フォルダ。
どこまでも泳いで行けそうなほどきれいな青い空を仰ぎ、私はほぅ…と息をつく。
腕の中のスカーレットが、首を伸ばして周囲を見回した。
「こわいの、おそうじしたのね」
「…えぇ、そうね。お父さまたちがきれいに直してくれたわ」
「すご~い!」
本当にすごい。心より尊敬できる人だ。
「リヴィ、惚れ直してくれたかい?」
「はい」
素直に頷けば、うれしそうに抱きしめられる。
「さて帰るか。二人とも助かった」
「ふん、礼は受け取ろう」
「こっちにも何かあったら、連絡するからよろしくな」
三人は軽く手を挙げ、エルマーとユリウスの姿がゆっくり薄れていく。
それを見送る私とスカーレットにユリウスはにっこり笑ってウィンクを一つ。
エルマーは私を涙目で睨みつけ、口元をぎゅっと引き結び「覚えてろよっ」と捨て台詞を吐いて消えた。
「子供か、エルマーは」
「あの…私何か気に触ることをしましたか?」
「まさか」
肩をすくめるパトリックは私からスカーレットを受け取り、あやす。
「スカーレット、もう大丈夫だぞ」
「うん! おとうさま、かっこよかった!」
「そうか?」
娘の言葉に父親は弱いというのは本当だ。整ったパトリックの顔が笑み崩れて、かわいい。
館に戻り、心配していた皆に無事に終わったことを告げる。
パトリックは護衛の一人を村長のところに送り、もう出歩いて大丈夫だと伝言。
本人はそのままセヴンに乗り、状況説明しに王都へひとっ飛び。
「夕方までには帰るから、もし隊員が戻ってきたら休んでもらっててくれ」
「かしこまりました」
「お父さま、いってらっしゃ〜い!」
あっという間に小さくなる竜の姿を見送り、子供たちは授業と鍛錬。私は寝台に横たわった。
「オリヴィアさま、お休みになられますか?」
「えぇ。なんだかすごく疲れてて…後をお願いしてもいい?」
「もちろんです。お任せ下さい」
オルガにやさしく上掛けをかけられ、私は重いまぶたを閉じる。
眠りはすぐにやってきた。
どれくらい寝ていただろう。
目を開けると至近距離に女性の顔がある。
「あ、びっくりした。鏡かぁ…」
私ではない声が戸惑いの色を浮かべてつぶやく。
「一瞬自分が知らない人に見えちゃった。やばい、疲れてんのかな」
モニタの見過ぎかもしんない。
そう言う女性を私は体の内側から観察するように見つめた。
「まぁ、そりゃ疲れるか。本来のシナリオじゃないトコに全力注いじゃったもんね」
洗面所を出て、女性は販売機でコーヒーを買いデスクに戻る。
「ふ〜、おいしい。とりあえず裏設定はおいといてちゃんと仕事しなくちゃ」
女性は裏設定フォルダを没フォルダに移動させ、シナリオ第一稿フォルダを開く。
「推敲して提出したら帰ろうっと」
目薬を差して、キーボードに向かう。
青白く発光する画面の中ではデザインされたキャラクターたちが肖像画のように並べられ、無機質な笑みを浮かべていた。
パトリックは夕食後に館に帰宅した。
「おかえりなさい、リック。すぐに食事にいたしますね」
「その前に……隊員は戻って来てるな?」
「はい、ゆっくりしてもらっています」
「ちょっと話してくる」
パトリックは着替えもせずに隊員たちのところへ向かい、彼らをねぎらい何が起こっていたかを説明している。
「やはり最近多い結界の弱体化でしたか」
「うん、神殿の方でも事態を重く見て、態勢を整えてくれるそうだ。今後の動きとしては……」
「お母さま、お父さまはまだお仕事?」
「そうね、皆はベッドに入りなさい」
難しい話になり、父親に懐きたがっていた子供たちは残念そうに二階に上がる。
オルガに下を任せて、私は子供たちを寝かしつけた。
平和な寝顔を見つめていたら、私のまぶたもまた重くなる。
「嫌だわ、さっき昼寝したのに…」
これでは子供と変わらない。
いや、子供より悪い。
閉じこもってばかりで体力がないから、ちょっとしたことでもすぐに疲れてしまうのだろう。
自嘲して眠気を振り払い、子供部屋を後にする。
自分のベッドで寝支度を整えていたら、パトリックが上がってきた。
「お夕食は頂きました?」
「あぁ、湯も済ませた」
「まだ髪から雫が垂れているわ。ここに座って」
パトリックは素直にベッドに腰掛け、私はタオルでそっと水滴を拭う。
「気持ちいいなぁ、毛繕いされてる気分」
「ちゃんと拭いてこないと風邪をひきますよ」
「すぐにまた汗をかくから、いいかなって思って」
パトリックの手が悪戯気味に私の腰へ回され、そのままぎゅっと抱きしめられた。
「もう…」
「子供たちは?」
「隣で寝てるわ。ねぇ、リック」
髪を拭う手を止めて、私は彼の瞳をのぞき込む。
「守人はほころびに吸い込まれることはないの?」
「吸い込まれるというか…界を渡れる」
「界を…渡る」
「そういう人種のようだと思う」
「では…もしかして、他の界でも生きていけるの?」
「ああ。さっきのユリウスやエルマーを見たら分かるだろう? 俺たちは異界でもああやって話でもできるし、感情も変わらない。何もちがうところはない」
「だけど、人は界を越えて生きられないとも聞いたわ。だから私も昨日、死ぬのだと思ったの」
「リヴィがほころびに吸い込まれて苦しい思いをしたのは、神力が足りないからだ」
「神力が?」
「界の違いに対する耐性とも言うけど……守人以外は界の向こうで長く生きられないはずだ」
「そう…」
「ただ、リヴィは普通の人には見えないほころびが見えた。ということは、修練して能力が伸びれば違う界に行けるかもしれない」
外に出始めたばかりの私にとって、それはとても壮大な夢物語だ。
「…もしパトリックが」
「俺が?」
「違う界に行くなら、私も修練するわ」
「リヴィ?」
「ずっと考えてたの」
私を顧みない夫という『設定のパトリック』。
いつかそうなると思いながらも、どうしても彼をあきらめられなかった。
私は常に『設定』に抗っていた。
おぼろげにしか思い出せない子供の頃。
暗闇を手探りで歩くような気持ちだった婚約時代。
そして『設定』を知った結婚後。
どの時代の私も、あなたが好きで好きで……。
「本当の私は…とても欲深い人間なの」
「リヴィが?」
「一点の曇りもなく、あなたに愛されていたい」
昔から知っている。パトリックはやさしい。
不器用な私も、『設定』に怯え、卑屈になる私も真っ直ぐに愛してくれた。
『設定』通りになんか、決してしなかった。
だから、もういい。
脳裏に彼女たちの姿が浮かぶ。
私は『あなたたちが作った設定』を受け入れない。
「今まで、弱くてごめんなさい」
「リヴィ…」
「いろんなことが怖くて、あなたの愛を信じきれなかったの。でも愛されたくて仕方がなかった」
「うん…」
「でも、これからは……私があなたに愛を注ぐから」
私が生きる理由だと言ってくれた彼に。そして家族に、周囲の人たちに。
願って受け取るばかりじゃダメだ。
汲んでも枯れることのない、私の内からあふれる愛を注ごう。
パトリックは私を強く抱きしめた。
「時々…臆病になり過ぎて、また逃げ出したくなるかもしれない。その時は私を諌めてください」
「諌めるなんて」
パトリックはくすりと笑った。
「もし君が俺から去ろうとしたら、嫌だと子供のように駄々をこねて泣きわめいてつかまえるだけだ。でももう逃げないんだろう?」
「逃げないわ。一生そばにいる」
「そうか……。なら俺たちは永遠に一緒だな」
パトリックは私を抱きしめたまま横たわる。
逆らわず、寄り添い私は耳元でささやいた。
「私は…あなたを誰にも渡したくない。他の女性は見ないで。私だけのものでいてください」
ビクリとパトリックが震え、じれったいほどゆっくり私の顔をのぞき込む。
「あなたに愛されなくなったら私は狂うわ」
目を見て告げれば、パトリックが表情を消した。
そのまま無言で私をかき抱く。
もしも……もしも次に『設定』の夢を見たら、あのフォルダをゴミ箱に入れてこよう。
荒々しく抱かれ、彼が起こす波に翻弄されながら、私はそう決心した。
ひとまず終了となります。
お読み下さり、どうもありがとうございました。




