悪夢:ヒトでなしの縁
歓楽街は暗くなってから明るくなる。ここの住人の昼夜は常識的なヒトビトとは逆転していた。
夕闇がヒトの輪郭を曖昧にし、あちこちでぽつぽつと馬鹿に明るい照明が灯って客の呼び込みが始まる。城下も中央部から離れれば大分治安が悪くなり、あちらこちらで酒とたばこと何かの腐ったような匂いが充満し、濁った空気がくゆっている。言い争うような声に下品な笑い声がまじり、ろくに手入れもされていないような汚らしい外装の建物に吸い込まれていく。
中央部には存在する整然とした秩序がここには一切ない。すべてが散らかってぐしゃぐしゃに混ざり合っている。それでもここのヒトビトは楽しそうだ。彼らには守ってくれる者も守る相手もいない。隣人の過去は聞かないのが礼節、隣人の本名は尋ねない事が自分のため。いつ誰がいなくなっていてもおかしくない、入れ替わりの激しい日常。そんな環境で生きていることは、反面誰にも何にも縛り付けられず、どこまでも漂っていける浮き草ならではの気楽さがある。
夜の彼らは明るい。明日の我が身を考えなければ、他に何も憂えることはないのだから。
表通りの喧噪も、路地裏に入ると幾分か遠くなる。
誰かが遠くで声を上げて笑った。一度足を止めるが、頭を振って歩き出す。暗がりに響き渡る足音はずいぶんと軽い。時折怪しい影の横を通り過ぎるが、誰もこちらに気がつく様子はない。風が通り過ぎたかのように呆けて見送っている。
ちらりと目をやれば、寂れた見た目の建物と、うずくまる物乞いらしき姿だけがぽつりぽつりと見えている。やがてそれすらもなくなって、ヒトの気配が完全になくしんと静まりかえっている廃墟のような一角を、周囲を見ているのか何かを探してでもいるのか、ゆっくりした足取りで歩を進める。
「待ちな、そこの可愛い坊ちゃん」
不意に近くの暗がりから声がかかった。
立ち止まって顔を向けると、いかにもうさんくさそうな雰囲気の、それでいてかなり顔の整った男が、道を行こうとしていた小柄なヒトにほほえみかけている。
「こんな危ないところを一人でうろつくなんて感心しないな。どこに行くんだ。何か用でもあるのかい」
朗らかに尋ねかける男の目は碧色。身なりは大通りにちらほらいる柄の悪い輩と大差ないが、顔の造形が整っているのか着崩し方に工夫でもしているのか、腕を組んで壁にもたれかかっているだけなのに妙に様になる。
対する方は、一見してぼろ布をまとっている。体格からしてまだ幼い子どもだろう。ただ、使用人階級の服を着ている割に、少々手入れが行き届きすぎているらしい清潔感が目に付く。目立ちにくい格好に身をやつしているようで、余計に目立っているような感じもあるが、実際男が声をかけるまでは誰にも気がつかれずに歓楽街をふらついていた。子どもはくっと顔をゆがめる。
今まで成功していたはずなのに、何がいけなかったんだろう。
そんな風に考えているらしい子どもに向かって、男が意味深にわざとらしくウインクしてから指を一本つと立てて、足下へと向ける。それを追って、納得したような顔になった方はため息だろうか、息を吐き出す。
子どもの方は、靴がこの界隈を歩き回っている者としてはあまりに綺麗すぎたのだ。手入れが行き届いたお気に入りの革靴は剥げも泥もなく、おろしたての新品のようにつやつやと輝いている。確かにこれでは身分がわかってしまうだろう。
普段よそ行きをしないやっつけ変装では、やはりいろいろ無理が出てくるか。
苦笑しながらゆるゆると頭を振る。見慣れぬ上品な子どもは、じっと見つめ続けていた男にようやくそこで言葉を返した。
「どこにも」
どこに行くのか、との問いに対するシンプルな答えらしかった。男が鼻を鳴らした音がした。
「おうちに帰らなくていいのかな、迷子さん」
「迷っているわけではない――いや、迷っているかもしれないけど。どっちにしろ、私に帰る家なんか、どこにもないんだ」
つんとすました子どもの声は高い。男は大人しく聞きながらこらえるように肩をふるわせていたが、ついに声を上げて笑った。
「嘘だ、坊ちゃん――いや、お嬢ちゃん。あんたの家はあそこだよ」
彼が指さすのは空。帝都の端のここからもわずかに見える、空を飛ぶ城。頭を隠すようにまとっていたぼろ布を握る手に力がこもったのを見ながら、微笑みを深めて男は歌うように語りかける。
「いけないね。王家の娘が、次代魔王がこんなところに一人でお忍びだなんて。火遊びはやり過ぎるとあっという間に身を焼き尽くすよ。過保護な父君は何ておっしゃるかな」
正体を言い当てられた子どもは少しだけ沈黙していたが、男と同様に笑みを深める。
彼女は頭巾のようにしていたぼろ布を頭から取り払い、目を閉じて首を振る。顎のあたりで短めに切りそろえられた見事な金髪がさらさらと揺れた。
「それなら私も知っている。お前は悪夢の真子の八番目だろう。今日は父親の伝言係か?」
闇夜にも浮かぶように明るく輝く金色の瞳を細めながら、彼女は呼び止めてきた不審な男にからかうような声をかける。すると今度は男の方が首をすくめ、少しだけ嫌そうに顔をしかめた。碧色だったはずの瞳が一瞬だけ虹色に発光する。男は組んでいた腕をゆっくりほどくと、とんとんと片手の指でこめかみのあたりを叩いてみせる。
「違うよ。もし俺があんたに接触したってばれてたら、今頃もっとうるさく言ってきてる」
「プライバシーモードか。でもどっちにしろ、どうせ隠し事なんてできないんだろう? 遅いか早いかの話だ、情報が伝わってしまうのは」
「……まあね。王女殿下はやはり知識馬鹿であらせられるのかな? 今まで接触はなかったはずだけど、こちらの事情をよくご存じでいらっしゃるらしい」
「ちょっとした興味と好奇心のたまものだよ、気にするな。そうだな……お前がもう少し私のことを黙っているつもりなら、私もお前のことは誰にも言わずに黙っておいてやろうか」
「次代魔王は噂通りご聡明なお方と。俺には好都合な事だ」
「もう少しお前が思わせぶりな態度を改めるなら、私もお前に対する評価を変えてやらないこともないんだがな」
「これで素です、残念ながら」
両者の口調が幾分か砕けたものになった。向かい合う二人は互いに社交的な笑顔を保っているものの、相手を探るようなまなざしを向け合っていることは変わらない。距離を探っているような、間合いを測っているような、切迫しているとまでは行かずともそれなりの緊張がうかがえる。
妙な雰囲気の子どもは、金の髪に手を伸ばしてもてあそびながら首をかしげた。
「で、お前。一体私に何の用だ。私の防御術に引っかからずに話しかけてこられた分ぐらいの興味は持ってやるよ」
男装の少女はしばしどこか相手を小馬鹿にしたような、自分の方が上だと言わんばかりの言葉遣いになるが、男が気を悪くした様子はない。彼もまた、当然のことのように受け入れて話をしている。
「観察中なんですよ」
「ふうん?」
「何がしたくてこんなところまでやってきたのかと思って」
「たどりに来たんだよ」
「何をですか?」
「自分のルーツ」
「こんなところに?」
答えながら、少女は周囲をぐるりと見回し、両手を広げて自分を見せつけるようなポーズを取る。表通りから外れた照明のない暗い路地の中でも、金髪金目の少女の容姿はぼんやり浮かんで見えている。
「そう。少しはおじいさまの事がわかるかなと思ったんだ。普段はお父様似の優等生気取りなんだから、時々不良になったっていいだろう」
「成果はどうです? その退屈そうな顔を見ていると、あまり望んだものが得られたようには思えませんが」
「そうでもない。わかったこともあれば、わからないこともある。ほどほどってところさ。……私のことは大体つかめてきたんじゃないか? お前の事情を教えてもいい頃だと思う。見破ったところまではいいとして、どうしてここで私を待ち伏せなければならなかったんだ?」
広げていた両手を下げて、少女は少しだけ拗ねるように口をとがらせる。「これは大変なご無礼を」と男はおどけたようにつぶやき、もたれかかっていた身を起こすと、もったいぶったような動きで胸の前で音を立てながら両手を合わせる。
「では本題に入らせていただきます。袖触れ合うもなんとやらと申しますし、ここでせっかく知り合ったのも何かの運命。ということで、俺をあなたの部下にしてくださいませんか」
「……驚いたな。何かと思ったら売り込みと来たか」
今度は少女の方がぴくりと眉を動かし、腕を動かす。片方の肘をつかんで、身体をかばっているようにも見える姿勢になった。男はにらみつけられたのを促された合図と受け取って、すらすらとよどみなく言葉を繰り出す。
「はい。俺には富や財や権力はありませんが、それはあなたが持っていらっしゃるので問題ない」
「まあな」
「俺には人並み以上に回る頭と人並み以上に回る口があります。あなたの知らない情報もたくさん持っています」
「それはすごい」
「笑っていただけたのなら何より。それから人材の当てもありますよ。これでもナイトメアですからね。あなたの不得意分野を補ってあげられる。あなた、ないでしょう、人脈。引きこもりだから」
「……さて、どうかな」
「あなたはお強い。だが独りで玉座には立てない。俺を部下にしていただけるのなら、増やして差し上げましょう」
「何を?」
「あなたの敵なり、味方なり、ご自由に、思いのままに。どうです、味方がほしくありませんか。面倒ごとを押しつけられる相手が欲しくはありませんか。あなたも何か変化を望んでいるんでしょう? だからこんな所をうろついている。俺にあなたの力をいくらかお与えください。その分、俺もまた、あなたに尽くしましょう。お望みのことを、なんでも叶えて差し上げますよ」
「なんでも?」
「ええ、なんでも」
最初は男の言葉を聞きながら苦笑の色が濃かった彼女だが、だんだんと真面目な顔になり、真剣に考え始めているらしい。腕からいつの間にか離れて髪をいじっていた手が、今度は口元に移った。
「確かに、お前は私が探していたものかもしれない。だが、ただで雇われる奴じゃないだろう。対価に何がほしいんだ。私に何をさせたい?」
組んでいた両手を、男も口元まで持って行く。目元の表情がゆがみ、ぎらりと虹色の瞳が剣呑な光を宿す。
「殺したい相手がいます」
「……また単刀直入だな」
「それもただ死なせるのではぬるい。できるだけ苦しめてから殺したいんです」
「憎いのか」
「ええ、とても。母の敵ですから」
少女は思わず口から手を離して顔を上げ、大きく目を見開く。
「聞き間違いか? お前、母親と言ったのか? 父親ではなく?」
「はい」
「お前はナイトメアだな? ナイトメアは親に絶対服従。私は何か間違えているか?」
「俺は紛れもないナイトメアです。あなたは正しい」
「ナイトメアにとって母は単なる借り腹。彼らにとって親は父しかいない。そうではないのか?」
「あなたは何も間違っていませんよ」
「……貴様。正気か?」
彼女が念のため聞き返してみると、ナイトメアは闇の中に妖しく虹色を瞬かせた。
「そろそろあなたの方も、俺のことをご理解いただけたでしょうか?」
口元だけつり上げた彼の目は、いつからか何か強い意志を持って少女に訴えかけている。
彼女は幾分か顔色を悪くして、じっと考え込んでいる。伏せられた瞼の奥で金の瞳が揺れる。
彼は辛抱強く待った。
他に誰も来ない、暗い路地裏。遠くで誰かが機嫌良さそうに歌を歌っているのが、かすかに漏れ聞こえてくる。
唇を噛みしめていた少女が、ゆっくりと視線を上げる。
男は目が合うといっそう深く一度笑みを深め、暗闇の中から彼女の方に向かってゆっくり歩み出る。近づいてくる男から彼女が離れようと後退する直前、今まさに足を引こうとした瞬間の距離で立ち止まり、地面に膝をつき、頭を垂れる。
彼女は油断なく見守りながら自分の前で手を握りしめていたが、そろりそろりと――男の方に向かって迷いながら、最後は思い切ったようにしっかりと差し出す。
「いいよ。お前の覚悟、受け止めた。ヒトでなし同士、こうして知り合ったのも何かの縁。手を組もう。私の力となり、私の命に従え。そうしたら、私もお前に力を貸してやる。それでいいな?」
「ありがたき幸せにございます」
男は彼女の小さな手をうやうやしく両手で受け取り、指先に額を当てた。冷たい男の身体に触れて、彼女がつと震える。反射的に引っ込めそうになったのをとどめた、そんなほんの少しの迷いも見透かすように、男の虹色の目は上目遣いに彼女を射貫く。彼女はそうされると、受けて立つとでも言うようにきりりと顔をすませた。男はそのうち、少女がにらみつけていると、心得たように握っていたままだった手を引っ込めた。彼女は男に触れさせた手をなんとなくさすりながら、あ、と声を上げた。
「そうだ、忘れていた。お前、名前は?」
「……一応、個体識別名としてはシアルと申しますが」
「シアル。悪くないが――その名前、嫌いか?」
「ええ、あまり」
彼女は男のつまらなそうな返答に一度口を閉じて、空に目をさまよわせる。
「ヒューズ。うん、それでいこう」
やがて彼女はふと一点に目を止め、ぽんと両手を打つ。
「セオドア=ヒューズ。それが今日からお前の器だ。餞別にくれてやる。好きに使えばいい」
彼女は得意げな顔になって、高らかに宣言する。
男はきょとんとしていたが、ふっと顔をほころばせ、今一度彼女に向かって深く頭を下げた。
「仰せのままに、殿下」




