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上げて落とされる

 とりあえず、片手をリリアナの背中に回してなだめるように撫でながら、もう片方の手は自分を支えるためにソファについておく。リリアナはぎゅーと腕に力を込め、ティアの胸元に顔を埋めていたが、やがて力を緩め少しだけ身を離す。目が合ったのでじっと見つめてみると、彼女もティアのことを見返してくる。おそるおそる顔を近づけても特に動きはない。


 唇が重なる。

 最初は軽めに試してみる。ほんのわずか、触れるだけの感触を落として様子をうかがうと、それ以上身を離そうとする様子も拒む様子も特にない。彼女はとろんとした目のまま、子竜の首に両手を回して瞬きしている。


 いける。子竜はティンと来た。椅子は本格的に二人分の体重が乗ったせいでギシッときしんだ。


 今度はリリアナの顎にそっと手を添えて、口づける。すぐには離さず、先ほどよりも強く押し当てる。ふにゃんとしたやわらかい感触に、ティアの血が湧き肉が躍る。オブラートに言うと、心臓の高鳴りが増し、身体が熱くなり、愛おしい気持ちがあふれ出す。端的に言うと彼はとても興奮している。


 リリアナの手がティアの首の後ろのあたりを撫でる。ぞくりと背筋があわ立ったが、もちろん嫌な感情が湧いたわけではない。彼女が息継ぎにだろうか、わずかに口を開けたのでそれを覆うようにこちらもまた口を開けて押し当てる。鼻に抜けるようなくぐもった吐息が彼女から漏れた。それでも嫌がったり拒否を示してきたりするような気配は皆無だ。


 さらにいける。子竜はティンティンっと来た。椅子がギシギシと不満そうな声を上げている。


 開いたまま重なっている口。そこから舌を伸ばして入れて、歯列をなぞりあげる。リリアナがうめくようなあえぐような声を漏らす。彼女が震えて力を抜いたので、少し強引にこじ開けて奥に侵入する。口蓋を舐め上げてから、最終目標の舌を探り当てて絡みつく。何かする度にいちいち震える華奢な身体が愛おしい。


 リリアナは基本的にキスから何から受動的な方である。向こうからぐっと迫ってくることは少なく、大丈夫な場合はティアががっつくのに好きに任せている事が多い。しかし今日はおずおずとながら、彼女の方からもわずかに舌を絡ませてくる気配がある。思わず驚いて目を開けるティアだが、あちらはうっとりと閉じきって感覚を楽しんでいるらしい。ティアもまた、同じようにする。水音と、吐息の音が絡み合って周囲の本の群れの中に霧散していく。


 どんどん、と胸板を叩かれてティアは一度口を離した。名残惜しいが、酸欠の合図だ。守らないとまれにムードぶちこわしの制裁が飛んでくることもあるので、従うのがベストである。ぷは、と息継ぎの声を上げている彼女と自分の間に銀糸が伝っていた。気がついた彼女が眉根を寄せる。彼にはわかる。これは不快感を示しているのではなく、照れているだけなのだ。実際彼女の頬はほんのり赤いし、私は関係ないぞ、とでも言うように視線もそのあたりにさまよわせている。


 たまらなくなってもう一度噛みつく。今度はぴったり密着させるのではなく、何度も何度もついばむように角度を変えながら、口だけでなく顔のいろいろな場所に唇を押し当てる。額、頬、まぶた、少し延長して耳、戻ってきて鼻、不満そうに声が上がったので再び口。リリアナはどこを噛んでも柔らかく、舐めると甘い。なんでこんなに美味しいんだろう。ティアは頬をゆるませながらそんなことを思っている。


 彼女の手が首から背中の方に下がっていき、爪が服越しにひっかいてくる。ティアの手もリリアナの背中をまさぐり、脇の方から腹部に回って、胸に上がり揉み――たかったのだが、すんでの所で不埒な心を悟られたのか、いつの間にか移動していたリリアナの小さな片手がぎゅむっとこちらの手をつねってくる。仕方ないので再び抱きかかえる動きに戻すと、抱きかかえるのをティアに任せ、彼女も背中に回していた手を広い胸板の方に回してきて発達した大胸筋をさすりあげる。また別の気持ちよさがあってティアは思わずふうと息を漏らした。


 彼はゆっくりとうやうやしく、リリアナの身体をソファの上に戻す。彼女が自分の顔を両手で包んで指の腹で撫でている間に、ごくりと生唾を飲み込み、いよいよ上着のボタンに指をかけてぷちりぷちりと外していき――。


「……お前、一体何してるんだ?」


 そこで、ストップの声がかかった。

 まぎれもない、今ものすごく盛り上がっていたはずの本人から。


 ぎぎぎ、と手入れの行き届いていない蝶番の音がなる勢いのぎこちなさでおそるおそるティアが首を回し目を下ろすと、ものすごく冷静にこちらを見ていらっしゃる二つの金の瞳とかち合う。さっきまで濃厚なロマンスの空気に浸っていたとは思えないほど、真顔でいらっしゃる。


「……キス、してたよね?」


 何かの間違いだったんだろうか。たっぷり数秒間硬直してからようやくティアが言葉を上げると、「してたな」ととても落ち着いた言葉が返ってくる。そのあまりの熱のなさにこみ上げるものもないわけではないが、とりあえず事実として幻覚ではなかったことが保証され、ティアはほっとした。


「じゃ、なんで服のボタン外すんだ」


 一安心、これにて無罪放免かと思ったがそんなことはなかった。

 ちなみに彼は今現在も第三ボタンに手をかけたままであり、リリアナの手は阻止するように彼のその手に重なっている。ティアはきゅうん、と竜族特有の甘え声を上げて情に訴えかけてみたが、冷たい細められた目が返ってきただけだった。仕方ないので弁術を用いる。


「だって脱がせないと」

「はあ? なんのために?」

「するために」

「何を?」


 空気がかたまる。というよりもティアが完全にフリーズした。

 その隙にリリアナはぱっぱと彼の手をどかし、馬乗りになっている彼の下から這い出ていってしまう(ティアが潰れないように腹筋やらなにやらを駆使していたおかげで脱出可能だったようだ)。広いソファの端っこの方に腰掛けて、ふああ、とあくびをしながら伸びなんてしているリリアナに、未だ理解したくない現実と戦っているティアがぎくしゃくと口を開いた。


「えっ。えっ? あれ、ひょっとして、わからない?」

「わからないから聞いてるんだろうが。キスはわかる。抱きしめてくるのもわかる。服剥ぎは理解できない。何がしたいんだお前」

「お、俺をからかってるとか……」

「からかう理由なんかないだろう、このタイミングで」


 彼女はごくごく自然体、当然そうな顔でいぶかしげに答えてくる。


 ティアの頭の中は大混乱だ。

 えっいやだって今のどう考えてもお許しが出てたってことなんじゃないのエカトリアの持ってきた本ではこういう感じのシチュエーションになったら成功するもんじゃないのそもそもリリアナがこちらの意図を全く理解できてない感があるんだがこれは一体どういうことなのもしかしてもしかするとそういうことなの。

 しかし現実は無情である。


「前にも言ったような気もするが、いいか。私に裸族の趣味はない。脱ぐなら一人で――いや脱がなくていい。お前も脱ぐなよ、さすがに追い出すからな」


 もはやどこか面倒、億劫そうですらある雰囲気で手を振りながら言っている彼女に、子竜はすがりついた。


「でも、でも! 触るのはいいんだよね!?」

「うん? ……思わせぶりになで回したり、尻や胸を揉みしだかないな」

「なんでだめなの?」

「なんで駄目だと思えないんだ? しかも食い気味に言うほど必死なのはなんなんだ?」

「せめてキス――キスしよ、もう一回!」


 がばりと飛びかかるティアだが、ひょいとかわされる。

 彼の顔はこの短時間の間に、吟味、多幸感、恍惚、戸惑い、驚愕、それから真顔というあらゆる種類に忙しく変化している。今度はこの世の終わりのような絶望に満ちた表情になった。ソファから降りて避難したリリアナは、子竜からさっと顔をそむける。


「なんで逃げるの!?」

「……別にいいだろ、さっき散々したんだから」

「全然よくないよ!」

「うるさい耳元で叫ぶな!」


 両耳を塞いでリリアナが言うので、思わずがっしりとその細い両手首をつかみつつティアは言いつのってしまう。


「だって、だってっ! そういう雰囲気だったじゃないか!」

「ふーん、そうか。お前の中では首に抱きつくと『裸にして撫で回してもいい』の意になるわけだな。実に勉強になった」


 違う。いや、違わないけど、違うんだ。


 半眼になった恋人が今間違いなく自分にとって不利な学習をした、および自分の株を下げた事にティアはもう心が折れそうである。これが上げて落とすって奴なのか。意気消沈した彼はすごすご引き下がってしおれ、そのときになってようやく落ち着きを取り戻してくる。


「……あの。そういえば結局、今日はどうしたの?」


 なし崩しになんか行けそうな予感がしたから突っ走ってしまったわけだが(そして結局行けなかったわけだが)、思い出してみればそもそも呼び出された理由すらきちんと聞いていなかった。首をかしげるティアに、リリアナは未だ視線をそらしたまま返答する。


「顔が見たくなった」

「……それだけ?」

「それだけじゃ悪いか?」

「いや全然悪くはないんだけど、リリアナはいつも忙しいし」

「忙しいから、会いたくなったんだ」

「なんかいつもと様子が違うんだけど」


 うっかりすると、思わず舞い上がってしまいそうな言葉ばかりである。先ほど部屋に入ってきたばかりの子竜なら間違いなくこの時点でデレデレになり、「そっかー」なんて言いながら満足しただろうが、あいにく先ほど気分の乱高下を体感した直後だった。

 崇拝対象リリアナと同じ空間にいる割にかなり冷静になっているティアが不審、というよりも気にかける目を向け続けていると、彼女はさすがにごまかしきれないと悟ったか、諦めたようにため息を吐いた。


「そうだな。お前が変な態度になるのも無理ないか。私自身が少しおかしくなってるだろうから」

「リリアナ?」


 彼女はソファに、ティアの隣に戻ってきて寄り添うように座り、そのままもたれかかってくる。ティアが首をかしげて見下ろすと、視線をこちらに向けないまま声がかけられる。


「ティア。お前は私の子竜。そうだな」

「うん」

「お前は私のものだな?」

「リリアナも俺のものだよ」

「ならお前は私から離れていかないな?」

「うん」

「心も体も裏切らないな?」

「うん」

「一生尽くしてくれるな?」

「うん」

「どうして?」

「愛しているから」


 次々と投げかけられる質問すべてに食い気味に即答すると、リリアナは一度黙り込み、唇を引き結んだまま身体を起こして、ぴんと指でティアの額をはじく。


「ばぁか」


 おそらく彼女を見つめている顔がさぞかしだらしないことになっていたのだろう。ティアは続いて両頬をみょーんと引っ張られることになった。彼女は適当な長さまでティアの両頬を伸ばしてから、いきなり離す。ゴムほどの弾力はないが、そこそこの勢いで頬は戻っていった。


「ふぁう」


 間抜けな声を出している子竜に、彼女は再度身体を寄せてくる。ティアは少し迷ってから、腕を回して抱いた。その動きに、ほ、と彼女はどこか安堵するような息を漏らす。


「お前は私を置いていったりしない。一人にはしない。そうだろう」

「リリアナ」


 頭の奥にすっとしたものが走るような感じ。何か勘が働いたような、その感じたままのことを、ティアは若干迷ってから口にする。


「誰か、いなくなったの?」


 リリアナがまとっている空気。それの正体を考え、探り、思い当たったのは喪失感という言葉。彼女は瞬きしてから、視線を下の方に下げる。


「まだだ。でも、もうすぐいなくなる」


 やはり、と思うティアは、また少し考えてから、控えめに尋ねてみる。


「誰?」


 彼女の様子からして、相手はそれなりに親しい関係のヒトなのだろうと思う。しかし、ティアの心あたりにはぱっとそんな急にいなくなりそうな誰かは思いつかない。

 何度目だろうか、深く息を吐き出して、長い沈黙を挟んでからリリアナはようやくつぶやいた。


「ばあや。……私のばあやが、もうすぐ死ぬ」

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