第3話 メシウマ国家のめしはうまい
無職の難民イェフ・タラントは、とぼとぼと国立病院へ向かった。
前医からの紹介状を提出し、待ち時間を含めて八時間かけて出た、その結果は。
「経過観察です。定期通院してね」
「はあ」
「あとこれ、役所の福祉課と資材管理課のチラシ。早めに相談してね。死ぬから」
ひどい。
ひどすぎる。
親切に対応してくれているのはわかる。
出来うることを最速で教えてくれているのも知っている。
だが、ドライだ。
人の心というものがないではないか。
心持つ者との交流が苦手だからこそ余命を縮めているくせに、イェフは筋違いな恨みを覚えて歯噛みした。
呆然としたまま病院を出る。
ふと立ち止まれば、外は夕闇に包まれていた。
家路を急ぐ温和な笑顔の人々。
幸せそうな帰路のメロディ。
あたたかな料理の匂い。
なんだか急に泣きたくなり、イェフは鼻を啜った。
ちなみに、先日まで滞在していた旅行先や彼の祖国は年中暖かい気候であり、対するアルモニはどちらかといえば涼しい国である。
その気温差、約十度。
イェフが着ているのは半袖だ。
今は亡き故郷より、リゾート気分で持ってきた服である。
普通に寒い。
イェフは身震いし、やけに整った街路を足早に進む。
スーツケースを転がし、安宿にチェックイン。
予約は前病院の相談員と役所がとってくれた。
軋むベッドの上に空しく転がり、イェフは泣き言を言う。
「なんだよお……どうすりゃいいんだ……」
どうすればいいかは明確だ。
明日役所に行って相談。
それで助かるのかは定かでないが。
苦悶の表情を浮かべ寝台を転がりまわっていたイェフは、突如動きを止める。
そして、徐に身体を起こし、唇を歪ませた。
「そうだ。飲んでやろ」
イェフは下戸である。
飲んで嫌なことを忘れるだとか。
パーっと気分を晴らすだとか。
これまで周りの言っていた飲みの意義を、イェフはとんと理解できてなかったし、今の今まで実行したこともなかった。
飲みに誘われるたびに曖昧な笑みで断り、誘われなくなってからは集団に馴染めていないことへの自責に潰れていた。
ただ、それだけだ。
誘ってくれた彼らも、誘うことをやめた彼女達も、みんな、死んでしまっただけ。
だからだろうか。
飲んでみようと思うのは。
イェフはふらりと宿を出る。
なるべく空いている店を探した。
一見さんお断り風であったり、常連客で占められていそうな場所はダメだ。
こわい。
家族向けの店もダメだ。
つかれる。
チェーン展開していそうな店がいい。
ファストでリーズナブル。
最高じゃないか。
しかし、ここでイェフは立ち止まって考えた。
こんなだから、駄目なのではないか。
こんな自分では生きていけない。
少しくらい、勇気を出さねば。
勇気を出さねば、死ぬ。
「うううう」
人生で一度も選んだことのない選択。
騒がしく忙しないが、ぎり即座に抜け出せそうな店。扉があってはすぐに出られないため、行き来が可能な屋台がいい。
そう、立ち飲み屋である。
イェフはカウンター席の端に滑り込んだ。
よく分からない手書きのメニューを睨み、よく分からない名前の安酒を頼み、材料からしてよく分からない一品らしき何かを注文する。
酒が届いたらば、ノータイムでかっくらう。
まずい。
いや、味ではなく。
味がわからないほど緊張しているのがまずい。
酒の力とやらがあるのならば、その魔の手を借りてでも人生を変える初挑戦を完遂せねばならないのだ。
イェフはすぐにでも死にそうな顔で酒のお代わりを頼み、出てきた料理を噛みもせずに喉へと流し込んだ。
「すっっっ!?」
強烈に酸っぱい。
あと潮臭い。
イェフは器に残った料理を見つめる。
糸状のブニブニした何かが強烈な酸味の液体に浸かっていた。
異文化すぎて素材が分からないが、酸っぱいくせにやたらとうまい。
自分が酸味好きだなどとは初めて知った。
「は、はは、うははは!」
急に笑い出したイェフに、隣の席の誰かやら店主やらが話しかけてくる。
言葉はわかるのに意味が理解できず、それより何より放っておいてほしかった。
いつもならありえない強気な態度で彼らを無視し、イェフは次の杯を空ける。
ところで、イェフは下戸である。
普段も飲まない。
ゆえに、ペース配分など知る由もなかった。
数分後、完全に出来上がったイェフは思う。
今ならなんかできそう。
話したりとか。
しかし、実際に自分から話しかけるまではいかず、イェフは物欲しげに辺りを見回した。
背後の外付けテーブルで一杯引っ掛けている人物と目が合う。
「こんばんは」
「あい、こんばんはれす」
へべれけで舌も回らないなりに挨拶はできた。
それほど緊張もない。緊張を出力するはずのオツムが回っていないおかげである。
ただ、頭が回っていないならば、話も何もまともにできないわけで。
「それれね、たいへんなんれすよ、おれ。しんじゃうんれすって、んへへへへ」
「そっか、そりゃ困ったね」
いつの間にやら、イェフはどこぞの植え込みに座り込み、くだを巻いていた。
相手は隣に腰掛けて、特に困ったようでもなく相槌を打ってくれている。
アルモニやさしい。
アルモニいいとこ。
酒精で溶けた思考が幸せな幻想を打ち出す。
ぼうっとしたまま、イェフは改めて相手を見た。
あたりが暗くて顔はよく見えない。
だが、見たこともない綺麗な銀の髪と、着込んでいるくせにやたらと主張の激しい胸は、しっかりと目に入っていた。
というか、胸ばかり見ていた。
「こういう時……」
「うん?」
「こういう時、言うんれしょ? 『おっぱい、もむ?』って」
初対面の異性に弩級のセクハラ発言。
普段からは考えられないワードセンスであったが、悲しいかな、現在のイェフはまったく素面ではないのである。
相手はしばし黙り、小さく笑った。
「大丈夫? おっぱい、もむ?」
「もみましぇん」
「そうだよね。あなた、人肌とか求めてそうじゃないし」
涼やかな声が言葉を紡ぐ。
不思議な声だ。
もっと聞きたい。
知りたい。
近付きたい。
そう思い、イェフは首を傾けた。
それがよくなかった。
「おろろろろろろ」
イェフはノータイムで吐いた。
目の前の、やたらと主張の激しい胸の上に、思い切りぶちまけた。
「あらら」
「すみま、ろろろろろろ」
「よしよし、全部吐いちゃおっか」
相手はまったく慌てた様子もなく、イェフの背中を摩ってくれる。
女神か。
もしかして、アルモニには女神が棲まうのか。
アルモニやばい。
訳の分からない所感を抱いたところで、イェフの意識は途絶えた。
◇
翌朝のことである。
「知らない天井だ……」
ものすごい頭痛と吐き気に襲われながら、イェフは目覚めた。
前夜の記憶がほとんどない。
知らない店でやたらと酸っぱい何かを口にしたことだけは覚えているが、それだけだ。
自身がどこにいるのかも分からないまま、呆然と辺りを見回す。
ベッドサイドには水差しとコップ、そしてメモに鍵が置いてあった。
「うぷ! なに? 『先に出ます。鍵はドアポストに』……?」
吐き気を堪えつつ、自身の身体を見下ろす。
見慣れない、明らかに新品の服。
しかも、長袖であたたかい。
慌てて下も見た。
着てはいるが、やはり、見たことのない柄と素材の服だ。
部屋の中を見るに、ここの住人はおそらく女性である。
「……え?」
これは、やってしまったのではないだろうか。
衝撃と恐怖のあまり、イェフの吐き気は超スピードで臨界に達した。
必死でトイレを探し当てて駆け込む。
「おろろろろろ!」
胃液で喉が焼けて痛い。
そして今の状況が怖すぎる。
やらかしてしまった粗相を片付け、イェフはベッドの近くへと戻った。
よく見れば、昨日着ていた服は洗濯済みのようで、綺麗に畳まれ近くのソファに置かれていた。ご丁寧に、服を入れる用と思しき袋付きだ。
携帯連絡機や、財布とその中身も無事である。
そして、財布の下には、見覚えのあるチラシが敷かれているではないか。
それは案内チラシだった。
役所の福祉課と、資材管理課の。
イェフは震え上がる。
アルモニ人、こわい。
親切すぎるし、家の危機管理がザルすぎる。
さらには、イェフに必要な相談先を何故だか把握している。
ますますこわい。
アルモニこわい。
昨夜のうちに自ら境遇も胃の中身もゲロっていたわけだが、そんなことなど今のイェフは知る由もなかった。
イェフは混乱しつつも水を飲む。
そして、昨日の服やら何やら一式とチラシを袋に入れて持ち、ドアに鍵をかけてポストにイン。
見知らぬ女性の家を飛び出し、イェフは宿へと帰った。
イェフ・タラント、初めての朝帰りである。
なお、この日、役所には行けなかった。
二日酔いも初めてだったのだ。




