三人の守人。
気持ちは落ち着かないままだったけど、疲れで眠りは深かった。
空が白み始めたころ、パトリックが起き出す気配に目を開ける。彼は朝日の中で私を見つめていた。
「おはようリヴィ、ミルクティを飲もうか」
「えぇ」
昔から変わらない、やさしい目に心が凪ぐ。
まだ誰も起きていないと思ったのにオルガがすでに準備万端で廊下に待機していたようだ。
パトリックの合図で恭しくワゴンが運ばれてくる。
いつも通りゆっくりとお茶を飲み朝食を取って、階下に降りた。カイルたちは寝かせたまま、スカーレットだけを腕に抱く。
「ん…」
「まだ寝てていいのよ、スカーレット」
声を掛ければむにゃむにゃと口が動き、数秒後寝息を立てる。
玄関ホールでは緊張した面持ちの護衛たちが揃っていた。
「皆は館にいてくれ」
「旦那さま、しかし…」
「作業はたいしたことをしない。だが側にいれば昨日のように気分が悪くなるはずだ」
私やスカーレットは空気の圧力を感じていたが、オルガや護衛たちは言い知れない嫌悪感に襲われたらしい。
「館に守護はあるが、それでもほんの一時、不愉快な気分になるだろう。そこは済まないがこらえてくれ」
「はっ」
「カイルたちが起きたら、追いかけて来ないよう捕まえておいてくれ」
「かしこまりました」
外に出れば、おだやかな朝だった。
だが、遠くで農作業をする人や草を食む家畜は見当たらない。鳥の声も聞こえてこない。
無意識に身を竦めたら、パトリックが肩を抱き寄せてくれる。
「昨日のほころびの影響だろうな」
「…そうなのね。結界を強めたら元に戻る?」
「もちろん」
「セヴンが戻ってきているわ」
「うん、食事も終わったようだ」
上空を旋回するセヴンは伸び伸び、気持ち良さそうに啼いている。
「竜は何を食べるの?」
「主食は太陽の光と葉っぱ」
「意外。草食なのね」
「うん。でも甘いものも好きだよ。角砂糖をあげると大喜びする」
「ではあとで差し上げます」
のんびり会話をしながら昨日の場所へ着く。
特に変わりはないが、場がどことなく緊張感をはらんでいるように見えた。
「リヴィ、スカーレットと一緒にセヴンの側へ」
「はい」
「セヴン、二人を頼むよ」
「グアァ…」
まだすやすや寝入っているスカーレットを抱いて私は竜の腹に寄り添う。
パトリックは頬に一つキスをして、神杖を天へ掲げた。
「天と地よ、ここだ」
神杖が静かに光を帯びると、どこからか、高く澄んだ音。
辺りを見渡せば、空に一筋亀裂が入っている。
くらりとめまいがした。
昨日と同じように重い空気が押し寄せてくる。
「いやぁ…」
スカーレットが目覚め、私にしがみつく。
「おかあさま、こわい」
「大丈夫よ。昨日と同じようにお父さまが消してくれるわ」
スカーレットが怯えて泣き出すとセヴンが大きく羽ばたき、なめらかな羽で私とスカーレットを包む。
「セヴン?」
「グォ」
「……ありがとう」
セヴンの羽に包まれると、空気の圧力が和らぐ。
私はスカーレットを抱きしめ、パトリックの背を見つめた。
しばらくして、分厚いガラスを隔てたような景色の向こうに、人の姿が現れる。
一人は金と銀が混じり合った髪と淡い緑の瞳の人。
もう一人は黒と銀の混じり合った髪と黒い瞳の人。
あれが天と地の守人……。
姿形だけなら、人と変わりない。
表情や仕草も差異がないようで、パトリックは気軽に二人へ歩み寄った。
「ご足労感謝する」
「気にするな。どうした」
「人里近くにほころびができた。共に強化してほしい」
「またか。最近多いな」
金髪の男性が眉根を寄せれば、黒髪の男性も腕を組んで唸る。
「う〜ん…結界の耐久性が落ちて来たんだろうか」
「お前たち闇の力が弱まってるんじゃないか? この前の新人、ひどかったぞ」
「そういう天の新人こそ、フォローできないほどだった。ほころびを広げて穴だらけにしたんだからな」
「おいおい、天も地もトップがそんなレベルだから、新人もそうなるんだろうよ」
「なんだとっ」
急に始まった口喧嘩にあんぐり。あれじゃあ、うちの息子たちのケンカと変わらない。
「今回の結界のほころびは…人界の方から裂けているんじゃないか?」
「たまには良いことを言うな、ユリウス」
「エルマーもそう思うか? ではパトリックの力不足だな」
金髪の人はユリウス、黒髪の人はエルマーというようだ。
「人の界の力が弱いなら助けてやることもやぶさかではないが…」
「ユリウス、よく見ろ。これはどう見ても天界から押された裂け目だ。そっちの責任だぞ」
ユリウスはパトリックに言われて、空に入った亀裂をじっくり見つめる。
「……ちがうぞ、これは地が押し込んできてるんだ。エルマー、しっかりしろよ」
「ふざけるな。俺らは実力十分、堅実な守人ばっかりだぞ」
「お前が言っても説得力ないな」
「なんだとっ」
三人の守人は軽口を叩きながら、仕事を押し付け合っている。
パトリック以外の守人を初めて見たけど、こういう感じの人ばっかりなのかな。
あっけにとられたまま見守っていたら、天と地の守人と目が合った。
「わ……」
地の人が私を見て動きが止まる。
「む…」
天の人が目を見張った。
私は二人の視線を受けて固まる。
知らない人に睨みつけられて、足がすくむ。
正直、かなりこわい。
スカーレットを抱きしめ震えていたら、パトリックが舌打ちした。
「不躾に見るな、俺のだ」
「おい、まさか……」
「お前の奥方だと…?」
「まぁな。俺の至宝だ」
「なんと美しい……」
ユリウスとエルマーがガラスの壁を通り抜け、私の方へ近寄ってくる。
「きらめく緑の目……その色は我が天界の者ではないのか? お前、うちから盗んだのでは…」
「残念ながら昔から俺の物だ」
パトリックは二人の首根っこを捕まえて壁の向こうにポイッと投げ戻した。
「痛って! 乱暴だな」
「ボケて油断してるのが悪い」
尻餅をついた二人をパトリックは勝ち誇った顔で見下ろす。
「独身のお前らには目の毒だったな。いいか、俺の妻だけじゃない。あのかわいいのも俺の娘だ」
「ぐは!」
「くそぉ…卑怯な……」
パトリックは胸を張っているが、何を競っているんだろう。顔の造作だろうか。
でも私のことはパトリックのいつものひいき目だと思う。
エルマーとユリウスは誰がどう見ても、整った顔をしている。
ま、もちろんパトリックとスカーレットには負けますけど。
私もずいぶん欲目が過ぎるが、スカーレットは結界の気配に怯えていた。
早くどうにかしてあげたいと、パトリックを見つめる。
「リック……」
「う、上目遣いだとっ」
「それは反則だろう」
二人がまた壁を越えようとしたところをパトリックは足払いを掛けて転ばせる。
「さてそろそろ結界を強化するか」
「その前に! お前、名は何と言うっ」
エルマーが怒ったように私を指差して問う。
「はい、私は…」
「教えられないね」
名乗ろうとしたら、パトリックが近付いてきて大きな手で口を塞がれた。
「名を教えることは気を許したことになる。この二人には絶対名乗らないで。いいね」
口元は笑みを浮かべているけど、全然笑ってない目で念押しされ、私はこくこくと頷く。
「くそ、見せつけて…」
「だからお前たちも早く結婚しろと言ってるだろう」
「運命の女性に会わなかったんだ。でも今、出会ったと思う。お前俺の嫁になれ」
そう言ったエルマーに向かい、パトリックが杖から光を出して打つ。
「いてっ!」
「あんまりふざけたことを言うと、結界じゃなくてお前を壊すよ」
「シャレにならんことを言うな」
悔しそうなエルマーの肩をユリウスはポンと叩く。
「パトリックを不快な目に遭わせた責任を取って、このほころびはエルマーが直せ」
「なんで俺なんだよ…お前らもやれよ、ほら」
ぶつぶつ言いながら、エルマーが手にしていた槍斧をほころびに向けた。
それを受け、パトリックが神杖を。ユリウスは大きな剣を構える。
向かい合い、共に何かを唱え、目を見交わす。
やがて三人の神器からゆっくり深い蒼の光が浮かび上がり、何もない空間をなぞり始めた。
時に光は稲妻のように走り、時に花弁のように空を舞う。
やがて三人が放った光は布を織るように空に軌跡を描き、静かに薄れていく。
瞬いても空には何もない。
ただいつも通りの世界。
ありきたりで美しい、パトリックが守り続けてくれている人の界。




