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動揺

 いつも通り朝が来たはずの王城だが、どこか不穏な空気が漂っていた。そこら中で毎日とどこか異なる光景が繰り広げられている。



 とある場所では、縦ロールの令嬢が、やっぱり彼は来なかったわね、とにこやかに横の召使いに微笑んで見せ。


 とある場所では、子羊こと殿下の拾われものたちが、忙しなく険しい表情で行ったり来たりし、されどその中にあるべきはずのまとめ役の姿はなく。


 とある場所では、心配そうに部屋の前を行ったり来たりする女近衛の前に、定時通り主が姿を現す。彼女の顔は蒼白と言っていいくらいだったが、近衛は何も言わずつき従う。



 そしてとある場所では、黄薔薇騎士団の面々が厩舎の片隅に、後輩と彼に連れられている天馬を囲んで大騒ぎしていた。


「ちょっ、あぶねえあぶねえ!」


「よせ、迂闊うかつに近づくな」


「しっかし、こいつルーティークだよな? なんでまたこんな危険生物を――うわっと!」


「馬鹿、刺激するな! ジーク、ジーク! ほうけてないで頼むから抑えてくれ! お前が頼りなんだよーっ!」


 言われて後輩ははたりと目をしばたかせ、天馬の手綱をくいっと一度引いた。


 先ほどまで周囲に向かってがちがちがちがち絶え間なく威嚇いかくを続けていたルーティークだったが、不機嫌そうに頭を降ると一応は黙り込む。


 おお、と周囲の黄薔薇騎士たちは一斉にほっとした表情になった。


「しかし、すげーな……懐かれてはいないが、御してはいる」


「ルーティークは賢い。逆らっても無駄な時は逆らわないさ。お前たちが抵抗されるのは、できる相手だとわかっているからだよ」


 後ろから柔らかな声が投げかけられ、うんうんとうなずいてからぎょっとしたように団員たちは振り返る。


「だっ……団長!? あれっ、今日は別件で外してるはずじゃ……」


 柔和な笑みを浮かべる大男に、団員たちはあわあわと挙動不審になる。


「ルーティークを扱うんだろう? お前たちだけだと少し心配だからな」


 言われて団員たちの目が泳ぐ。



 何せ、この純白の一角は騎士団ではとても有名な怪物だ。


 色が珍しいからと献上されてきた当初は物珍しがられていたが、それも仔馬だったときのみ、すぐに厩舎に穴を開けたり調教師に殺人未遂を犯したりと、危険な性格をしていると知らしめられることになった。


 本来ならあまりに気性が荒いので使い物にならないとみなされ、そのまま処分されるはずだった。――引きずられていきそうになっていやいやと全力で抵抗するルーティークと係との争いの場に、殿下が居合せなければ。


 彼女は純白の天馬と目が合うと、何を思ったのか自分の馬にすると宣言し、ごねて持って行った。

 しかも渋る周囲を黙らせるため、めったに使わない父への泣き落としという最終手段を用いたらしい。

 目撃者の証言によると、あれは親馬鹿の陛下じゃなくても絶対陥落する、とのことだった。



 ともかく、関係者一同が大丈夫か、大けがを負うんじゃないかと心配して散々引き留めたにもかかわらず、蓋を開けてみれば馬は殿下に懐いた。

 懐いて彼女の言うことを聞くようになったのはいいが、主が見張ってないと昔のように何かしら問題を起こしたりする。

 むしろ主の前でだけ全力で猫を被っている。馬のくせに。



 ルーティークの有名な悪癖を挙げるならまず、リリアナの訪問が途絶えると、厩舎の壁を破って王城を悲しそうに嘶きながら駆けていく、あの恒例行事。ご婦人方は一途でかわいいわねなんて優雅に微笑んでらっしゃるだけで済むが、捕獲する男の身にもなってくれと近衛たちは心中で叫んでいる。

 気に入らない相手に(馬なりに申し訳程度の手加減をしているらしいとは言え)噛みつく行動もどうにかならないものか。

 ついでにがちがちがちがち歯を噛みならすあの馬特有の癖も、心臓に悪いのでやめてほしい。


 要するに、あまり一緒の空間にいたくない天馬ナンバーワンが、このルーティークなのであった。


 これでリリアナが乗るとまるで別馬のようにふるまい、立派に天馬としての働きを示すから本当に性質タチが悪い。



 その肝心の天馬は、近づいてくる男にぴくぴく不機嫌そうに耳は動かすものの、特にそれ以上の攻撃は加えようとしない。

 さすが団長、馬も本能で逆らってはいけない相手と感知するのか。

 周囲はごくり、とツバを呑んでいる。


 団長は馬の首筋をポンポン叩いてやると、傍らの弟子に目をやる。


「それよりも、ジーク……」


 が、そこでいったん言葉を区切り、周囲を振り返る。

 黄薔薇騎士団たちは一様に、目をそらしたり首をすくめたり横に振って見せたりと、かんばしくない反応である。


 再び弟子に目を戻す。

 未だかつて、ここまで放心しているシーグフリードを見たことがあっただろうか。


 彼は心ここにあらず状態であり、かろうじてルーティークの手綱を握り馬が逃げていかないようにはふるまっているが、定期的に肩のあたりをまれても何も反応しない。

 噛まれ続けていても無傷なあたりが、ルーティークがかろうじてこの新人の言うことを聞いている理由なのだろう。

 普通だったらとっくにそのあたりが真っ赤に染まっている。


 団長はぐるりと団員たちを見渡して、おそらく今日の当番であった男を発見すると手招きし、二人で少し脇に寄っていく。


「何があった?」


「いや、もうずーっとあんな感じなんですわ。気が付いたら厩舎にルーティーク連れて突っ立ってたんすけど、何言ってもいい反応が返ってこなくて。俺たちが厩務員になんとかしろって言われて来ても、あの調子で」


「……なるほど。ひとまずルーティークをしまおう」


 ヘイスティングズはそう答えて再び辺りを見回し、厩務員の姿を発見すると彼にルーティークの扱いについて尋ねる。

 彼はため息交じりに、そこに入れてください、と一つの馬房を示した。

 本来なら途方にくれているティアの代わりに彼らがルーティークの面倒を見るのだが、何分散々てこずらせた相手なので、任せられる人物がいるのなら任せたいらしい。


 団長は苦笑いすると、弟子から手綱を受け取って馬を引いていく。


「やあ、暴れ竜。その後元気か? 最近はおとなしくしてるらしいじゃないか。殿下からお前を貸してやるって話が来た時には驚いたぞ。まあ、確かにお前だったらあれにも怖気づくことはないだろうが……お、ここか? なるほど、お前もやっぱり馬だなあ……」


 馬房の中でブラシをかけながら声をかけてやると、馬は心地よさそうにブラシに合わせて耳を動かした。

 ルーティークが団長に抵抗しない理由の一つは、このブラッシング技術にある。自分を快適にしてくれる相手だと学習すると、だいぶ態度が軟化するのである。


 一通り世話をしてやってから、ぐるぐる物珍しそうに馬房の中を回っているルーティークを置いて厩舎から出ていくと、やはり先輩たちが困りきった顔で後輩を見守っていた。


 誰がどう見ても燃え尽きている。


 が、何か聞き出そうとしても、いっかな動かない。


「どうしたって言うんだ……」


 抜け殻のようになっている後輩に呆然と声を上げる団員の一人に、珍しく師父も考えこむかのようなポーズを取っていた。





 その後しばらく、ティアは本当にふぬけと言っていい状態のままだった。


 先輩たちがやいのやいのうるさく言えば動きはするが、彼の得意だった実技においても全く成績が振るわなくなった。食欲も落ちている。座学中も起きてはいるが声をかけても全く反応がない状態である。


 遠巻きに同期たちが、何か悪いことの前触れかと噂し合っていた。



 しかし、その様子に一番慌てたのは普段いがみ合っている赤薔薇の騎士だったらしい。

 彼は廊下を歩いてくるティアの姿を認めた瞬間いつも通り臨戦態勢に入ろうとして、すぐさま異変に気が付く。

 ティアは相手を見ようとさえしなければ、何事もなく素通りする。


「おい……おい!」


 リリエンタールは吹っ掛けた相手の魂が抜けているような様子に、慌てたように追いかけてきて肩を掴む。


「一体なんだって言うんだ。いつもの威勢はどうした? なんで突っかかってこない?」


 振り返る顔の幽鬼のような様に、赤薔薇のエースは普段の険悪な様子はどこへやら、傍らの黄薔薇騎士にひそひそと声をかける。


「さあ。最近ずっとこんな感じだ……それよりエド。喧嘩を売らなくていいのか? 今なら絶対勝てるぞ。あと突っかかってきてるのはお前の方だ」


「ふざけるな。俺はこいつが気に食わんが、戦意喪失している敵に刃を向けるのは騎士の恥だ。いいか、俺は万全の状態のこいつを叩きのめしたいんだよ。……師父にさっさとフォローしろと伝えておけ」


 苛々と言い捨てると、一瞬だけどこか不安そうな目をティアに向けてから、リリエンタールは歩み去っていく。


 残された黄薔薇の騎士は、お前、それって一種の告白だぜ? なんて一人ごちていた。


 何せ、リリエンタールはあまりにできすぎて嫌味な男だ。

 取り巻きならできたことはあるが、対等な友人と言える存在はおらず、ここまで正面きって対立した相手も珍しい。

 見習いがようやく剣術を一通り習得した最近では、実技で相当いい線を行っている仲でもあるのだ。


 リリエンタールの剣技にめげずについてくる見習い騎士なんてまずいない。逆に、シーグフリードの模擬戦にピンピンして付き合い続けられる体力やら技量の持ち主も少ない。

 すぐに両者がむきになって模擬戦から喧嘩になるので、必ず見張りは必須であるが。


 執拗に絡んでくる理由の一つには、なるほど孤高の赤薔薇のエースの張り合いとなっていた部分もあるのかもしれない。



 黄薔薇の先輩騎士は思いつつ、魂の抜けている後輩を見て溜息を吐いた――。




 そのリリエンタールはしばらく歩いて行ってから不意に足を止め、行き先を変更する。

 この時間帯なら、彼女はおそらくあの場所にいるはずだ。今日は非番で特に急ぎの用事もない。彼は廊下とそれに連なる幾多の庭園を、ヒトを探して歩き回る。


 幾度目かの失敗にもめげずに根気よくそれを続けていると、目当ての姿が見つかった。


「クローディア」


「あら、エド。珍しいじゃない」


 はたして花の咲き乱れる庭園の片隅でくつろいでいた知り合いは、呼びつけられると扇子を片手に微笑んで寄ってくる。


 リリエンタールは憮然ぶぜんと、あくまではんなりと微笑む従姉に尋ねる。


「お前、何をした」


やぶから棒になんのことですの?」


「しらばっくれるな。黄薔薇の新人をお前が追っかけまわしてたことくらい、俺だって知ってる」


 あら、とクローディアは苦々しい表情の従弟に目を細める。

 その表情は、どこまでも美しく、男女問わずにうっとりさせるものだろう。

 ――この表の顔以外の内情を知っている従弟にとっては、面の皮も効果薄めらしいが。


「それが何かあなた様に関係ありますの?」


「そのあからさまな他人行儀の態度もやめろ! お前の遊びのせいで、あれが使い物にならん。――殿下に何をした」


 令嬢はそれを聞くと、扇子を口元に持っていき、愛らしい声で笑う。


「それじゃあ、プレゼントは失敗したのね」


「やっぱりお前が――!」


「わたくしは、ほんの少し、悩める騎士様にご教授差し上げただけよ。嘘は言ってないわ。本当のことを全部喋ったわけでもないけど」


 あくまでも無邪気に、クローディアはため息交じりにつぶやくと、ふわりと身をひるがえす。真紅のドレスが彼女の動きにつられて広がり、鮮やかな色彩が緑の草の上に散る。


 言質げんちを取ったリリエンタールの頬にも朱がさした。


「お前――わかっててやったな!」


「だって、ここはそういう場所じゃないの」


 二つの銀の瞳が交錯する。

 リリエンタールのそれは僅かに赤が混じっているが、クローディアの目はともすれば空色にも見えるような青みを帯びている。――氷のように冷たい、銀。

 彼女の赤い唇は歌う。


「エド、エド。駆け引きの一つじゃない。楽しんだ方が勝ちなのよ。ねえ、わかる?」


「クローディア――」


「わたくし、嘘は言ってないわ。ねえ、あの方に惹かれていることも事実だし、あの方の想い人と仲良くなればいいなって思うのもわたくしの一部なのよ? でも、それがすべてじゃないわ。だって、それじゃつまらないし、何よりあなたがつけ入るすきがないじゃない」


 さっとリリエンタールの顔が今度は青くなる。握りしめた拳が震えるが、対峙する令嬢の方にひるむ様子はない。


「そうよ。それがあなたのダメなところよ。せっかくめぐってきたチャンスでしょう? 今、口説けばいいじゃない。何をためらうことがあるの? 傷心の未経験女なんてあっという間に陥落するわ」


「――黙れ。俺は……」


「つまらないわ」


 クローディアは今度こそぴしゃんと扇子を閉じ、言い放った。

 美人が本気で微笑むと、凄味すごみのある顔になるのだと言うことを彼女は体現している。


「あなたも、殿下も。そんなに大事なら鳥かごにでも囲っておけばいいんだわ。騎士になればご婦人方から秋波を送られるのは当然のことだし、こんな風に間接的な嫌がらせだって王城の女として生まれたならいつものことじゃない。でも、一番腹立たしいのはあなたよ、エド。本当に馬鹿みたい。欲しいならもっと貪欲に動きなさいよ」


「――俺は、そういうのは、嫌なんだ」


 話は終わったとばかりに言い捨てて行こうとしたが、絞り出すかのようにリリエンタールが言葉を紡ぐと従姉は足を止める。


「なぜだ。正しいのは俺たちのはずだ。好きだから好きだと言う、嫌いだから嫌いだと言う。それのどこが悪い。俺はここの、お前たちのルールが大嫌いだ。微笑みながら互いの靴を踏みあうような真似がなぜ、正当だとされているんだ。――確かに俺はへたくそだろうし、お前から見れば哀れな道化師なんだろうよ。だけど、お前みたいな、弱みに付け込んで抉るような真似は絶対に嫌だ。勝つのも負けるのも、互いにきちんと向き合ってこそ――」


「……それが騎士様の誇りってやつですの?」


「そうだ」


「やっぱりあなたってお馬鹿さんね。でもいいわ。だったらお好きになさいよ。わたくしはわたくしでゲームを続けさせてもらうわ。だって、王城ここは本当に退屈なんですもの」


 クローディアはふう、とため息をつくと今度こそ振り返らずに歩いていく。リリエンタールも呼び止めなかった。

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