6章完結 魔人襲来⑦黎明に息吹く意志
群青の世界から淡いスミレ色に包まれる中、暴走していたルイを拘束していた光の鎖がぼろぼろと崩れ落ちる。目の前にいたあの神々しい女性はいつの間にか姿を消していた。アラサラは不敵に微笑み、両手の平から糸の束を射出し、それを振り回す。疲労困憊のレオ達が大きく後退し身体をふらつかせた。恍惚の表情を浮かべたアラサラはルイの下へ。しかし彼の姿を見るとその表情が消えていく。
「なんで……。そんなに早くもどれないはずなのに。」
彼女は紫紺の瞳を激しく震わせる。激しく動揺する彼女にルイは目を向ける。怒りも憎しみもない真っ直ぐな瞳を。
「アラサラ。もう君の思い通りにはならないよ。」
気が狂ったように爪を立てたアラサラがルイに襲い掛かる。ルイは懐に潜り、彼女を蹴り飛ばした。アラサラは回転するように宙を舞い、翼を羽ばたかせてルイを睨みつけた。
「この世界を君たちに奪わせない!」
ルイは強い意思が宿ったような伸びのある声をあげる。ルイが刀を構えてゆっくりと呼吸をする。それに呼応するように刀が緑色に発光し、時折橙色の光が混ざる。この場所に心地よい風が吹く。ルイが一瞬だけ微笑み、叫んだ。
「飛躍を刻め。クロノソラ!」
刀が眩く発光し、二つの光が空に放たれる。緑色の光と橙色の光が螺旋状に天高く昇る。その二つの光は空で混ざり合いやがて大きな光に。それがルイの下に一直線に降り注いだ。それは神々しく暖かな光だった。
ルイの手に大鎌が握られているが、チェインの時とは形が異なっていた。複数の細かい部品が意思を持っているかのように空に浮かび連なり、流線の鎌の刃の形を作る。その刃の表面には複雑な幾何学模様が刻まれ、鼓動するかの如く緑色の光と橙色の光がその模様の上を走っている。単なる武器ではなく、ルイの身体の一部であるかのように、そこに存在している。
レオは精悍な目つきでそのルイの姿を見ていた。そして(行け。ルイ。)と心の中で呟いた。
ルイが大鎌を身体の横で構える。そしてアラサラに向かって振り抜いた。空を切り裂く斬撃が飛ぶ。アラサラは空中で回避。しかし何かが彼女の翼を突き刺した。ルイの手の握っていた大鎌から刃が無くなっている。細かい刃のようなものが連続してアラサラの翼を切り刻む。アラサラの身体は地面に落下。その地点から細かい刃のようなものがルイの下に戻り、再び流線形の刃を作りだした。
アラサラはさらに表情を険しくし、「調子に乗るんじゃないわよ!」と声を荒げ、両手から糸の束をルイに向けて発射した。しかし、ルイの姿は一瞬のうちに消えた。ルイはアラサラの背後に。大鎌がアラサラの胴体を真っ二つに切り裂いた。その時、ルイは違和感を持った。彼女が意図的に身体の一部をずらしたのだ。
アラサラは自らの下半身を持って飛び立った。そして糸を使い、切り離された下半身を支えて身体をくっつけた。瞬時に傷は回復したが、彼女の表情に余裕はない。
空中から降りてこないアラサラをじっと見つめるルイ。そしてルイが半身に構えた。その瞬間、肌を突き刺すようなピリピリとした空気が漂う。
ルイの大鎌の刃が形を変え、刃先の鋭い槍の形に。ルイがそれを振りかぶった構えで動きを止めた。槍の先端がアラサラを睨みつける。
「いい加減にしなさい!もういいわ。この國ごとあなた達を吹き飛ばしてあげる。」
とアラサラが声を荒げて両手を空に掲げた。彼女の両手に空気を圧縮したような球体ができ始める。中で凄まじい閃光が走る。
「人間なんて死んで当然よ!私たちの怒りをくらいなさい!」
その時、パリンッというガラスが割れる音が鳴った。アラサラが両手で作っていた球体は霧散。そして彼女は力なく落下した。地面の上で身体を震わせる彼女の腹部には大きな穴が。アラサラが両手を掲げている時、ルイが槍を投擲。それは目に見えないほど凄まじい速さでアラサラを貫いたのだ。
アラサラは必死に身体を起こそうとするが、力が入らない様子。腹部の穴は塞がらず、足の先から形が崩れていく。まるで灰が空を舞うように。
静けさに溶け込んでいたエマが我に返ったかのように、
「勝ったよね?ねぇ!ルイ勝ったよね!」とレオの肩を大きく揺すった。
「あぁ。畜生。また俺の先を行きやがったなあの野郎。」
エマとミアは抱き合って喜び、レオは微かな悔しさそしてそれを打ち消すほどの喜びが表情から滲んでいた。
空が茜色に染まり始める中、ルイは新たな力を解除した。長く細く息を吐き、刀を見つめてグッと力強く握った。そして視線の先にいる少しずつ身体が崩れていくアラサラを見つめていた。
後ろから「ルイ!」と声が聞こえる。振り返ると、体中が傷だらけのエマ、ミアそしてレオがいた。
エマとミアはわざとらしく警戒するようにじーっとルイを見た。ルイは交互に視線を送った後、グッと親指を立て笑顔を向ける。すると彼女たちは跳ねるように喜び、レオには胸を小突かれた。
「お前。また強くなりやがって。でも勝ったと思うな。すぐに追いついてやるからよ。」とレオが拳を突き出す。
「うん。レオだったらすぐに追いつかれちゃう。だから僕はまだまだ強くなるよ。」
ルイは清々しい表情で拳を合わせると、レオは「ぬかせ。」と嬉しそうに言った。荒れた大地に赤みが塗られる中、突如ルイたちは肌を突き刺すような気を感じた。
「アラサラ!なにしてんの!なんで人間なんかにやられてるの!」
急に空から割れるような高い声が聞こえる。ルイが目を向けると凄まじい剣幕をしたイブが空を羽ばたいていた。
「イブ……。ごめんね。核。壊れちゃった。」
と力ない途切れるような声を発した。拳を強く握りしめるイブの下にエンフェリアが鳥型の災獣に乗って近づいてくる。彼女は眉間に小さく皺を寄せてイブに何かを見せた。
「イブ。あなた仕事ちゃんとして。はい。これ。勾玉。」
「……あいつらが本当に邪魔なのよ。」
イブはエンフェリアが吊るすように持っていた勾玉を乱暴に奪い取った。無表情のエンフェリアはくすんだ黄色の瞳を地面に倒れているアラサラに向けた。彼女の身体はすでに膝から下が崩れてなくなっている。
「アラサラ。もう間に合わないね。どうするの。」
「僕が全員ぶっ殺す。こいつらはいつもいつも被害者ずらばっかり。絶対許さない。」
イブは今にも泣きだしそうな険しい表情で両手を空に掲げた。その時、アラサラが「イブ!」と叫ぶ。一瞬の沈黙があった後、彼女は小さく首を横に振った。イブは血がにじむほど唇を噛みしめると、エンフェリアと共に空の彼方へ去っていった。
ルイは彼女たちの姿が消えるまで力強い眼差しを向けた。その時、レオに軽く肩を叩かれ、彼が指す方を見た。上半身だけになったアラサラが這いつくばりながら近づき、ルイたちに切り刻むような鋭い目で、
「人間は絶対に許さない。私が消えても私たちの恨みが消えることはない。生き残ったことを後悔しなさい。」
言葉一つ一つに刺すような怒りが込められている。余裕があり、妖艶さを漂わせていた姿ではなく、ただ純粋な憎しみをぶつけている。その時、ここに駆けつけた一人の男性ハンターが彼女に向かって切りかかった。ルイは地面を強く蹴り、アラサラの前に立ち、その振り下ろした刀を受け止める。
「お前!何してるんだ!そこをどけ!」
そのハンターの顔に憎しみが滲んでいた。彼の気持ちは理解できる。國を壊滅寸前まで追い詰め、人を虐殺したこの魔人に憎しみを抱くのは自然なのかもしれない。それでもここで止めなければいけない気がした。
「もういいじゃないですか。この人はもう死ぬ。これ以上やればあなたの心が荒みます。お願いします。刀を納めてください。」
と刀を受け止めながら、ルイは頭を下げる。そのハンターは顔を歪めながら、舌打ちをして刀を納め、國の方へ走り出した。そしてルイは振り返り、ひどく顔を歪ませ困惑しているアラサラの下に膝をつけて屈んだ。
「なんで私を守るの。意味がわからないんだけど。私はあなた達人間を弄んで、殺し合わせたのよ。私にも同じことしなさいよ!人間なんてそんな生き物でしょ!」
すでに下半身は消え去り、強い言葉をぶつける彼女の下にルイは正座をした。そしてまだ消えていない土を握りこんだ手にそっと自分の手を重ねた。アラサラは混乱し、キッと鋭く睨む。しかしルイは暖かく優しい瞳を彼女に向けていた。
「そういう人間もいるかもしれない。でも僕たちは違う。あなたが自分を人と思うかはわからないけど、僕はあなたが仲間を大切にしているところをこの目で見た。誰かを思う心が持っている。だから最後ぐらい誰かに守られてもいいと思う。」
潤いのある唇の力がふっと抜ける。胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じた。いつ以来だろうか。とても昔に感じたことがあったような気がするが、思い出せない。
「守られるね……。意外と悪くないわね。」
と小さく呟いた。彼女はルイの暗い青緑色の瞳をじっと見て、
「あまり動けないから少し近づいてもらえる?」と力なく、息を切らしたような声で言った。腕を組んでアラサラを見ていたレオは一歩踏み出し、
「てめぇ!ルイに何しようとしてる!」
と声を荒げたが、ルイはレオに手を翳し、ゆっくりと首を振った。
アラサラが震える手をルイの肩に置いた。彼女の手が紫紺にぼんやり耀き、その光がルイの中に流れていく。そして彼女は眠るようにゆっくり地面に横たわった。ルイは身体がぽかぽかと暖かくなるのを感じた。
「私の……ちっぽけな力だけど。いつか役に立つわ。あなたはこれから大変よ。きっと……死ぬほど辛い目に合うわ。それでも正気を保てるかしら。」
アラサラの身体が大きく崩れる。彼女を形作っていたものが空に零れていく。
「大丈夫。僕には仲間がいるから。」
ルイはすでに顔の半分が消えているアラサラに力強く希望が宿る声色で答えた。
「そう。それはいいことね。」
静かに口元に笑みを浮かべ、アラサラは塵となった。
空一面が夕日の色に染まる中、ルイはしばらく同じ場所を見つめていた。最後の笑みが偽物でないことを願いながら。そしてハッと気づいたように顔を上げた。イブとエンフェリアが持ち帰った勾玉。あれはレナの首飾りだったはず。
「そうだ!レナ様は!?」
ルイが急いで振り返ると、レオ達が後ろに立っていた。
「問題なさそうだぜ。見ろよ。」
振り向いた先を見ると負傷したシオンやカルマたちが清々しい表情で歩いてくる。彼らがルイたちの下に集まると、篝火のメンバーたちの間からレナが姿を現した。
「皆さん。ごめんなさい。せっかく守っていただいたのに勾玉を取られてしまいました。」
レナが深々と頭を下げた。それを見ていたシオンは優しく微笑む。
「まずはレナ様がご無事でなによりです。取られただけでは何も起こりません。まだ最後のピースが残っています。」
と芯のある声で言った後、ルイに視線を送る。この戦いで少し大人びたように感じた。
蓮の國は大きな代償を支払った。多くの者を失い、守るものを奪われた。しかし、すべてを奪われたわけではない。まだハンターたちに息はある。かつて受け継がれた意思は彼らの心に宿っている。これは終わりではない。始まりに過ぎないのだ。




