ウェスリーの茶会 後編
連続更新2話目
ふと、じっと注がれている視線を感じて思考のもやから現実に意識を戻してくると、ウェスリーはなにやらしげしげとこちらを見ていた。
「ところでテュフォン。竜族の親子の形とは、我々ヒト種とは異なるものだと聞く。なんでも、非常におおらかだとか」
唐突に投げかけられた質問にティアは戸惑うが、その前の話題も親子に関係することであったと言えばそうである。一応文脈的には乖離しているというわけでもないのか。ウェスリーの素朴な疑問は続く。
「竜の里では、子が父でない父に育てられ、母は子を産むだけだと聞く。本当か? 私には信じがたい」
「まあ、おおむねそうです。雌が育児を担うこともありますが、基本的には生まれてきた子の面倒は雄が見るものです。育ての父と産みの父が一致していることもありますが、たいていは別の雄で役割分担しています」
竜族のあれこれを大いに逸脱気味の自分が、竜族の標準習性を語るというのもなんだか奇妙な感じである。彼の脳裏には竜の模範である妹の姿が描かれており、生き生きと目を輝かせながらあまたの雄に襲いかかっている。
……本当にこれが見本でいいんだろうか。魔人たちから竜に対する新たな誤解を招く気もするが。
ふわふわと若干の妄想を交えながらティアが説明すると、ウェスリーは薄いリアクションなりに何か感じ入っているようだった。竜族の習性には眉をひそめるものも多いが、意外なことに赤薔薇の団長、ストイックな魔人であるはずの男は興味深いといった態度のみで、嫌悪感等を顔に出す様子はない。
「母親はともかく、父親は見分けがつかなくなってしまわないか。不自由や、嫉妬はないのか」
「血のつながりが濃いもの同士ならなら、近づけばすぐに嗅ぎ当てられますし……嫉妬はしないわけではないですが、お互いに認め合っている正当な伴侶であれば文句は言いません」
「嗅ぎ当てる?」
「言葉で説明するのは困難です。……こう、この人が父だ、これが自分の兄弟だ、と頭の奥にピンと来る、というか」
ティアには肉親がいないので大体エカトリアが昔語っていたことの受け売りである。すると聞いているウェスリーにも何かが伝わったのだろうか。彼はふと何かに思い当たったような様子で聞いてくるのだ。
「両親は健在か」
「育ての親ならば、今も里で暮らしています。実の父は生まれたときには亡く、母も物心つく頃に死にました」
「……祖父母は元からいないか」
「はい」
「となると、天涯孤独ということか。異種云々ですらなく、お前には親子というものすら真の意味ではわからないのかもしれぬな。あるいはそれが……」
考え込むように口ごもり、彼は一口茶を口にする。
それを見て思い出し、ティアもまたカップを口元に運ぶと、ウェスリーは飲み終わった後も受け皿に戻さず、両手で抱えてゆらゆらと表面を揺らしながら小さく何かを口にしている。黄薔薇騎士は耳を澄ませた。
「血は水よりも濃い。肉親の情とは恋心以上に度しがたいものだ。恋人は所詮他人。わかれてしまえばそこで終わる。血のつながりは勘当しても切れぬ。ヒトとはな……生まれという呪いから、なかなか離れられぬ生き物だ。お前には守ってくれるものがいないが、代わりに縛られることもない。この断絶は大きい」
思わず見下ろしたカップの中身の液体は、澄んだ赤茶色をしている。
親子。血のつながり。確かにティアには肉親のつながりを語られてもどうも実感がない。その一方で、わかれてしまええば所詮他人、という言葉に反感を覚えつつも、妙にすとんと胸の内に落ちてくる。語り手が老人であり、誰か心あたりのあるような面持ちで話しているせいなのかもしれない。
カップに視線を落とす。そこに愛しいヒトを夢見る。波紋がいくつも立っていた。
「口は軽くないだろうし、私が口を閉じていたところでいずれはたどり着く事か。お前に一つ教えておこう」
ウェスリーの声音が少々変わった。何か不穏な予兆を感じてティアが顔を上げると、長年城で暮らし、あらゆる光景をうつしてきたであろう深い色の瞳がこちらを鋭く射ぬく。
少しだけ声を潜めるように、何かをはばかるようにウェスリーはしゃべり出す。しかし、他に動く物もない彼の私室ではしんとした中にその小声が妙に響いて伝わる。
「今ではあまり騒ぎ立てる者もいないが。殿下が生まれた当初、陛下は彼女を避けていたことがある。生まれてきたばかりの我が子を、あの方は最初愛せなかった。王妃の喪に服したまま祝福もそこそこに、世話は侍女と侍従にほぼ任せてご自分は公務に没頭した。最愛の妻が逝去し、残った子の容姿は死してなお憎らしい先代とうり二つ。……感情の整理がつかなかったのも、当然と言えば当然のことだったのかもしれない。赤ん坊であった時の殿下には誰も近づきたがらなかったよ。母親殺しと陰でののしられ、王の意向を汲んだ世話人は彼女の泣き声をことごとく無視した」
ティアは思わずあんぐりと、目も口も開けてしまった。
あの親馬鹿の塊が――ことあるごとに自分の邪魔をしてきたり、「娘は渡さん」とばかりににらみつけてきたりする悪い子煩悩の見本みたいな男が、かつてリリアナに対して敵意を抱いたことがあったのだと言う。にわかには信じがたい。それにリリアナがそんな、まるで。
まるでかつての自分のように、本当に誰からも手をさしのべられなかった時があったなんて。
「あるとき、殿下が熱を出した。発見が遅れたせいで悪化して、一時は医師から厳しい宣告があったほどだった。……驚くほどの事ではない。殿下は少し……早産の気があってな。生まれてきたばかりのあの方は、本当にお小さかった。強大な魔力をうまく制御しきれず、自己修復機能も不十分で未発達だったのだろう。だが原因が魔力暴走ゆえ、下手に魔術や魔法の施術をほどこしてもかえって悪化する可能性があった」
聞いたことのない話である。固唾をのんで聞き入っていると、ウェスリーは一度会話の合間に喉を潤す。
「さすがに陛下も手を尽くされた。幸いなことに殿下は持ち直し、特に後遺症が残ることもなかった。……だから、それからなのだ。陛下があのようなお姿になったのは。仲むつまじくなったのなら、それで良いとも思っていたが――」
ウェスリーは言いよどむ。ティアは辛抱強く続きを待った。するとどこか根負けしたかのように、ぽつりと彼は付け足す。
「そんなはずはないとわかっていてなお、時々思うことがある。殿下はあの時のことをすべて覚えていらっしゃるのではないか。実の父すら自らを省みなかった、世界が彼女の敵であった記憶を、どこか深いところに抱え込み続けてしまっているのではないか、と」
手が、滑ったのだろうか。気がつけばティアは音を立ててカップをひっくり返している。幸い中身をこぼしただけで今回は器物損壊にまでは至らなかったらしいが、やらかしたことには変わりがない。
動こうとするティアをとどめて、ウェスリーが立ち上がり、近づいてくる。眉一つ動かさず食器を元の位置に戻して修復魔術を唱え、何事も起こらなかったかの状態にしてから彼は改めてティアを見つめ、神妙に告げる。
「初代魔王。当代魔王。次代魔王。彼らはすべてつながっている。悪夢達は物知りだ。秘密を紐解くための鍵にもなろう。まだお前自身の疑念をどうにかしたいと思っているなら、思い続けるようなら、そのことを覚えておくといい。だが心せよ、黒龍。お前が触れることとなるのは、彼らの逆鱗だ」
ティアはウェスリーを見上げている。赤薔薇の男はしばらくそのままじっと、感情の読み取れない顔でティアを覗き込んでいたが、急に深く息を吐き出すと、どこか疲れたような仕草でぽんとティアの肩を叩く。
「……私が話せるのはこのぐらいだ。今日はもう帰りなさい」
促されてティアはよろよろと立ち上がる。頭の中は今聞いたことで一杯で、衝撃を受けた重たい足取りを進めようとすると、退出直前になってウェスリーがそうだ、と背後から声をかけてくる。
「また茶菓子を食べに来なさい。皆恐縮してな、なかなか素直な感想を言ってくれない。お前ならいつでも歓迎しよう」
結局、自分は老人の茶会に巻き込まれ、気に入られたということなのだろうか。
首をひねりつつ部屋を出たティアの頭からは、すっかりひっくり返したあれやら割れたそれやら曲げたどれやらのことは抜けている。しかしウェスリーにとっても些事であったらしく、その後追求されることはなかった。




