師父の提案
「はあ。里帰り……ですか?」
提案された事に対するティアの第一声はそれだった。周囲では黄薔薇騎士達が作った昼飯のスープを囲みながら騒がしくしている。今日の午後に業務が入っていないからと早速酒瓶を開けて顔を真っ赤にしている者すらいた。
「お前も見習いからきちんとした騎士になったし、手柄だって立てたんだ。そろそろ一度ぐらい家族に顔を見せに帰ったらどうだ」
ごろごろと野菜の塊ばかりよそってから、ヘイスティングズはティアに器を渡してくる。弟子は露骨に渋い顔をしてもっと肉をよこせと態度に示したが無視される。
それもそのはず、この黒龍は未成年の頃は年老いた義理の父に甘やかされて一番の部分を優先的に与えられ、成人後は王城の洗練された料理の数々に慣らされ、リリアナと会っている時は言わずもがな美味しいものばかり食べさせてもらえるので、結果として下手物含めなんでもたくさん食べる割に舌が肥えているという、周囲にとってはやっかいすぎる特性を持つことになった。しかも基本的に、よく言うのならとても自分に素直、悪く言うのなら欲望に忠実である。本人に任せていると美味しい部分ばかり嗅ぎ当てて持って行くのだ。全員の幸福のために、後輩には別の誰かが配膳を行うということが、いつからか黄薔薇たちの暗黙の了解になっていた。でないと他の面々にろくなものが回らない。
ティアは不機嫌そうにパタリと耳を動かしつつも、師父相手なので大人しくよそわれた分に口をつけている。ヘイスティングズが自分の方にはちゃっかり脂身の多い肉を二きれほど入れるので恨めしく見つめていると、これ見よがしにゆっくりと時間をかけて口の中に運んでいる。はったおしたい気分になった。
すると二人の会話を聞いていたらしい先輩の何人かが、近くに腰を下ろしながら話しかけてくる。
「ジークはなあ。本当に全然、休みとか取らないからなあ」
「まず体調不良になってることがほとんどないしな」
「酒でぶっ倒れたときぐらいだよな、やばかったの」
「やめろ、その事を思い出させるな!」
その瞬間だけ楽しそうに笑っていた男共の顔色が一斉に硬直して引きつり、なごやかな昼の時間が一転する。
当時のことを覚えていない当事者一人だけが首をかしげており、何のことだろうと見回すが皆にことごとく顔をそらされてしまう。
「ジーク。お前はな、本当にもう……一生飲まない方がいいぞ。つか絶対もう飲ませないから。俺たちが悪かった」
と深く深く疲れた息を吐き出しながら、ディックだけがティアの肩をぽんぽんと叩く。不満げな顔をしている後輩だが、周囲は互いに空気を読み当ってそれ以上話題を掘り下げようとはしなかった。
「……ええと、だから団長もたまには気分転換とか、どうなんだってことなんじゃ?」
「てかぶっちゃけた話、ジークが長期休暇あまりに取ってないから指摘でもされたんじゃないですか。上から言われて思い出したって奴でしょう」
「ははは、どうだろうな」
「あ、これは絶対そうだ。ジーク、お前本当に休めるときは休んだ方がいいぞ。じゃないと団長にこいつこきつかっていい要因だって認定されても知らないからな」
スプーンでびしりと指さされてティアは首をかしげる。先輩達は勢いを削がれてかくんとうなだれた。しかしすぐに立ち直って次々に聞いてくる。
「なんかいまいちしっくりこない反応なんだよなあ……ほら、手紙書いたりとかは? しないか?」
「……思い出したときに、なら?」
「家族の顔見たくなったりとかは?」
「いや、そこまでは」
リリアナの顔だったら四六時中見ていたい。毎日毎晩、おはようからおやすみまで、ゆりかごから墓場まで。
心の中でそっと本人にささやきかけて、
「アホかお前は。一日で飽きるぞ。というか実現されたらさすがに私がうっとうしいし、墓場はなんとかなるとしてもゆりかごはもう無理だろうが、馬鹿め」
と駄目な子を見るまなざしでののしってもらえるところまで瞬時にシミュレーションした。
ついでなので妄想中の殿下には最近暑いことだし上着を一枚脱いでもらって、さらにせっかくなので靴と靴下も脱いでもらって裸足で顔を踏んでもらうことにする。いつかの時のように、こう、とても悪い顔で、うりうりと。
自分で自分が恐ろしい。天才か。これなら視覚と聴覚だけでなく、嗅覚でも触覚でもダイレクトにリリアナを堪能することができる。足を舐め回す許可が出たなら五感がコンプリートできる。
ティアはひとまず、とても幸せな気持ちになっている。幸せな気持ちになりすぎて顔がでろでろになり、先輩達が「また始まったぞ」やら「ひっぱたいておこしてやれ」やらささやき交わしているのが遠くに聞こえる。
変態としてはそのまま夢想世界にダイブし続けてもまったくかまわなかったのだが、あいにく周囲は許してくれなかったので、仕方なくほどほどのところで切り上げて現実世界に戻ってくる。むっつりした顔の後輩に、先輩達が引き続き長期休暇や実家とのやりとりに関する話題をふってきた。
「確か妹がいるんだろう? 顔を見たくなったりは」
「別に。いればまあ、うるさいですけど」
「……ひょっとして兄妹仲が悪いとか?」
「悪くはないと思いますよ」
アホや馬鹿をしょっちゅう言われてる割に大嫌い系はあまりない、むしろ記憶にある限りでは好き好き言われていた気がするな。ティアは久しぶりにかしましい妹を思い出しながら答える。
「故郷から顔見せに来いって連絡は来ないのか?」
「いや、特には。城に行くことが決まった時点でもう、後は勝手にしろと」
「ドライだなあ……」
「竜はみんなこんなものだと思います」
「あっちからの近況報告とかも?」
兄上ー、ボクねえ、もう百人も斬っちゃったー! えっへへー、すっごいでしょー! うらやましいでしょー? やーいやーい百年童貞ー!
思わずうっかり幻聴が聞こえたせいでばきりと手元のスプーンが折れ、先輩達がざわめきながら引いている。
我ながら妹に対する扱いがひどくないかとも思うが、実際近況報告なんか送られてきた場合そういった内容で埋め尽くされている予感しかない。
それに思い出した。里帰りという言葉にいまいち魅力を感じられないもう一つの原因はそれだ。エカトリアや父に会えるのはまあ嬉しいとして、またあの有象無象からの求婚をちぎっては投げる作業をしなければならないのかと思うと頭が重い。だったら城に引きこもっていてむさ苦しい男所帯で誰からも惚れられずにいたい。
というか、ティアに秋波をかけてくる存在がいると、ティア本人よりリリアナの方が反応する。口ではまったく気にしていないといいながら目が据わり出し、徐々に徐々に機嫌が悪くなっていくのがリリアナという面倒な生き物である。どうやら彼女が、彼がどう思っているかに関わらず、彼にもしもの可能性があるかもと考えるだけで憎悪を募らせるタイプのやきもち焼きであるらしいと思い当たるようになるまで、何度原因不明で混乱しながらあちこちつねられたものか。わかってしまえばただの新たな萌えポイントだが、何に対して彼女がそこまでイライラしているのか理解できていないうちはそれなりに苦労した。
なのでこう、今更故郷に帰ってまでリリアナにへそを曲げられたくない。というか故郷に帰ったらリリアナとの物理的距離も遠のくのでそこからしてあまり好ましくない。
ティアがそう思いながら淡々と先輩達に答えていると、食べ終わったらしいヘイスティングズが脇に器を置いてふとまた声を上げる。
「まあしかし、お前は本当に全く王城から出ないからなあ。たまには別の所に行くべきだ。……だからジーク。今度私と一緒に、ちょっと下に降りてみないか」
その後何度かやりとりを交わし、文脈が読み切れないが、どうやら師父は自分を城外のどこかに連れて行きたいらしいとティアが把握したところでその日の昼休みが終了した。




