再び、嵐の予感
時が経てば何事も色あせて失せる。
団長達の謹慎が解かれ、ヘイスティングズが戻ってくると、徐々に黄薔薇たちも調子を取り戻していく。なんとなくティアを避けがちだった先輩連中も、ヘイスティングズが一声上げてがやがや楽しく鍋を囲めば、ほとんど元通りだ。
久々の鍋パーティーの折、思った以上に全く変わらぬ師父の様子にほっとしたティアだが、
「さすが我が弟子は、難攻不落の赤薔薇団長すら籠絡してしまったと見える」
と開口一番に小声でささやかれれば、さすがに口をへの字にしてつぐむ。
謹慎していたはずだろう、なぜ天敵の情報を仕入れているんだ。まさかあの言葉数の少ないウェスリーが声高に言いふらすとも思えないが――いや、ウェスリーという男は最後までなんかこう、つかめないところのある人物だった。あれよりさらに思わぬ一面二面を隠していても不思議ではない。案外口が軽いのかもしれない。ティアの口の中にぽんぽん菓子を突っ込んできたのと同じノリで。
そんな事を考えながらにらんでみると、しれっとした態度で答えられた。
「ああ、言っていなかったか? あのヒトは私の師父だった方だ。先日の会議の合間、我が弟子は裏表がないし、よく食べるので好ましいと耳打ちされた。まあ、あの菓子テロじいさんは真面目な若者ならたいてい嫌いじゃないし、たくさん食ってくれるのならより顕著だろうよ。それにしても、胃もたれしなかったか? なんせじいさん、あの顔で甘党なんだ。信じられないか? メニューは真実を語っていはずだがな」
意外すぎる過去に早速あれこれ質問をしてみると、のらりくらりとした素振りでどうにも師父は情報を出し惜しみし、楽しんでいる風情である。昼間から飲酒しつつ嬉しそうに語ることには、
「別にそこまで意外でもないと思うがな。部隊は対立しがちだが、私たち自身はそこまで険悪なわけではない。かといってもちろん、仲良しでもないが? 何て言うかな……あのヒトは赤薔薇の中でちょっと特殊な頭をしてる方でね。昔から、そうだな、私が愉快犯で、おじじは傍観者って関係だった。教育にかけちゃ徹底した放任主義だ。助けてくれないし責任も負ってくれないが、代わりにこっちがやらかしてもよっぽどの事がない限り止めないしとがめない。まあそういうことで、私は大いにフロンティア精神と自立心を鍛えてもらったのさ。恩もあるが恨みもまあまあある。でもおじじは恨みしかないだろう」
赤薔薇といえばうるさい小言や嫌みを言ってくるイメージが先行しがちだが、思い出してみれば確かに茶会でもウェスリーは徹底したスルー力を誇っていた。その前のあれこれに思考を巡らせても、周囲の赤薔薇達ががやがやうるさく言っている中で団長だけは毎回黙り込みがち、本人が苦言を呈したところはあまり思い浮かばない。もちろん、言っているときはしっかり言ってはいる。貫禄があるので一つ一つの発言が印象に残りがちだが、言われてみれば彼は確かに前から、基本的には黙って見ているだけのヒトであった。
なおもティアが聞き出そうとすると、黄薔薇団長はしまいには愉快そうに肩を揺らし、ばさばさと二つの翼を大仰に羽ばたかせながら、
「そんなに詳しく知りたいのなら、今度茶会でおじじに聞いてみたらどうだ。バーティーの過去の悪行を聞かせてくださいって言ったらもっと怖い顔になるぞ。とは言え、私よりだいぶん正直で信頼できる類のヒトだ。菓子の駄賃に、さぞかしたまった鬱憤をお前にぶちまけてくれることだろうよ。私は昔から問題児だったからな。是非反面教師にしてくれ」
とまで言ってくる始末。問題児認定されていることを嬉々として語るあたり、実にこう、安定のヘイスティングズである。
果たして今度はどれほどの茶菓子が消費されることになるんだろう。今でもこの調子の師父の青年期のやんちゃっぷりなぞ、想像するだけで頭が痛くなってきそうだ。甘味に逃げたくなるのも責められないのではなかろうか?
ただ一方で、しっくりと来た部分もあるのだ。ウェスリーが前々から他部隊の自分のことをよく知っていたような様子だったこととか、あのマイペースでこっちの調子をことごとく崩してくる態度だとか、何があっても動じない部分だとか――。
あの師にしてこの師ありだったか。
顔を渋くしつつもなぜか納得してしまうティアである。そんなティアの頭を、現在も問題児であるらしい師父は久々にひっぱたいて楽しんでいた。
師父と一緒にいつも通りの生活を送っていると、リリエンタールからの絡みが増えたことぐらいしか前との明らかな差異はなくなってきているように思える。
ただ、誰もが皆共通して邪眼や一連の事件に関する事はあまり話題にしたがらない。
これは何も黄薔薇や近衛部隊に限ったことでなく、王城全体の雰囲気としてそうだった。
犠牲者は弔われ、保護され、今でも何らかの処置や手当を受けている者も少なくない。問題はとことん話し合われ、新たな対策も立てられた。が――それでもどことなく、皆がもうあれは過去の話にしたがっている節がある。
ティアにはそれがいいことなのか悪いことなのかわからない。陰気な空気が徐々に晴れていっていることなら、とても好ましいと感じている。
どこかぎくしゃくしていた子羊たちの中の空気も、忙しさに紛れて日々を過ごしているうちにいつの間にか元に戻っている。特に何名か会長に対して明らかに敵対心や疑念を抱いていた素振りだった者達は、まるでそんなことをしていた自分自身すら忘れているように見える。
だがティアも、他の子羊たちも蒸し返すことはない。
いつの間にかまた笑顔で迎えに現れるようになったニコを見ながら、きっと彼らはこういうものなのだ、とティアは思う。
ヒューズはたまに見かける。こちらが見ていることに気がつくと、彼は碧色の目を細めてニヤリと笑って見せる。
ティアはまだ、何も言わない。なんとなく見えてきたものもあるが、答え合わせには決定的なものはないと思っている。そもそも答え合わせをする必要もあるのだろうか。
誰もがそうしているように、嫌なことを忘れ、少し気になったことなんて流して、そのまま生きていっても何も問題はないのではないか。
老人は言った。
触れるのは、逆鱗。
顎の下、喉のくぼみをそっと手で覆いながら、黒龍は目を閉じる。
ティアもまた、待っていたのだ。一つの答えを出すための機会を。
夜中に、ふと目が覚めた。
ベッドから這い出て、部屋の扉の様子をうかがいに行く。何か確信めいた予感に胸を高鳴らせながら扉を開けてみれば、特に人影は見当たらない。代わりにティアの顔の前をひらひらと蝶のようなものが飛んでいく。
慌てて服を寝間着からもう少しましな風に整えてから後を追う。
いつもと違う手順に少し感じることはあるが、いそいそと追いかけていくと、果たして見覚えのある場所をいくつか過ぎ、蝶は一つの扉の中に吸い込まれるように入っていく。
ティアもまた、あたりをそっと見回してから滑り込む。小さく扉を閉じる音に反応したのだろう。いつ見ても増えるばかりで一向に減る気配のない本の群れに埋もれるようにして、彼女はソファーに身を投げ出し、こちらに顔だけ向けてくる。
散乱する本の群れと戦いながら(そして案の定倒しまくって彼女を苦笑させた)、ソファーまでなんとかたどりつき、仰向けに寝転がっているリリアナを眺める。
リリアナは何度か見たことのある鈍色基調の服を身にまとい、しわになりそうなのを気にもせず、相変わらず身体を投げ出したままだ。ティアが近づいても目を向けて、瞬きするのみである。
久々の再会、本来なら今すぐにでもフィーバータイムを始めたい所なのだろうが、ティアはやけに冷静だし、少々困惑気味に眉を下げてすらいる。
明らかに、何か様子がおかしい。
「急に呼び出したみたいだけど、どうかした?」
控えめに声をかけてみると、彼女は手で何かの指示を出してくる。背もたれのない方に回り込んでこいという意味だと悟ったティアが指定された位置までやってくると、さらにちょいちょいと手招きされる。いろんな意味で胸をときめかせつつも従ってみると、なんと彼女は両腕をのばし、自分の覗き込んできたティアの首に回してぐいっと引き寄せる。必然的に、ティアはさらに身体を倒し――まああれだ、椅子の上に寝っ転がっているリリアナの上に覆い被さっている、俗に言う押し倒している感じの格好になる。
「リリアナ? どうしたの? 何か言ってよ――う?」
呼びかけてみるが返事はない。彼女はただ、ティアの言葉に反応するように無言でぎゅっと腕に力を込め、さらに身体を密着させてくる。
表向きとても冷静そうに見える子竜だが、その内ではたった今すべての悩みがどうでも良くなって、同時に非常に重大な問題が浮上しつつある。
この展開はどういう風に空気を読むべきなのか。
可及的に速やかに解決策を見いだすべく、激しい脳内会議と葛藤が始まった。




