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戻らない何か 前編

 相手の肯定を得てやはりそうかと一人納得しているティアだが、他はぽかんとした顔で瞬きを繰り返している。なかでもニコはまったく今の言葉が理解できない、といった様子だ。


「か、会長? どういうことっすか?」

「別に。どういうもこういうも、あなたたちの知っていた前の三番目がいなくなった。なので足りない分を補填した、それだけですが。キオル、お前もこの程度で弱気になるんじゃない」


 つまらなそうな顔でヒューズはニコに答え、それから面倒そうに息子に声をかけた。三男はたしなめられるとぐずぐずと鼻をすすり顔を歪めていたのから、すぐにぱっと花が咲いたような笑顔に戻る。


「僕は少し行く場所があるから、これで一度失礼します。キオル、これも社会勉強だ。相手をしなさい」

「はーい」


 どう見てもそれ以上の追求を避けるための行動だろう。会長は今目の前で起こった出来事の解釈に混乱している者たちを放っておいて、さっさと部屋を出て行ってしまおうとする。ティアは一瞬だけ目が合ったが、特に止めるでもなく黙認した。


「待つっす、会長!」


 姿が見えなくなってようやく、ニコは動き出す。ところが追いかけようと足を踏み出した彼の前に、にゅるんと一本の触手が現れて制止した。


「ダメだよー、パパ上のジャマをしちゃ」


 微笑みを浮かべたまま、キオルと呼ばれたナイトメアは短命種の行く手を阻んだ。ニコの顔は青ざめ、悲鳴を上げて後ずさる。ナイトメアはあくまで無邪気な様子のまま、首を傾げている。


「そんなに何かおかしいことでもあった?」

「お、おかしいっすよ。だって――会長、キオルさんが、し――死んじゃった、って」

「前のキオルの事? うん、死んだけど」


 さらりとナイトメアは答えるが、理解できないでいるままらしい短命種の態度に、徐々に困ったような顔になり、少しの思案の後説明を開始する。

 ニコはティアに助けを求めるような目を時折投げかけてくる。黒龍はこの場においてまるで彫像のごとく微動だにしない。その顔からは何の感情も読み取れなかった。

 触手がうねると、短命種は反応して怯える。


「あのね。前の奴は、追手からニげる時にね、ちょっと多かったから引きつけたんだ。そうしたらこう、とびかかられて、びょーんって四方八方からツカまれてね。みょーんってノびて、でもからだには限度があるじゃない? ばつんぶちんって切れちゃって、ぶしゃーって中身が飛び散って。で、ムキダシになったカクにトドメ。それでオシマイ――だったらしい、かなあ? さすがに死んだシュンカンまではヒキツイデないもの」


 ナイトメアは喜色を浮かべ、さも自分が当然の事を喋っているのだと言った調子である。数歩下がったニコは、誰かにぶつかってひっと飛び上がった。振り返ると、いつになく真面目な表情をしたバニー姿の助手が移動してきており、どこか励ますようにニコを軽くたたく。そのまま肩に手を置いて鋭い視線を部外者に向ける。


「確認のため、いくつかお聞きしたいのであります。あなたはキオル氏ではないのですか?」

「ぼくが今のキオルだよ」

「……今の?」

「パパ上はね。子どもは三人って決めているんだ。一人目はフェイル。二人目はディル。三人目はキオル。だからぼくはキオル」

「……前のキオル氏は、死んでしまったのでありますか」

「さっきもそう言ったのに」

「つまり本当に、シーグフリードさんや会ちょ――ヒューズ氏が語るように、あなたは同じ名前ではありますが、助手たちの知っている方とは別人……ということなのでありますね」


 助手は一度呼び方につまり、それからよりよそよそしい言い方に直す。彼女が口を閉じるのと入れ替えるようにして、今度はニコが何度も首を振りながら口を開いた。


「わからないっす。あなたも、会長も、なんか――なんか気持ち悪い。さっきからおかしい言い方してるっす。あなたは、会長の息子さんっすよね?」

「そうだよ。ぼくはパパの子だよ」

「会長の末っ子さんは、キオルって名前だったんすよね?」

「そうだよ」

「だけど前の三男が死んで、だから今のあなたが来たっすか?」

「そう――」

「それがおかしいって言ってるんす!」


 ふわふわ漂っていた触手が怒鳴られてびくんと跳ねた。声を荒げたニコにナイトメアは驚いているらしいが、短命種はぎゅっと両手を握りしめわずかに身体を震わせながら叫ぶように声を上げている。


「あなたと喋っていると、キオルってヒトの名前じゃなくて、何かの識別番号みたいに思えてきちゃうじゃないすか!」

「――? 名前はコタイをシキベツするためのものでしょう? キオルはキオルだよ? 前のキオルから、キオクと役割をヒキツイだんだ。このキオルはまだミジュクだから、経験はこれから積んでいくところ」

「役割――役割ってなんなんすか」

「長男は優秀担当、次男は控えめ担当、三男は賑やかし担当――それから、いざってときのオトリ! ……ねえ、ぼくそんなに変なこと言っている? それともきみはひょっとして怒っているの? どうして?」


 ナイトメアは首を傾げた。触手は彼が表情を動かすと感情を反映して揺れ動く。

 ニコはガタガタ音が聞こえるほどにまで震えており、先ほどよりさらに大きく首を振った。痛めてしまいそうな勢いだ。なだめるように助手が声をかけているが止まらない。


「なんでそんな、物みたいな話し方するんすか! ああ物が壊れちゃったから代えなくちゃ、みたいな言い方で片づけるっすか! さっき補填って言ったんすよ、会長は! 役割が囮って、親子でそんな馬鹿な事があるっすか!? 自分の父親に欠けた備品の補充扱いされて、そんな嬉しそうにへらへら笑ってるなんておかしいっす、異常っす、洗脳でもされてるみたいっす――」

「ジュニア」


 ニコは激昂して吐き捨てるまま勢いよく振り返り、つられるように助手も顔を後方に向けた。沈黙を保っていたドクターエックスは白衣の両ポケットに手を突っ込んで、談話室の隅にひっそりと立ったまま、冷たい眼差しを入口のナイトメアに向けている。


「私たちは今まで深く触れる機会がなかったから、実感できていなかったのかもしれない。でも、これがナイトメアという生き物なんだ。彼にとっては――彼らにとっては、それが当然のことなんだよ。我々の多くが親子は愛と信頼で結ばれる方が好ましいと思っているのと、同じように……彼らにとって、子が親の消耗品であることは、望まれること――いや。常識、なんだ」


 ふらり、とニコの身体が揺れる。助手が気づかわしげな声をかけて支えるが、その声が聞こえているかも怪しい。ただ一人ナイトメアだけが、場違いなほど明るく、まったくいつも通りにお喋りをしている。しゅるり。触手が音を立てて縮んでいき、普通の腕に戻った。ようやく理解者を得た事がそんなに嬉しいのか、ヒトにそっくりなよくできた両手を叩き、ナイトメアは語る。


「そうだよ! ぼくたちは、いわば父親に使いツブされるために、そのためだけに生まれてくるんだ。それが自然に出来ないナイトメアは、明らかなイジョウコタイだ。だって、いう事を聞かない子なんて、いらないでしょ?」

「我々の常識では、親は子を守り残すものでなければならない」


 急に流暢に喋り出した博士に、助手がどこか咎めるような眼差しを、ティアは相変わらず特に何の感慨も見えない傍観者の目を向ける。博士の目はどこかぎらついた危うい熱のようなものを孕み、言葉は浮ついている。すぐにでも貧乏ゆすりを始めそうな――とにかく、どこか様子がおかしいことは確かだった。


「なぜなら親は子に伝え、子がまたその子に伝え、命をつなぎ、営んでいく――それが普通の、いや我々にとっての生命の在り方であるからだ。長命種とて寿命がある。いつか尽きる時、次世代に託す。だがナイトメアは――真逆だ。夢を生きる彼らは不老不死に限りなく近い。外的な要因でなければ死なない」

「博士、もうこれ以上は」

「死なない肉体を持つ生き物に、命の輪廻の法則は通用しない。究極生命体に生殖行為の必要はなくなる。そうだ、親が残るなら子なんかどうでもいい、いくら死んでも構わない。オリジナルである真祖ただ一人のための種、絶対的な支配関係――」

「博士、いい加減にするのであります!」


 はっと彼がようやく言葉を止めたのと、ニコが大声を上げて助手を突き飛ばし、駆けだしたのは同時だった。進行方向にいたナイトメアは自分に向かって走ってきた短命種にわっ、と驚いて跳ねるが、彼が横を通り過ぎてしまうと止めるでもなく放置する。ティアはさすがにまずいかと出口直前で手を伸ばそうとして、


「シーグフリード、待て!」


 呼びかけに、咄嗟に動きを止めてしまった。躊躇の隙にニコは黒龍の横もすり抜け、泣きながら外へと飛び出して行ってしまう。


「ニコジュニアッ、待つのであります――博士、後でお説教でありますからねっ! 悪い博士にはめっなのでありますよ!」


 その後を追って助手が捨て台詞を吐きつつさらに出て行き、


「はーい、パパ上。了解です。……あーあ、キオル、お馬鹿キャラだし、うまくやっていけると思ったんだけど、何がいけなかったんだろう?」


 さらにその後にフラフラとナイトメアが部屋から消えていく。

 判断に迷い、結局去るものは追わずという結論を出したティアは、自分を呼び止めた男にどういうつもりだという顔を向ける。


「すまない……でもちょうどよかった」


 博士はいつになく、くたびれて疲れた様子だった。ポケットから手を出してティアを手招きし、談話室から奥の部屋に入っていこうとする。


「二人だけで話がしたいんだ……君が一番、信頼できると思うから」

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