戻ってきたあいつ 後編
余裕のある態度で室内の人員を確認したヒューズは、けたたましく鳴り響く警報の音にわざとらしく耳を塞いで見せる。奥の方の博士がはっとした様子で駆けていくと、間もなくうるさい警告音は止んだ。赤髪の男はこれまたもったいぶった動作で両手を離し、肩をすくめる。
「この反応ってことはまあ、プライベートセキュリティシステムは未だ稼働中ってことなのかな。僕の指示が守られているようで、何よりですね」
相変わらずどこか気に障る喋り方というかトーンというか。ティアは徐々に、それでいて確実に自分の中の何かのゲージが溜まっていくのを感じつつ、憮然と黙り込んでいる。
「会長、今までどこに?」
「いつ戻ったのでありますか!?」
「まっ、まぎらわしいじゃないっすか――!」
数拍後、我を取り戻したらしいセシリー、助手、ニコの順に声を上げる。セシリーは比較的落ち着いた話し方だが、やかまし二人組の方はまくしたてるので再びヒューズは耳を覆うポーズを取った。細長い談話室の片方の短辺からもう片方の短辺といった位置にそれぞれがいる割に、しっかりはっきり耳の奥までキーンと響く。
「うるさいなあ。そうキャンキャン吠えなくてもちゃんと聞こえてますよ」
「だってだって! 会長がいない間に、おれっちたちがどれほど――」
「急にいなくなってほとぼりが冷めた頃に帰ってくるとか怪しすぎるのであります! 助手にもわかります! 最低限の説明を求めるのであります……博士が」
「助手、この裏切者! そこでこっちにパスするんじゃない!」
「死なばもろともであります、博士!」
「助手ぅっ……!」
なぜかそろりそろりと部屋の奥隅、なるべく目立たない所まで行こうとしていた博士を、日ごろの恨みなのか相棒の信頼なのかバニー助手は積極的に巻き込みに行っている。
ちなみにティアの方は矢面に立たされるのが面倒なので、こっちにキラキラ視線を投げてよこしたニコに向かって無言の圧力をかけた。弱き短命種は簡単に屈し、涙目でしゅんと沈んだ。
「あーはいはい。んじゃ順番に処理していくからピーピーわめかない」
ヒューズはいかにもぞんざいに手を振って――急にその手がびゅんと鞭のようにしなったかと思うと、ティアの方に飛んでくる。片手でティアが変形したヒューズの腕を止めると、屋内にまた一瞬の静寂と動揺、緊張が走る。しかしティアが全く動じない様子で温度低めの目を投げ続けていると、すぐにヒューズはおどけたように表情をゆるめて身体を元に戻した。
「警備システムが作動するのは結構なんですけどね。ちょっと君たち、早々に油断しすぎじゃないかな。僕じゃない奴が入ってくる可能性は考えなかったんですか。もう少し質問して試すなり罠にかけるなりなんなりした方が良かったと思いますよ」
両手をパンパンと払っている相手の呆れ混じりの言葉に、ティアは他の誰よりも素早く、自信を持って答える。
「問題ない。俺はお前を見分けられる。お前と違っている奴だったら、あのまま止まらずに殴り殺していた」
「相変わらず脳筋理論ですね。さっさと殺しちゃったらそれ以上情報収集できないでしょうに。侵入経路とか動機とか。ま、その辺も今は割とどうでもいいんですかね。えーと、この面子って事は――」
さらりと時事ネタで近衛武官の心に一撃入れていく会長である。
やっぱりこの、いちいちイラッと頭に来る物言いは、間違いなく本人のものだ。早くも額に血管がうっすらし始めている近衛や、周囲でわーわーわめいている二名を放っておき、会長は大人しく順番待ちしている文官にまずは向かった。
「セシリー、仮眠が終わったなら戻った方がいいですよ。下で早くも大人気だったんでね」
「……ふあーあ。できる女は辛いのですわー。せーっかく、暇を見つけてサボッ――皆様にー、ご活躍の機会を譲って差し上げようとー、考えていましたのにー」
「後で僕からもなんとかするから」
「お話も聞かせてくださいねー? 約束ですよー?」
セシリーははあ、と大きく息を吐いてから、杖を振り振り鼻歌を歌いながら部屋を後にする。愚痴っている割にはまだ余裕がありそうな態度だった。
一人減ったのを見送って、会長は残りを振り返る。
「で。なんでしたっけ」
「今まで何してたのか聞きたいのであります、博士が!」
「おいっ」
「どこに行っていたのかもっす!」
「どうしてこの一大事に顔を見せなかったのかもであります、博士が!」
「助手、おやつの恨みか? 昨日のおやつの恨みか!?」
「っていうか、いなかった割にやっぱり全部把握してるっぽい口ぶりとかも、教えるっす!」
「いや機密事項なんで」
やはり何かの不信感がぬぐえないのか、入ってきたときの登場の仕方が色々と物騒だったせいか。椅子や机をさりげなく、いやとてもわかりやすく盾にして、距離を保ったまま交互に抗議している二人に、ヒューズは面倒そうに髪の毛をかき上げながら答えた。すると退廃的な美貌の迫力が増し、一般人二名は気圧されて勢いを削がれる。いかにも危ないヒトオーラを醸している男は一番近い椅子の所までふらふら歩いて行って背もたれに手をかけるが、そのまま軽く体重をかけているだけできちんと座ろうとはしない。
ティアもまた、なんとなく横で直立したまま、すかした顔とすました言葉を眺めて聞いていることになる。
「あのねえ。僕はいつだって殿下のご意思に沿って動いているんですよ。会長って呼んでくれているんだし、それぐらいは信じてもらいたいんだけどな」
「でも、あなたの同族が城をめちゃくちゃにしたのに――」
口を開けたまま言葉だけが喉で止まってしまったらしい二人の代わりに思わず博士が発したらしい言葉はよく響いた。次の瞬間、びゅんと三つの影が部屋を飛んでいき、ひゅっと奥の博士がおかしな音を立てて息を飲んだのがわかる。
「ドクターエックス。親愛なる君と僕の仲だし、今回は一度目だから警告で済ませておこう。だが二度目の手加減はないかもしれないから、しっかり覚えていてほしいな」
ヒューズはにこやかな微笑みを浮かべているが、博士の周囲にはどこからともなくあっという間に出現した三人の獣人――しかし瞳が虹色に発光しているのと、手先がぐにゃりと変形してそれぞれ博士の両脚、両腕、首に絡みつくようにして拘束している様からナイトメアだと一目でわかる――がそのまま微動だにせずにいる。ティアは視線を横の男にひょいっと投げかけただけだが、さりげなく右手がフワッと移動し、男に向かっていつでも手を振り下ろせる位置まで移動させる。
「あれと俺を、一緒にするな。不愉快だ」
端的に、簡潔に。珍しく彼は自分の心を隠そうともせずに語った。
ごくり、と博士ののどぼとけが動く。
ヒューズが牙を剥くように口を歪め、尋常でない雰囲気で目を光らせていたのはその一言を発した時のみ。すぐに彼は元のへらりとした表情に戻り、同時に博士を押さえていた三体もぱっと愛らしい獣人メイドの姿になってわいわい騒ぎだす。ティアもそっと手を下ろした。
「パパ上ー、せっかく戻ってきたのにこんなサプライズ酷いよー! 僕たち悪役みたいじゃーん!」
「わーい、ミンナ久しぶりー!」
「元気してた? まさか俺たちの事忘れた? 覚えてない?」
ぴょんぴょんと跳ねまわるヒューズの三人の息子たちに向かって、博士も助手もニコも強張った微笑みを浮かべる。いやもう微笑みというより、笑おうとして失敗しましたという感じしかしない強張った表情だ。先ほどの事がなければもう少し素直に再会も喜べたのだろうが――。
邪眼の急襲を受け、未だナイトメアに対する恐怖冷めやらぬ城内である。
戻ってきたまとめ役に対してまとめられるべき者たちが今向けている眼差しには、拭いきれない疑惑と不信――それから恐怖のような色がにじみ出つつあった。
赤さびと黄金の混ざったオレンジ色の目を細く狭めて状況を静かに見守っている、ティア=テュフォンただ一人を除いて。
それでもヒューズの態度は変わらない。いっそ場違いなほどに。
「フェイル、ディル、キオル。どうしてもって言うから挨拶はさせてやったけど、さあ、もうこれで気が済んだだろう。各自とっとと配置に戻るように」
「はーい、パパ上」
息子たちはいまいち盛り上がらないかつての仲間たちの反応が少し不服そうではあるが、父親が命じるとパラパラと順に部屋を出て行く。
しかし、最後の一人だけは阻まれた。入り口付近でヒューズの側の位置を確保していたティアが太い腕を突きだして制止したからだ。
「えっ、なになに?」
記憶によれば、このナイトメアは三人息子の末っ子――他の二人より少しのろまで理解が遅く、三人の中で誰かが失態をやらかした時の主な主犯となる、そんな人物だった。今も突然の事に驚き、おどおどとした反応をしている。
いや。
そんな性格をしている人物のはずだった。
「お前は末の、じゃないだろう」
至近距離でじっくり見分し、確信を持ったティアは言葉を投げかける。え、の形に口を開けたのは言われた方と奥の三人。
「そこでへらへらしてる奴も、一番目も、二番目も。少し様子がおかしいところはあるかもしれないが、戻ってきたのはちゃんと同一人物だ。だがお前は……お前だけは、俺の記憶にない臭いをしている。お前は前の三番目とは別個体の奴だ」
ティアは瞬きもせずに、くりくりした目の獣人に化け、ほわほわとしている――いや、していた知り合いにそっくりな誰かさんを見つめ続ける。最初は何を言われているのかわからない、といった様子でニコニコしていただけのナイトメアは、ティアが問うどころではなく明らかに理解している眼差しを浴びせ続けていると、だんだんと表情を歪め、最終的にくしゃっと顔を歪めて鼻をすするような音を立てた。
「パパ……」
泣きつかれたヒューズは静かに黙ったまま成り行きを見守っていたが、完全にばれたと悟ったのだろう。椅子の背もたれに体重を預けて突っ立ったまま、目を閉じて頭を軽く振り、ぽそりと漏らした。
「まったく、竜族の優れた感覚器官ってのは、本当に厄介なものですね」




