悪夢:目覚めの報せ
何度目かの朝と夜がめぐり、とある騎士見習いが騎士に昇格した頃の話だ。
彼の普段生活している巨大な城の下には、これまた巨大な城下町、帝都が控えている。
城下は中央部から周辺に行くにしたがって、わかりやすく生活層が変わる。持てる者の住処から、持たざる者の住処へと。
城下のはずれ付近ともなれば、そういったわけでけして治安のよろしいとは言えない場所も多々見受けられる。
そんな地区の、さらに用がなければ誰も立ち寄らないような一角に、誰が何のために廃棄していったのか、椅子と一体になった6人掛け程度の野外用机が打ち捨てられている。
さびれた木製のそれに、二人の人物が腰掛けていた。
片方は今にも死にそうな顔をした男の、もう片方は落ち着いた風貌の女のふりをしている。
彼らは今か今かと待ちかねていた三人目がやってくるのを見ると、にこやかに目を煌めかせた。
二人とも、見事なまでの虹色に。
やってきたのは、赤茶色の髪の男――ではなく、もう少し若い少年である。
少年はここ最近の彼の関係者が見たらぎょっとするであろう、実に無邪気な笑顔で先の二人に手を振った。
その目もまた、普段の碧色ではなく、本来の不気味な虹色に染まっている。
微笑みながら、少年は先客が並んで座っている向かい側に腰掛けた。
「久しぶり、シアル」
「まったくだ」
「やあ、ユエル、ギウル。とりあえず生きてるようで、何より」
先に声を上げた女性がユエル、死にかけている体の男がギウル。
二人とも、シアルと呼ばれたナイトメア……そして、王城ではヒューズと呼ばれている男の、兄にあたる人物だった。
だから全員が男や女のふりをしていても、実際にはどちらでもない。擬態しているだけなのである。
彼らナイトメアとい種族は、一律自分たちを兄、弟、と呼び分けているし、親の事は父、子の事は息子、と称する。
ヒトに紛れているときはきちんと男女の喋り方だって心得るが、こうして身内だけで集まっているときは本来の感覚のまま話している。
ちなみにナイトメアという生き物は、他種に卵を産み付けて増殖する。ゆえに、彼らは産みの苦しみとやらを理解することはない。……生まれの苦しみだったら、ある程度は経験済みだが。
だからか知らないが、その多くは素に戻ると男口調の方が強く出る傾向がある。たとえ外見が女性であったとしても、同族でしゃべるときは自然と男のようになっているようだ。
「元気そうじゃないか」
「君たちと違って、僕は健康体がストライクゾーンなんで」
男が言って少年が返すと、ふんと女が鼻を鳴らした。
「変態と一緒にしないでほしいな。俺は確かに痩せこけて今にも死にそうなのを拾ってくるのが好きだけど、そういうのを肥えさせるのが趣味なんだから」
「で、十分に成長してデブになったところを吸い殺すんだったっけ。素晴らしい趣味ですね、まったく」
シアルが呆れたように言うと、ますます女――ユエルは細い目を吊り上げる。
「心外な。最初に拾った時のまま、ユエル様、なんでもします言うこと聞きますって可愛ければ、ちゃんと最後まで面倒見るってば。ハア、なんでヒトって、外面が変わると内面まですぐに変わっちゃうんだろうね? 誰が養ってやったと思ってるんだか、しまいには貢がれて当然だって顔になりやがる。何より、最初に会った時の幸薄そうなところが魅力なんだってのに、それを失くしても愛してもらえるなんて信じてるんだからまったくけしからん――」
おのれの美学を語りだすユエルだが、シアルは指遊びなんて勝手に始めて完全に聞き流している。
そこに、変態と断定され若干傷ついた顔をしていた兄ギウルが反撃に出た。
「だから生きてるやつは駄目なんだ。死人はいいぞ。彼らは静かだ。何も語らない。生き物はとにかくうるさい。見返りを求めるし、何より勝手に動くし、というか怖いし……」
「死体の間違いでしょ、このネクロフィリアが」
「ふん、さっさとおっ死んで自分もなりゃあいいんだ。兄弟の誼だ、お前の好きな『花婿さん』だの『花嫁さん』だのと一緒に、仲良く墓穴にぶち込んでやるよ」
しかし次々に口の悪い弟たちの猛攻に遭い、兄はしょんぼりと肩を落とす。風貌のせいもあって、本当に死にそうに見える。
「だってだって、自分が死んだら彼らを愛でられないじゃないかっ……」
「お前の趣味は仲間に被害が出るから性質が悪い。死体の体液は俺らには毒だってのに無理して吸うから、毎回死にかけるんだ。だからだよ、お前のところの息子はどいつもこいつも長生きしない」
「息子と言えば、シアル。お前まだ三人しか作ってないのか。もっと増やせよ。親父だって言ってるだろ」
ギウルはそれ以上つつかれるのを回避するためにか、矛先を弟に向ける。
シアルが嫌そうな顔をする一方、ユエルは身を乗り出して乗っかった。
「そうだそうだ。シアルは手数が少なすぎる。せめて二桁は欲しいところだ」
「うちは少数精鋭なんです。数少ないからちゃんと躾が行き届いてるの。……ああ、親子と言えば。あんまり、いやまったく思い出したくなかったんですが、あの親父は今どこに?」
シアルがあからさまにまた話をそらすと、二人もそれ以上は突っ込んでこない。
挨拶代わりにつつき合いはするが、深入りしても平行線、互いに傷を負うだけだと察しているからである。そして親の話題が出た瞬間、一斉にどこか渋い雰囲気を漂わせ始めた。
「さあ。またどこかで食い漁ってるんじゃ?」
「今のホットは美少年だ。ついでに親父の外見は割とがっちりした男。で、親父の方がネコ役」
「……誰がそんなことまで教えろと言った」
「顔に書いてあった」
「視覚機能の異常だな。取り替えてこいよ、眼球」
聞いてもいないし、聞くつもりもなかった情報を追加提供したギウルは、弟たちが嫌がらせに抗議するような顔になると、にやあっと歯をむき出して口の端を吊り上げる。なかなかにホラーな表情ができあがったが、それくらいで怯える彼らではない。
シアルは座った机の下からギウルの足を蹴っ飛ばし、ユエルは額に、と見せかけて、ギウルがそっちを防御した瞬間、鼻を指でピンと弾く。
顔を押さえ足をひっこめ、お前らさっきから兄ちゃんに厳しくないか? と言ってる病人もどきは放っておいて、弟たちは話を進めている。
「それにしても、またえらい背徳的な方向にぶれたな、キャラが」
「この間までは、美少年の姿でおねーさんたちと遊んでたんだけどな。反動じゃないか?」
「何の?」
「だから、前の流行が健全趣味だったから、今度は不健全趣味に流れたんじゃ?」
ふっ、と会話に混ぜてもらえなくて若干いじけていたギウルが、ここぞとばかりに肩をすくめ、たしなめるように言い出す。
「ユエル、ちゃんと把握できてるか? 魔人業界では、妙齢のお姉さまに、人畜無害な顔して近づいて、二人きりになったら本性現して襲い掛かる未成年のことを、健全とは呼ばない。そういうのはな、色魔と言うんだ――あっ」
「的確じゃないか。まさに色魔だろ」
「誰がうまいことを言えと……」
やっぱり弟たちに呆れられた顔をされ、ギウルは再びいつ死んでもおかしくないような顔になってしまう。
今もきっと自分に忠実にいろいろ満喫しているであろう、自由人な父親の事を思い出して、息子たちはそれぞれに生ぬるく遠い濁った眼差しになった。
彼らの父親は、ナイトメアの真祖――要するに、すべてのナイトメアのオリジナル、ご先祖様である個体だ。
大体若作りして美男美女、美少年美少女の姿をしているが、実年齢は今の魔王よりもかなり年上らしい。その辺詳しく本人に突っ込みを入れると後が怖いので、誰も触れようとはしないが。
ナイトメアという種族の悪評の3割は、おそらくこの父親の所業のせいである。
惚れっぽいのは仕方ないとしても、同じレベルで飽きっぽい。
ストライクゾーンは気分によってぶれまくるが、美食だろうと悪食だろうと、彼に食えないものはない。そして、食べきることも少ない。
つまり、有体もなく言ってしまえば、種族一、実質魔界一のヤリ捨て野郎なのだ。
いいなと思ったらとりあえずつまみ食いし、自分が満足するとこちらに都合の悪い記憶だけ消してそのまま逃げてしまう。典型的ナイトメアのやり口である。
ここまでならまだいい。
向こうはちょっぴり貞操を失うかもしれないが、いい思い出だけしか残らないし、こっちだって平和的に補給ができて万々歳だ。
だが万が一、極上の獲物を見つけた場合。真祖は欲望のままに、相手の人格や社会生活が崩壊するまでねっとりじっくり堪能しつくす。それはもう、すっかりカラカラになるまで。
もちろん、一度そんなプレイもとい経験をさせられたら、まず普通には戻れない。
結果、息子たちは定期的に彼のお下がりのアフターフォローを経験している。
放心し、涙ぐむ老若男女の――時にはありったけの怨嗟をこめて復讐に来る元恋人たちの、カウンセリングやケアから始まり、手遅れな場合の記憶改竄、それでもだめなら仕方ないので残りかすを美味しく頂戴つかまつり、証拠隠滅――繰り返し続けること幾星霜。
ちょっとやそっとのことでは動じない、立派なナイトメアの出来上がりである。
ついでにそういった気苦労のせいか、一通りの修羅場を越えた兄弟たちは、肉体と精神のしたたかさの代わりに、大体マニアックな趣味に目覚めている。
ちょうどシアルに会いに来た、ユエルが育成調教、ギウルが死体採集を好んでいるように。
が、その兄弟連中の中でいろいろと異色なのが、ヒューズことシアルなのである。
彼だけは、兄弟をして異常、他種族のヒトをしてまとも、と言わしめる好みを、過酷な生存条件をクリアした今もなお、失うことなく維持している。
ギウルは首を振って、口を開いた。
「親父だぜ? 今さらだろ。というか、お前が身内の中で健全すぎるんだ。なんだよ、健康な妙齢の男女との異性ノーマルプレイが好みって……普通すぎる!」
心底解せぬ、何故そこで自分が責められる、との顔を言われたシアルがする一方、ユエルはうんうんと腕を組んで同意を表明している。
「だがギウル、シアルはまだ俺たちの中じゃ若い。これから目覚めるのかもしれん。気長に待ってやろうじゃないか」
「ユエル、それならこいつより若い末弟はすでに……」
「ああ、あいつは欠損趣味だったっけ? 肉体改造に心の平穏を見出したとかなんとか。素晴らしい真理じゃないか」
「僕は心底、まともな感性のまま育ってよかったと思ってます。これからも一生このままで行くつもりですので、あしからず」
弟のつれない態度に兄たちはやれやれと頭を振っている。
「シアル、無駄な抵抗はやめるんだ。お前だって素質はあるんだから」
「何の素質だ。あ、いい。言わなくていいよ、兄さん」
「冷たいぞ。一緒にあの死線を越えてきた家族じゃないか」
「9人中8人は、君ら含めてちゃんと頭いかれてるじゃないですか。僕にまで伝染さないでください」
シアルは妖しい微笑をたたえながらにじり寄ってくる二人を、あっさりかわしてから遠ざけた。
残念そうな顔をする兄弟にため息をついて、真面目な顔になる。
「で、二人は結局何をしに? 別に雑談しにきただけってわけでもないでしょう。……念のために確認しておくけど、餌がなくなったわけでもないよな? いや、城下ならまだいいんだけど、城内で狩るなんて、冗談でもやめてくれよ。そんなことで死にたくないからな、僕は」
「可愛い弟のためだもの。城内は美味そうな匂いがぷんぷんするからかるーく見ていくつもりだけど、検挙されるような犯罪はしないよ」
暗にばれない犯罪ならやる、とあっさり仄めかすユエルだが、とりあえずはスルーして渋い顔のギウルを見つめる。
死体愛好家はもともと悪い顔色を、さらに暗くして言った。
「俺らはな、しないさ。あそこには死人がいないし。だけど――そうだな。楽しい話ばかりじゃなくて、本題に入ろうか。シアル、北部のヴィラルから緊急連絡が来たんだ」
その瞬間、言われた方はなんとも形容しがたい、だがどう見ても嫌悪にしか見えない歪んだ表情を作った。兄二人はさもありなん、といった顔で、ユエルがギウルに捕捉する。
「……そういうことだ。エデルが目を覚ます」
「勘弁してくれ……まだ千年経ってないじゃないか」
シアルは苦虫をかみつぶしたなんてものでは済まない顔のまま呻く。兄二人も、同情の目を向けている。
彼らの長兄エデルは、真祖の次に長生きをしているナイトメアだ。
先ほどナイトメアの醜聞の3割は真祖のせいと言ったが、残りの7割のほとんどはこの長兄のせいだ。
長兄と言っても、実際に真祖の最初の子どもであるわけではない。もともと上に何人かいたのを、全員殺してその座に収まった。
エデルの趣味は、殺戮それ自体なのである。
そのせいか、自分の趣味以外に関しては、獲物に対しても極力その生命を脅かすようなことをしたがらず、幅広い交流を楽しむ温厚な弟たちとは相容れず、互いに毛嫌いしあっている。
しかも、エデルは目立ちたがりな上、無駄に被害者を増やしたがる。おかげで各地でどの種族においてもお尋ね者であり、その悪名は魔界中に轟いていた。
また、エデルの特殊性は性格だけではない。
長兄は一暴れした後、必ず長い眠りにつく。
彼は父親と同様、弟たちよりも厄介で多種多様な固有魔法を保持しているが、その反動なのか父親ほど使いこなせていないのか、一定以上活動すると機能停止する。
その後数千年眠ってから、再び起きると手当たり次第に虐殺を始める。その繰り返しだ。
その性質やら妙な勘の良さ、逃げ足の速さのせいで、時々追いつめられても眠りについては復活する。
そして何を隠そう、前回の大暴れの際に、彼に半身不随を負わせて機能停止に追い込んだのが、シアルそのヒトなのであった。
特別討伐隊ですらなしえなかったエデル殺害まで、あと一歩と言うところまでシアルは迫ったのだ。
長兄贔屓の父親がかばったために、結局逃がしてしまったのだが。
だから今回の目醒めが早いのは、おそらくよりによって実の弟に半殺しにあった、その事実がよっぽど許せなかったのだろう。
エデルは根に持つ奴だ。それはもう、逐一気に食わない相手をリストアップしては、眠っている間中もずーっと、次にあったら何をしてくれようかと指折り夢見続けているほど、陰湿でしつこい野郎だ。
しかし、シアルはそんな輩に真正面から喧嘩を売った挙句、今回もボコボコにする気満々らしい。
嫌悪の表情から立ち直り、極悪人の笑顔になると、ばきっ、ぼきんっ、と手を鳴らして殺気だっている。
兄二人は、あの長兄相手にホントよくやるな、と互いに顔を見合わせた。
「だからあの時あれほど殺せと言ったのに……。親父はなんて? いい加減責任取るんだろうな? また寝ぼけたことぬかしやがったら、あのバカを今度こそぶちのめした後、断食修行のコース組んでやる。少しは反省しやがれってんだ、誰のせいでここまで面倒になったかと!」
「仕方ないだろ、親父はなんか知らないけど、エデルには甘いんだから。それにお前も――いやなんでもない」
気に入られている、と言いかけて、殺気をよこされたのでギウルは話を変える。
「諦めろって、シアル。親父のお花畑頭と理不尽は今に始まったことじゃないし、ありゃもう死んでも治らない。それに、俺らを庇ってくれることだってあるだろ?」
「100年も腰巾着やらされれば、あいつがどんな奴なのかは身に染みるさ。時々そういうことをするから、余計嫌いなんだ」
冷たく言われて兄は苦い顔になった。
「……ともかく、飢えさせるのは止した方がいい。その後何するかわかったもんじゃない」
ぐるるるる、とヒト型の生物らしからぬ唸り声を上げ始めているシアルをギウルがなだめている横で、ところで、とユエルは伏し目のまま切り出した。
「シアル。今、本命はいるのかい?」
シアルは一時完全に挙動を停止してから、深く肩を落とす。虹色の瞳を、同じく伏し目がちにこちらを窺う虹色の瞳の方に向ける。
「……野暮だぞ。察しろ」
ユエルはため息をついて、どこか憂いに満ちた顔になる。
「そうか。なら……早めに片が付くといいな」
弟が無言でいると、二人の兄は彼から目をそらし上の方を見つめた。正確には、はるか上空に浮かぶ、浮島をひたと見据えている。
シアルが少し前から離れなくなった、その場所。
つまり、彼にとって離れられない理由があるのであろう、その場所。
「今度こそ、エデルは終わるかもしれないな。さすがにあの内部でやらかしたら、逃げ場がない」
「逃げ場、ね。それこそ逃げないかもよ、今度のエデルは。……あいつももう、色々後がないんだろうし」
二人は意味深に弟を横目に見つつ、口々に呟く。
「終わらせたいね。できれば、あそこに来る前に。あのヒトの前に、あいつが出てくる前に……」
答えのような独り言のようなシアルの声は低く、その瞳はいつになく昏い光を帯びていた。




