、窃盗の被害者と加害者の関係。この二つの薄い繋がりを橋にして、フィールシアはイェフに生命エネルギーを供給してくれたようだ。
「何から何まで……本当に……」
「応急処置だよ。あなたがレオナルドくんとリナリアちゃんにしたことと同じ」
イェフの手を握ったまま、フィールシアは柔らかく囁いた。
「二人を助けてくれてありがとう」
◇
頭を打った可能性があるため、イェフは病院へと搬送されることになった。
レスキュー車が出るまでの間、イノウエが申し訳なさそうに呟く。
「配慮が足らず、申し訳ありません」
「こっちこそ。よく考えたら、イノウエさんはここまでしてくれる理由ないのに、怒らせてばかりですみません」
目を伏せたイノウエ女史はゆっくりと首を振った。
「いいえ。いきなり知らない場所に放り出される辛さなら、私も充分分かっていたはずなんです」
女史にも色々あったのだろうか。
イェフに彼女の事情は分からない。しかし、その表情をみれば、イノウエが相当悔いていることだけは理解できる。
「家族がいた私と違って、タラントさんはきっともっと大変だと……気ばかり焦ってしまって、タラントさんの負担や心情を考えられなかった」
「いやいや、なんかアレでしょ? イノウエさんもクレイオさんに助けられたクチなんですよね?」
イェフはやっと動くようになった腕を振り回し、取りなしに入った。
イノウエが辺りを見回し、小声で返してくる。
「……わかります?」
「そりゃもう」
溢れんばかりの敬愛がだだ漏れである。
過去、イノウエはフィールシアに助けられた。
だからこそ、切羽詰まっているイェフのために渡りをつけ、早々に解決できるよう動いてくれたということなのだろう。
「イェフくん、ハルカちゃん。レスキュー車、もう出るって」
イェフに付き添ってくれることになったフィールシアが話しかけてくる。相変わらず、すっと染み込んでくるような穏やかな声だ。
深く頭を下げるイノウエに見送られ、イェフを乗せたレスキュー車はアルモニ国立病院へと向かった。
◇
診察はスムーズに進んだ。
頭部を含め、器質的な損傷は見られないということで一安心。
たまたま院内にいた主治医により、共生種関係の確認も為され、そちらも直ちに問題がある状態ではないとのことだった。
「なるほどねえ、先祖返りか。次の定期検診までには追加資料を集めておくよ」
主治医は画面上のカルテばかり眺め、一度もイェフを見ない。まるで興味がない様子である。
しかし、ここ数日で起きた出来事と疑問を伝えれば、彼は淡々と答えてくれた。
「災禍と君ら共生種は似てるところがあるから。世界との繋がりが希薄になると駄目なんだよね」
「はあ」
「君らの場合はそこを自覚しちゃうと、一気に生命力を消費するから気を付けて。災禍の時も今日も、応急処置は適切だけど、多用は効かないから」
主治医が眠たげな目を僅かに動かす。
視線の向かう先はイェフの手元。未だにフィールシアが握ってくれている左手だ。
「その場その場の縁でも多少は効果がある。だけど、本当に必要なのは長期的な視野だよ。長い目で見たお付き合い……所属意識や実感が肝要だからね」
カルテを閉じた主治医がひらひらと手を振る。
「今日はここまで。お大事にね」
本当に視線が合わない。
しかし、思い返せば、この主治医は徹底的に事務的というわけではなく、イェフの受容の段階に合わせて情報を絞ってくれている節もある。
イェフの社不的側面が古い共生種の性質からくるものだったと仮定しても、世に溢れる厚意を受け取れないのはイェフ個人の問題なのではないだろうか。
頭を下げて診察室を出たイェフは、気まずさのあまり、リノリウムの床をガン見していた。
緩く繋がれたままの左手が視界に入ってしまい、申し訳なさとそわそわした気持ちが同時に高まっていく。
「あの、えっと、クレイオさん? それともインカルシさん? どうお呼びすれば?」
「うーん、そうだね。クレドとクレイオが家名、インカルシは地名なんだ。名前も長いし、フィアでいいよ」
「じゃあ、フィアさん、で」
「うん、よろしくね」
フィアはさらりと微笑んだ。
がたいの割に歩みの遅いイェフの手を引いて、彼女は病院の廊下を進んでいく。
「少しだけ用事を済ませてくる。イェフくんはここで待ってて」
総合待合室まで戻って会計を待つ間、フィアは席を外すようだ。
何気なく彼女の向かった先を見れば、病棟の受付だった。知り合いの多そうな彼女のことだから、見舞いや何やがあるのだろう。
指の間に残る熱を確かめるように、イェフは自身の左手を摩る。
「────……」
平静を保てたのは僅か数秒。
イェフは恥ずかしさの余り、無言で悶絶した。
はずかしい。
他人に迷惑をかけて、慮られて。記憶はないがクダまいてゲロ吐いて、キスで延命処置されて、おてて繋いでよしよしされた。
挙げ句の果てに、子どものように泣いて縋るという大醜態までかましてしまっている。
それなのに。
吐くほど疲労感が高まっているのに、だが、その繋がり全てが嫌とは言えない。
嫌どころか、むしろ──……
そんな自分が心底恥ずかしいのだ。
羞恥でも人は死ぬらしい。
しかし、この面映さを乗り越えて人との縁を構築しなければ、どのみちイェフは死ぬわけで。
「うぐおおお」
SSS級の資材証明手帳により負担が激減した医療費を払う。断続的に呻いているものだから、会計係の御婦人に心配された。
「あなた、大丈夫? もう一度診察に戻る?」
「いえ、大丈夫です。心配かけてごめんなさい」
イェフは気合いで口角を上げる。
会計係のおばさまは一瞬真顔になり、ゆっくりと視線を逸らした。
「うん。お大事にね」
明後日の方向をみるおばさまの口元は、決壊寸前といった具合に震えている。
相当情けない顔をしていたのだろう。
イェフは俯き、高速でその場を離れた。
受付の死角をなくすためであろう、待合に設置された姿見の前に立つ。
鏡の中に、一人の男が立っていた。
黄みがかった肌に、凡庸で幸の薄そうな顔立ち。青混じりの黒髪が目元にかかっている。
瞳は灰色。瞼が重いため、居眠り常習犯などと昔はよく誤解されたものだ。
今は泣き面のせいでさらに輪をかけて瞼が腫れ上がり、連日の寝不足も手伝って恐ろしく不細工である。
軍で鍛えた分、身体付きだけは立派だ。
ここ数週間で何度も意識を喪失しているが、運んでくれた人には感謝しかない。
相当重かっただろうに。
死にたくなくて泣いてしまった男。
イェフ・タラント、二十四歳。
他者と向き合うにしても、まず自分の歪みを見つめ直さなければならないことを、イェフはやっと飲み込むことができた。
「イェフくん、ちょっといいかな」
いつの間に戻ってきていたのか、フィアが背後から顔を出す。
鏡越しに見つめられ、イェフは慌てて振り返った。
静かな湖面のように輝くフィアの瞳。
彼女の穏やかな光に見上げられると、自然と身体の力が抜け、真っ直ぐ立てる気がする。
話しやすいようにと少し屈めば、彼女はゆるりと問いかけてきた。
「イェフくん。良かったらなんだけど、お見舞いにいかない?」
「お見舞い、ですか?」
「うん。レオナルドくんとリナリアちゃんのお見舞い」
そう言って、フィアは右手を差し出した。
「もう少し手を繋いでいた方がいいと思うんだ。でも、私、あの子たちにも会いに行きたくてさ」
「……ええと、つまり?」
「一緒に来てくれると嬉しいなって」
嫌なら断れるようにとの配慮だろう、フィアはこれまでとは違い、手を差し出したまま答えを待っている。
イェフは自身の左手を見つめ、緊張に喉を引き攣らせた。
これだけのことで。
これだけのことが、どれほど。
一つ、大きく呼吸をし。
そして、差し出された手を掴む。
自分から握ったその手は、やはり温かかった。




