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人混みの中に

 微睡に落っこちかけていた意識が覚醒した。周囲にさっと目を配り、手綱を握りなおす。

 一応まだ待機中らしい。周囲から押し殺した笑いが聞こえて、思わず眉根を寄せた。


 黄薔薇の先輩たちは、こっちが寝かけていたことに気が付いておいて、放置していたらしい。

 醜態を晒す前にはさすがに声をかけてくれるだろうが、周辺の気配からして、ほとんど全員でどこまで自分がもつか賭けていたらしい。


「なんだ、完全に落ちる前に持ち直したのか」


 横から残念そうな声をかけられて不機嫌な顔を向けると、獣人の先輩は笑った。

 今は任務中ゆえに、非番の時の毛むくじゃらの顔ではない。

 ちゃんとヒトの姿に擬態していた。


 黄薔薇は色物枠のような部分が無きにしも非ずだが、近衛騎士に選ばれるだけはあって、くしゃくしゃの茶髪の下はなかなかの男前である。

 行列の先頭の方にいる美形揃いの赤薔薇と比べると、至って普通に見えてしまうのが悲しいところだが。


「……また、俺のことで賭けてたんですか」


「怒るなって、さすがに落馬しそうになったら起こしてやるから。

それより、この晴れ舞台で一瞬でも意識が飛ばせるその図太さは、さすが団長の弟子って言うか、もうこれ誇っていいレベルって言うか――」


「ディック。待機が我慢できないのは近衛として致命的だ。ちゃんと教育してやれよ」


 後方からまた声がかかる。この先輩は獣混じりの半化けだった。

 ティアにそっくりな鱗交じりの肌に、服や鎧の隙間から蜥蜴の尻尾がはみ出ていて、たまにゆらゆらと揺れる。


 獣人は肩をすくめ、後ろの先輩の方に顔を向けた。

 口数の多い方でないティアは、大体こんな状況になると先輩たちが交互に喋るのを順に見ているだけである。たとえ話題が自分のことだったとしても。


「別にいいじゃないか。大事な時にはいつも起きてるだろ?

それより俺は、ついに立って目を開けたまま眠れるようになったその努力を称賛してやりたい」


「また余計な方向に力を入れて……どうして素直に起きる努力をしないんだ?」


「正攻法が無理だから、別の方法を編み出したんだろ。

いやー、うちの後輩マジ天然――おっと間違えた、天才だわー」


「面白がって甘やかすな! 監督責任者だろうが、まったく……」


 そこまで雑談していたところで、前の方から声が飛んできた。


「そこでおしゃべりに興じている余裕があるということは、よほど準備万端なんだろうな?」


 黄薔薇騎士団の団長が朗らかにこちらを窺っていた。

 先輩騎士はうひいと、大して怖がってもいないらしい声を上げる。


「ヤダなー団長。さっきもう十分点検は済ませたし、大丈夫大丈夫!」


「ノーランド、弛んでるぞ。ジークに何か不備があったら、お前のせいでもあるんだからな」


「はいはい。ただ、準備ったって着飾ってこうやって突っ立ってることぐらいしかやることないし、これからやることもただ馬に乗っかってるだけだし、そんな固くなってもしょーがないですって。

舞踏会だの試合だのと違って、この程度の事もう余裕だよな、ジーク」


 ティアは曖昧に頷いたようなそうではないような中途半端な動作で答える。

 こっちを見ている師父の顔に、「ほう、余裕があるということは鍛錬メニューを強化していいんだな?」と書いてあったからだ。



 武術鍛錬なら全然怖くないし、文の方だってやれと言われればこなすまでだが、そこは仮にも黄薔薇騎士団の団長。ジーク用特別メニューと称して、儀礼やマナーをひたすら身体に覚えさせるだけの簡単な苦行を強いてくるのである。


 役には立っているし感謝もしているが、一点どうしても納得できない部分がある。

 毎回変な服に着替えさせられることだ。


 嫌な思い出(トラウマ)がよみがえる。

 主に腹部の圧迫感。ついでに何度も見させられたドレス姿の自分。

 可愛い可愛いと大喜びするリリアナ様。くそっ、納得できないのに笑顔は見たいから結局最終的にはポージングまでしてしまう毎日――!


 ……未成年の時のこととはいえ、一生の不覚だ。汚点だ。忘れたい。忘れると貴重なちっちゃいリリアナ様の記憶までデリートされてしまうのでやむなく覚えているが。


 と誓っておきながら、おそらくリリアナが本気でお願いしたら今でもしぶしぶ従うであろう、ご褒美にチューしてあげるなんて言われたらむしろ速攻で自ら着替えるだろうところがティアである。

 見習いから正式な騎士になろうが、その辺は相変わらず一貫している。


 ちなみに大正義リリアナ様の命令でもないのに、なぜ未だ着せ替え人形に甘んじているかというと、師父が言葉巧みに誘導してくることと、一応男物の服しか出してこないからである。

 女物を出されたらその場でボロ雑巾にする自信がある。



 服と言えば、昇進すると装飾品が増えていくこのシステムがティアには理解できない。


 特に見習いから昇格して着用が認められるようになった、というか義務付けられるようになった鎧。

 率直に言うと、ありがたみがない。


 先輩たちは、男のロマンだよな、どうだ嬉しいだろう、なんて最初に着た時に口々に言っていたが、本人の感覚としては普段着で十分、であった。



 鎧には重い方と軽い方があり、重い方は金属製、軽い方は革製や布製が主である。


 重い方は一応武人の正装ではあるのだが、平和な当代魔王の治世の近衛と言っても、それこそ今のような公式行事くらいでしかなかなか着る機会はない。

 いざ晴れ舞台で来た時に重さのあまり動けないとかで格好がつかないとダサいので、定期的に自主訓練つまりちゃんと着て動けるかの確認はさせられるのだが。

 重さに関してはティアは余裕である。問題は息苦しさだが、約一名が労わってくれるならどうということはない。一生着ていてもかまわない。



 近衛たちが普段王城で歩き回っているときに着ているのは軽い方である。

 あの金属鎧でがしゃんがしゃん城内を動き回られると、動きにくい、鬱陶しい、不便、などとデメリットの方が多いのだ。


 ちなみに見た目としてはほとんど一般人と大差ないが、王城の服は大体が生地や染料、模様に特殊な魔術を織り込んで、耐久力・防御力等を上げている仕様だ。

 文官の服にも、武官のものより略式ではあるが、ある程度同じような機能が備わっている。


 そして公式行事の時に身に着ける鎧はすべての服の中で最大の耐久力と魔法防御力を誇っているのだが、竜の鱗と言う世界最強の防具をデフォルトで持っている身としては、ぶっちゃけ全部間に合っている。

 特に、ティアは竜の中でもさらに固いことに定評のある黒龍なのだ。

 だから余計にあまり有難く感じられないのかもしれない。


 彼が唯一衣装で気に入ったのは、マントである。

 黄薔薇のレモン色を身に纏うと、ようやく近衛の一員になれたのだという感覚を覚えられて不覚にもじーんと来た。

 尚、無駄にひらひらさせて喜んでいたら、お前もそういうところはあるんだなあと、黄薔薇の先輩たちに四方八方から生暖かい目で見守られたが。



 そんなわけで、鬱陶しい重い鎧を着なければいけない公式行事は、あるたびに中止にならないかとひそかに思ってしまったりする。


 師父は初めてこんな風の式典に出席した後、彼があまりにも顔色を悪くしていると、この程度でめげていたらお前の夢なんて絶対叶わない、と笑い飛ばしていたが。


 どこか居心地悪そうにそわそわしているティアに比べ、先輩たちはさすがにもう慣れきったものか、皆かなりリラックスしている。


 前の方に目をやると、ヘイスティングズに至っては手綱をかなり緩めて伸びなんてしていた。乗っている騎獣は微動だにせず、おとなしく待ち続けている。

 ティアの乗っている不良天馬ルーティークとは大違いだ。


 何せ、この馬は油断するとすぐ自分の好きなことをし始める。

 乗り手がいるのに砂浴びをしようと寝っころがりそうになったことだってあるくらい、マイペースだ。


 それでも嫌がらずに乗せてくれるようになっただけ、お前も懐かれたんだと本当の持ち主であるところのリリアナは言っていた。

 懐かれたというより、抵抗を諦めたと言った方が正しいのだが。


 ルーティークはマイペースゆえにか、根競べに弱かった。

 次期魔王を口説き落とし、最近は図々しくもキスまでもらえるようになった実績を誇るティアの敵ではない。

 一部の事に関する忍耐と執念深さに関しては、そろそろ実態を把握しつつある師匠をして、ある種の狂気だなとお墨付きを頂いたレベルである。



 不意にそのルーティークがくるっと首を曲げて乗り手の方を見つめてきた。

 声なき声の翻訳を当てるなら、「お前大丈夫かよ」と言ったところだろうか。



 ちなみにルーティーク、これでも性別は雌らしい。

 世話をしている最中に、そういえば色々ついてない、というか構造が違うという事実を先輩が発見して勝手に驚いていた。


 王城で、特に騎士としての女性に対する作法を学ぶたびに、記憶の中の彼にとっての一般女性(エッカ)を思い出しては、か弱き乙女守るべし、なんて形容に首をひねっている。

 一噛みで獲物にとどめを刺したり、唸り声ひとつで周囲の竜全員を黙らせたり、決闘の相手の胸部を蹴りで砕いたり、時には気に入った男に自分から襲い掛かりに行ったり……。


 魔人業界では違うようだが、彼にとって女と言う生き物に対する理解は、基本的にそういうアレだ。

 彼らは生まれきっての戦闘民族、断じて繊細だとかか弱いなんて言葉が似合う生命体ではない。


 なお、リリアナに関してはやっぱりあらゆる例外なので一般女性とは枠が違う。

 リリアナはリリアナ。

 強かろうが弱かろうが構わない。存在するだけで絶対正義なのである。


 そんなわけで、ティア本人はルーティークが雌なのに獰猛だということに関してはあまり驚いてはいない。

 しかしれっきとした魔人である先輩の一人は、てっきりセンだと思ってたのに、とうっかりつぶやいて危うく怒った一角天馬に腕を持っていかれそうになった。


 それを庇った後に余裕の微笑を浮かべ、本馬レディーの前でデリカシーがないぞ、との発言は師父のものである。

 ……本物のレディーに失礼なんじゃなかろうかと心の中で思ったのは、きっとティアだけではない。



 ともかく、反応がないのをいいことに、首を曲げて乗り手の靴をモグモグし始めた天馬に、いいからお前もちゃんと前を向けという意味を込め、多少脚に力を込めて締める。

 ルーティークは耳をさっと伏せて向き直ったかと思うと、まもなく不機嫌そうな、ごりごりと歯を鳴らしている音が聞こえてきた。

 止めても馬のストレスをためるだけなので、行進中はやめてくれよと思いながらも放置する。



 そうしている間に、前の方がようやく動き始めた。今度こそ首を軽く振ってしゃんと背筋を伸ばす。

 天馬は進めの合図があると、歯ぎしりをやめて翼を広げ大きく首を上げ、優雅に離陸した。



 城下の大きな通りを、ゆっくりと近衛たちの列は進んでいく。

 空中を飛んでいるとは言え、隊列を崩さず前の連中にくっついていけばいいだけなので、今日の行事は気楽なものだ。

 リリアナが一緒に行進しているのならまだ士気も上がるのだが、生憎今回は選抜された近衛たちだけのパレードである。


 見下ろせば道の左右には一般市民が近衛と観客を隔てるラインぎりぎりまで集まって、こちらに歓声を上げたりキラキラした眼差しを向けたりしている。

 魔人、獣人が入り乱れていて、少し視線を上げて遠くの方を見れば、家の中からも、それと家の上からも見ているヒトビトがいる。


 地上では城下の警備担当であるところの騎士たちが、同じく正装して歩き回っており、空中にもふわふわと球体に羽が生えたような魔具が飛び交っていて、さりげなく興奮して前に出ようとする民衆を牽制している。


 視線を向けている辺りでキャーキャーと女性たちが声を上げている。隣からわざとらしい咳ばらいが聞こえ、先輩の方を振り向くとウインクされた。



 のどかだ。実に平和だ。

 見習いから騎士に昇格したが、こんな風によくわからない行事に参加したり、当番の日は担当の区域を歩き回ったり廊下でずっと立ちっぱなしだったりと、そんなことばかりしている。


 近衛兵はお飾りの武器だ、だから見た目がある程度良くて必要最低限運動ができればそれでいい、と師父が前に言っていたことを思い出す。


 ただ、それは普通の近衛で満足する男の場合。

 お前はちゃんと、見かけ倒しじゃないように鍛錬を怠るなよ。


 師父はうなずいたティアに、ふっと苦笑するように表情を緩めて見せた。


 ――本当は、近衛が剣を振るわなければいけない事態なんて、ないに越したことはないのだけどな――。



 ……いかん。半分回想と言う名の白昼夢に入りかけたらしい。意識が朦朧としてきた。

 時間としても午後のちょうどいい頃合い、自然と眠気が襲ってくる。


 さすがにここで寝たら何を言われるかわかったものではないし、自分でも弛みすぎだと思うので、ひとまずリリアナの事を考えて意識を覚醒させようとする――。



 その時だった。

 ぞくり、と身体が警鐘を発する。


 ルーティークが暴れ出しそうになったが、ぐっと身体に力を込めて止める。

 なだめようと格闘していると、誰かが一瞬だけ近づいてきた。


「ジーク? ルーティークがどうか――って、大丈夫か?」


 先輩の声がどこか遠い。

 ティアはなんとかルーティークを押さえこんで問題ないと答えたが、冷や汗が止まらない。

 見られている。何か、とてつもなく悪いものが。



 ちらりと目の端で窺うと、観衆たちの中に目が留まった。



 パレードを見上げる観衆の中、フードを目深に被り、こちらをひたと見つめている者がいる。

 周りのように、興奮して囁き交わすでもなく。ただ、淡々と冷ややかに。


 フードの陰で目元はよく見えないのに、その奥で爛々と輝く目だけが妙に印象に残る。

 なぜなら、それは良く知っている虹色だった。

 陰になっていてもなお、それとわかるほど発光している。


 発見されたことを認識したのか、無表情だった口の端がすっと上がった。

 歯の白さといい、出来上がったのは鋭利な刃物を連想させる禍々しい曲線だ。

 これほど悪意に満ちた笑顔を見たことがあっただろうか。

 顔の下半分しか見えていないにもかかわらず、その表情がどれほど歪んでいるか手に取るようにわかる。


 ティアが油断なくそっちを睨みつけていると、フードの右隣に、まるでそれを支えるかのように、これまたフードをかぶっているヒトが立つ。その眼もやはり虹色だった。


 左隣の者の目も、瞬く間に虹色に染まる。

 いや、それだけにとどまらない。

 フードの二人を中心に、周囲の人物の目がまるで波紋のように、みるみる虹色に染まっていく。


 あっという間に観衆の一団の目が、すべて不気味な虹色の燐光を放つものになった。


 だが、奇妙なことにフードの二人以外は、どう見ても一般人(・・・)だった。

 しかも、自分たちに異変が生じたことにも気が付いていないらしい。相変わらずこっちに夢中で、誰もフードの二人を気にしている風はない。


 まるでそこだけ配色を間違えた塗り絵のように、歪にヒトビトの目の色だけが平常時と違う。


 ぞわっと再び悪寒が走り、きいん、と急に激しい耳鳴りがして、誰かの声が頭に響く――。


「ここだ、ここにやっぱりいるんだ。ふふふ、は、はは――においがする、あいつのにおいがぷんぷんするよぉ――!」


 ちらちらと、色が歪んで揺れる。耳鳴りがさらに激しくなり、視界が、世界が揺れる――。



「ジーク!」


 誰かが押し殺した声を上げた瞬間、ふっとフードが消えた。

 同時に目も耳も正常に戻り、虹色の目の集団はいなくなっていた。

 ごく普通の、近衛たちを物珍しそうに見ている市民があるのみである。


「……お前、本当に大丈夫か?」


 気が付くと、先輩騎士がすぐ横にまでやってきて並走している。

 少し隊列からはみ出して飛行を続けていた。

 ルーティークは不機嫌そうではあったが、特に相手の天馬に当たり散らすこともなく、ちゃんとおとなしくしている。


 慌てて周囲を再び見回すと、どこにもあの歪んだ虹色は見当たらない。

 平和な光景と、心配そうな先輩の顔。


 ティアはしばし戸惑った後、大丈夫、何でもないと答え、ルーティークを促して再び隊列に戻った。


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