第7話 絶望に底はなし
人の波を掻き分けて進む。
迷惑そうに振り払われ、奇異な目で見られても、イェフは止まらなかった。
「事故みたい。学生さん二人が撥ねられて」
「可哀想に。怪我は? レスキューはまだか」
「でも、災禍が──……」
無責任な同情がざわめきとなり、集団に波及していく。だが、誰一人としてマトモな対応を取ろうとはしていない。
目の前を塞ぐ紳士の肩を押し退け、イェフは顔を歪めた。
「退けよ!」
声を荒げたイェフに驚き、人だかりが割れる。
人々は奇妙な虫を見るような目をしていた。
「君、そんなに慌ててどうしたんだね。事故に遭った子達の知り合いかい?」
「違う! あんた達こそ何をそんな悠長に見物してやがるんだ!?」
イェフは唾を飛ばして喚き、腕を振り回した。
災禍から少しでも距離を取らせなければならない。そう思ったのだ。
しかし、人々は互いを見合わせ、不思議そうに佇んでいる。
「まあまあ、落ち着いて。専門家が来るまで待とう。あれはまだ、開き切っていないから」
「何を言ってんだよ! まだ災禍になりきってないからこそ、早く殺してやらなきゃならないんだろうが!」
イェフの叫びが轟き、沈黙が落ちた。
あれほど騒がしくざわめいていた人々が水を打ったように静まる。
一瞬の間を置き、彼らは皆、怯えたように囁き始めた。
「殺す……?」
「なんて酷いことを」
「興奮してるんだろう」
「可哀想に、とめてあげないと」
近くにいた男性数名が手を伸ばしてくる。それが自身を拘束するための行動だと気付き、イェフは腕を振り払った。
「ともかく退け!」
「災禍対策班を待とう。君が手を汚すことはないだろう? 彼らがきっと排除してくれるよ」
排除という言葉を聞き、背筋が凍る。
災禍は確かに災害だ。
だが、災禍は。
災禍は、元人間なのだ。
絶望の底に落ちた人間が、身体を捨てて思念体となり、破壊をばら撒く災いと化す
それが災禍である。
災禍は負の感情をエネルギーにして成長する。
元となった人間の心を吸い出し尽くした後、周囲へも牙を向き、何もかもを飲み込む嵐となってしまう。
だから、殺してやらねばならない。
本物の厄災へ成り果てる前に、誰かが止めてやらねばならないのだ。
進む先々で引き止められ、イェフは喚く。
「排除じゃない! 止めて、救うんだよ!」
「……救う? どうして?」
近くにいた、おそらく学生であろう少女が呟く。
制服をきっちりと着込んだ、品行方正を絵に描いたような優しげな娘だ。
イェフと目が合った彼女は続けた。
「災禍になった人間なんて、救いようがないじゃない」
救いようがないから救わない。
人殺しなどというコストをかけてまで、災禍となった者を助ける意味がわからない。
ありありとそう語る顔で彼女は首を傾げる。
「そんなことをしたら、お兄さんが危ないでしょう? 周りの人が悲しむわ」
イェフは瞠目し、周囲を見回した。
人は皆、一様に気遣わしげな表情を浮かべ、しかし同時に、微かにではあるが奇妙な忌避感を漂わせていた。
「嘘だろ……」
忌避感。
いや、違う。
これは、侮蔑だ。
絶望に沈み、災禍になった人間への失望。人として真っ当に生きることを諦め、バケモノに成り果てた者への嫌悪。
アルモニには、名実ともにありとあらゆる支援が溢れている。
救いの手が有り余るこの国において、堅固な網の目となったその手指の全てすり抜け、絶望に堕ちる者の心など理解されるわけもない。
イェフは身を以て知っていた。
もはや救いようのない者を見るとき、人の目は恐ろしく冷淡になる。
「くそ!」
イェフは奥歯を噛み締め、周囲の声を無視して災禍のもとへと走った。
「くそ、くそくそくそ! なんなんだよ!」
言葉にならない胸の痛みを、声を張り上げることで吐き出す。それでも顔が歪むことは止められず、喉が締め付けられるような心地がした。
アルモニは救いに溢れているのではないのか。
世界中探しても見つからない救いがここにあるのならば、救われない者に憐憫の一つくらい、分け与えてもいいだろうに。
ふざけている。
誰も望んで不幸になったりしない。
そうだ。
誰が好き好んで絶望などするものか。
イェフは理解していた。
祖国が滅亡し、倒れた時。共生種だと告げられたあの時。延命のためだとアルモニへの切符を握らされたあの時も。
いや、きっともっと昔から。
人々は恐怖していた。
災禍の種となり得る、不幸な存在に。
だから考えないようにして。
考えたとしても落ち込みを気取られないように自分の心さえ誤魔化して。
気を張って、気を張り続けて。
絶望に掴まれないように。
そう見えないように、生きてきたのだ。
イェフは集団の先頭を抜け、空白地帯に躍り出る。
そして、目にしてしまった。
ひしゃげたガードレールと、歩道に乗り上げて止まっている車。
地面に残るスリップ痕。割れた硝子。
タイヤのゴムが焼ける匂い。
人の血の鉄臭さ。
やはり、対人事故だ。
鼻が曲がりそうな臭気に耐え、現場を確認する。
車が乗り上げた歩道。
そこに子どもが二人、倒れていた。
同じ制服を着て、似た顔立ちをした男女二人の学生だ。
「おい、大丈夫か?」
状況をみるに、車に轢かれたのは少年だけだ。
呼びかけには応じないが、それでもまだ息はある。ただ、軽い怪我とは言えなかった。
腕と足は変な方向に曲がっているし、出血もひどい。頭部や腹部に目立った外傷はないことだけが救いだ。
本来なら素人が触れるべきではないだろう。
しかし、今は。
イェフは倒れているもう一人へと視線を向けた。
「まずいな」
血の気が下がる不快感を堪えて唇を噛む。
左手の中指に嵌めた指輪をなぞり、イェフは顔を上げた。
そこには少女が倒れていた。
少年と違い、彼女は怪我一つしていない。
しかし、その顔は屍蝋のように真っ白だった。
原因は彼女の上。
所在なく佇む人型の霧である。
この霧こそが災禍だ。
否、正確に言えば、災禍の蕾といったところだろうか。
霧が黒く染まりきり、身体と繋がる根が切れた時、災禍は目覚める。
最初に見た時、薄い灰色をしていた霧は、今はもう根本から濃さを増して暗く色づき始めていた。
「時間がない」
霧が脈動するように揺れ、空気が澱む。
イェフは青褪め、辺りを見回した。
地面に転がっていた二つの学生鞄を掴み、中を漁って二人の身元を確認する。
少年がレオナルド。
少女がリナリア。
二人とも家名はない。
そして、学生手帳に貼られた彼らの写真は瓜二つと言えるほどに似ていた。
「双子か?」
イェフは呟く。
双子の兄あるいは弟が事故にあい、強い精神的ショックを受けた少女から災禍が生まれたといったところか。
細く息を吐き、呼吸を整える。
まず第一にすべきこと。
それは災禍の隔離だ。
万が一に備え、周辺の人々を遠ざけなければならない。
「離れて! レスキューが通る道は確保してくれ!」
イェフが声を張り上げれば、緩慢にではあるが、人々が離れていく。
遠ざかる人なみを横目に、イェフは思案した。
少女はもう駄目だが、少年の命はまだ助かる。
彼自身の安全確保はもちろん、災禍の成長速度を抑えるためにも、災禍から引き離さなければならない。
離れさえすれば他の誰かが応急処置することもできるはずだ。
イェフは抜け殻となった少女、正確にはその上で揺れる災禍を確認する。
霧の頭部に空いた二つの穴は、ただの虚でしかないというのに、倒れた少年の方を見つめているように見えた。
下手に怪我人を動かすより、災禍の少女を移動させる方が安全か。
そう思ったイェフが少女へと近付いた、その時だった。
イェフのいる道の反対側で、人だかりがもぞもぞと動く。誰かがこちらに向かってきているのだ。
人々のいう『専門家』が到着したのかと思ったが予想は外れた。
「ごめんなさい、通して! 通してください!」
清涼な水に似た声が響く。
やがて、人だかりから吐き出されるように飛び出してきたのは、虫も殺せなさそうな少女だった。
「良かった。まだ、開いてない」
少女の年の頃は十代後半。なんの防具もつけていなければ、治療具も持っていない。それどころか何故か裸足で、花束を抱えている。
明らかに場違いな彼女は、ぼろぼろになった花束を抱えたまま、一目散にイェフ達のもとへ駆けてくる。
早い。
イェフが呆気に取られているうちに、彼女は道を渡り切ってこちらへ到達してしまった。
手にしていた花束を放り出したかと思えば、乱れた銀髪を払いのけて彼女は問う。
「事故ですか? いつごろ? この子たちの名前は? あなたとの関係を教えて」
矢継ぎ早に投げかけられる質問に驚き、イェフは一瞬素に戻ってしまった。
「えっと、よくは知らないんだ。たまたま通りがかっただけで」
真摯な声に圧倒され、思わず謝ってしまう。
険しかった少女の顔が呆気にとられたように緩んだ。
「知り合いじゃないの?」
「そ、そうだ。ただ、レスキューが来るまでに、女の子を動かそうと」
思って、と口の中でもごもご告げるイェフを上から下まで眺め、銀髪の少女は目を細める。
「あなた……そっか。知り合いなわけないよね」
「そりゃあまあ、おっさんには学生の知り合いなんかいないけど。そっちはなんだよ、レスキューか? 医者ってことはないよな」
無謀を責められる前にと言葉を重ねれば、彼女は首を振って否定。イェフと同じくただの通行人のようだった。
ただ、その傷だらけの素足を見るに、通りがかりというよりは、ここを目指して走ってきたように思える。
二人の間に落ちた沈黙を切り裂くようにサイレンが鳴った。レスキューだ。
少年の方は何とかなりそうだと分かり、イェフは思わず胸を撫で下ろす。
だが、災禍が近くにいたのではレスキューも近付けまい。そう思い、イェフは銀髪の少女へと協力を呼びかけた。
「とりあえず、女の子を移動させよう。悪いけど手伝ってくれ」
「わかった。レスキューとは反対側に行こう」
頷くが否や、彼女は素早く立ち上がり、周囲の人々を誘導していく。一応のスペースは確保できたが、それでも距離が充分ではない。
「こちらへ!」
もう少し離れた方がいいのではないかと危惧するも、あまり時間はなかった。
イェフは災禍の少女を抱きかかえ、彼女の元へ走る。




