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気象予報士【第4部】  作者: 235
異国
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 目の奥が揺れている。

 眩暈に似た眠気に襲われ続け、ぼんやりとしたまま、空港で入国審査をやり過ごした気がする。出発する前は、母国語でない言語でどのように受け答えすべきか、と一番不安で、練習すらしていたのに。縦にも横にも体の大きな審査官にパスポートを手渡したら、ちらりと写真を見て、笑顔で横を通るように促されたのだ。

 日本人で良かった、と今更ながら実感する。細かく質問を重ねられていたら、しっかりと答えられず、最悪、ドラッグでも服用しているのでは、と怪しまれていたかもしれない。

 それだけ眠かった。とにかく、そこを通過した後の記憶が曖昧で。つまり、自分が今どこにいるか分からないのである。


「蒼羽さん・・・?」

 ぽつりと出した声に答えはない。身を起こして体から滑り落ちたのは、薄手の毛布。横になっていたのはベッドで、両サイドにランプ。左側には二人掛けのソファとオットマン。部屋の中はそこそこ明るい。何せ、高い天井の中央からシャンデリアがぶらさがっていて、その灯りが輝いている。

 カーテンに覆われた窓の外が、明るいのかどうかも分からず。重たい体を動かして、ベッドから足を出した。

「・・・あ」

 身に着けているのは、眠る前と同じワンピースではなく、白い寝間着だった。少し大きめのそれに着替えさせてくれたのは、間違いなく蒼羽であろう。胸元がゆるいので、下着を外されている。ベッドの横にはスリッパが揃えて置いてあり、裸足のつま先をそこに入れて。

 立ち上がったら、一瞬くらりと目の前が揺れた。頭を振ってそれをやりすごしてから、再度室内を見渡すと、ソファの横の小さなテーブルの上に、紙切れを押さえるように携帯電話が置かれていた。紙には蒼羽の字で、起きたら電話をしろと書いてある。ディスプレイで時刻を確認すると、午後二時。飛行機の中でこちらの時間にあわせておいたので、あっているはずだ。空港への到着は夜遅い時間だったと記憶している。ということは、長い間眠っていたのだろうか。


「・・・蒼羽さん、起きたよー」

 少し長めのコール音の後、それが途切れたから。

「緋天様でいらっしゃいますね? 私は蒼羽様からお電話をお預かりしております、フラックスと申します」

 蒼羽だと思い込んで話し出せば、蒼羽ではない低い声が、流れるように耳に届いた。

「っ、えっと、あれ?」

「驚かせてしまい、大変申し訳ございません。蒼羽様は現在、本部の中におりまして、私が緋天様のご案内をさせて頂いております」

「・・・あの、蒼羽さんは?」

「あと二時間ほどでこちらにお戻りになられます。お体の方はいかがですか?」

 しっとりとした、と男性のそれに表現するのはおかしいかもしれないが、とにかくそんな声だった。こちらを気遣ってそうした声を出していると、なんとなく分かる。

「緋天様? 緋天様、もしやお加減が・・・?」

「あ、大丈夫です。・・・ここにいればいいですか?」

 慌ててしまい、まともな応答をしていないと気付き、ようやく指示を仰ぐことに思い至った。電話の向こうから、少し勢いのついた問いかけを投げてきた彼の、ほっとしたような吐息が聞こえる。

「・・・ええ、蒼羽様がお戻りになられるまでは、お部屋でお待ち頂けますでしょうか? 昨夜から何もお召し上がりになられていないと伺っておりますが、よろしければ後程お食事をお持ちいたします」

「はい・・・」

 無意識に指先に力を入れていたメモ用紙。よく見ると、蒼羽の伝言の下、紙の端には本部に行く前に滞在すると聞いていたホテルの名前が印刷されている。つまり、昨夜は予定通りに空港からホテルに移動し、そこで眠りについたのだ。身を包んでいる白い寝間着も、ホテルのものだと認識できた。

「では、半刻ほど後にお部屋にお伺いしてもよろしいでしょうか?」

「あ、はい、お願いします」

 曖昧な返事をしたせいか、再びこちらを気遣う声音が聞こえてくる。

「それでは、後程参ります。失礼いたします」

 蒼羽を待つことではなく、食事を届けてくれるというそれに、反射的に答えを返してから。彼が身支度をする時間を与えてくれたのだと気付いた。彼は一体何者なのか、ということも気になるのだが、あまり時間がない。何となく体はさっぱりしている気がするので、意識が不鮮明な間に、これも蒼羽がやってくれたのだろう。シャワーはスキップして、とにかく着替えることにした。


 



 とんとんとん、と3回のノック音が、廊下へ続く扉から響く。

 着替えを済ませた後に、室内の配置を確認していたので、すぐにそれに反応することができた。時計を見れば、通話を切ってから、きっかり30分経過している。


「はい、開けます」

 そう言いながらドアを開けたら、壮年の男性が銀色のワゴンの横で頭を下げて立っている。最近よく見るようになった、正式な挨拶の形をとっていたが、すぐに顔を上げ、微笑みながら口を開き。


「緋天様、扉を開ける前に相手をご確認くださいませ」

「う、あ、はい・・・」


 にこりと笑んではいるが、有無を言わせない口調だった。彼は扉についているドアスコープを手で指し示し、出来の悪い子供に言い聞かせるようにそう言うが、その頬に浮かぶ笑みは優しい。

「改めまして、フラックスと申します。どうぞよろしくお願いいたします」

「・・・はい、よろしくお願いします」

 間違いなく、蒼羽の側の人間であると、一目で分かった。頭を上げてからの動きに全く無駄がない。あたふたと挨拶を返したこちらに、更に頭を軽く下げてから、彼の横にあったワゴンと共に室内に入り、それを見送っていたら、バサリという音をさせて広げた布をローテーブルの上にかけている。


 少し厚手の濃紺のその布の上に、ワゴンから取り出した茶器を置き、湯気を上げる紅茶が注がれていく。ああ、布はテーブルクロスだったのだな、とぼんやり思っている間に、今度はカットされたフルーツが盛られた皿と、2色のパンのサンドウィッチが茶器の横に置かれている。それから、ポタージュ状のスープの皿。


「緋天様は小食と伺っておりましたので、少しだけお持ちしたのですが・・・」

「え!?」


 ソファに座るよう促されたところでそんな声がかかる。

 品数は少ないかもしれないが、量が多い。


「他のものがよろしければ何なりと」

「いえ、あの、多いのでちょっとだけ頂きます。時間も半端ですし」


 斜め前で、少しだけ目を開く彼の反応は意外と分かりやすい。手を合わせてから紅茶を口に含むと、ほっとしたようにまた笑みを浮かべていた。おそらく、自分の面倒を見るようにと命じた蒼羽を気にしているのだろう。



「緋天様、私は存外暇なのです」

 スープを胃に収めたところで、こちらを見守っていたフラックスが再度口を開いた。

 彼に視線を向けると、少しおどけたような表情を見せている。

「・・・本部に滞在中の、トリスティンとサンスパングルの方々は、お忙しいので雑事が後回しになってしまわれます。そこで私の出番なのですが、現在こちらにいらっしゃるのは、蒼羽様、シン様、コーディア様のお三方。シン様とコーディア様は学生のようなお立場ですので、あまり私の出る幕がございません」


 このまま食事を進めてもいいのだろうか、と迷っていたら、彼の手がフルーツやサンドウィッチを小皿に取り分け、目の前に置いてくれた。


「蒼羽様に至っては、ほぼご自分で処理されるので、私は手持無沙汰の状態になっておりまして」


 口に入れたパンの上品な味に驚きつつ、フラックスの話を反芻するが、相槌を打ち損ねてしまった。視線を再び彼に向ければ、やはりその口元に笑みが浮かんだまま。


「つまり、私の仕事は、緋天様のお傍にいることなのですが・・・」


 彼の言う雑事とは、事務手続き、仕事関連の他者との取次、屋敷の人々との連絡などだろう。それは何となく想像がついた。意図的に、言いよどむように言葉を切ったフラックスの口が、また笑み交じりで開く。


「蒼羽様が少々、いや、かなり難色を示されるのです。男である私が、四六時中、緋天様に付き従うのがお嫌だそうです」

「・・・うー、すみません」


 もう堪えられない、と彼が笑い声をもらした。

 いたたまれなくなり、ついつい謝る。


「いえ、緋天様はお気になさらず。・・・まあ、そのようなご事情ですので、明日、緋天様をお守りする者をご紹介いたしますね。その者だけではお世話が行き届きませんので、私の妻がお手伝いさせていただきます」


 目の前の彼は、両親と同じ年代に見えるし、今伝えられたように、妻がいるということは結婚しているのだ。フラックスの方も、こちらを女性として意識すらしていないことが分かる。蒼羽が自分に男性を近づけたくないという気持ちは理解できるが、それは心配しすぎなのでは、と言いたい。しかし、蒼羽にそれを言ったところで、おそらくこの事実は覆らない。すでに決定事項として、いくつかの事が自分のために手配されている。


「よろしくお願いします」

「かしこまりました」


 あれこれと頭の中に浮かんだことを飲み込んで、ただそれだけを口にしたら。

 心得ている、とばかりに、またも笑み交じりの声と、美しい動きの礼が返された。


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