閑話:似非侍従は笑う
「あーあ、やっぱり怒らせたか」
ヒューズは主が男の手にしているプレゼントらしきものを見て顔色を変えたところまで見届けて、ゆっくり目を開ける。
この後の展開はもうわかりきっている。
あと少ししたら、殿下は一人で部屋を出てくるはずだ。
なるほど贈り物のチョイスは悪くなかった――さすがはクローディア嬢、といったところだろうか――が、相手と文脈が致命的に悪かった。主がもう少しお馬鹿か素直な性格だったら何事もなく喜んで受け取ったのだろうが。
混乱の真っただ中であろう例の男に同情はまったくしないが、不憫に思わないこともない。
まあ、これでいい経験になったことだろうし、向こうについてはさほど心配はしていない。どちらかというと確実に荒れる主のケアの方が懸念事項だった。
そんなことを考えつつ、腕組みをして壁にもたれるリラックスな姿勢からしゃんとしたものへと変えると、脇の人物が気が付いて声をかけてくる。
「破局しましたか?」
「早い早い、喧嘩しただけですよ。とはいえ割と逆鱗に触れたかな。はっはっは、いやあ、馬鹿正直は薬だけじゃなく毒にもなるってこと、身に染みるといいですね」
いい笑顔で答えると、近衛はチッとあからさまに舌打ちした。
「どうせどっかの赤薔薇みたいに、ベタベタ馴れ馴れしくしやがったんでしょう。あれですか、最近ご婦人方の間で流行っている壁ドンなるものを実行でも――ハッダメだ! そんなことされたら慣れてない殿下は対応できなくてそのままめくるめく濡れ場に」
「いや全然違いますけどね?」
近衛はぶほっと言いながら口元を抑えた。興奮すると鼻血が出る体質なのだ。
しかし、鼻血くらいで彼女の妄想は止まらない。
こいつ何言ってるんだ、と生温かく見守るヒューズの横で、どんどんヒートアップしていく。
「ああっ、殿下、なんという無体な! ていうか、画面だけ見てると、殿下の服やら体型やらのせいで、まるで薔薇の世界のようですなうえへへへへ、いや本当に御馳走様ですよくやった――」
「おい、この不良近衛。戻ってこーい」
暴走する女近衛の頭をはたくとすぱーん、ととてもいい音がした。振りかぶってから遠心力を利用してやったため、それなりに痛かったらしい。静かに頭を両手で押さえている。
「ほらほらフィリス、殿下が出てきますよ。迎えに行ってあげてください。あと、余計なことは言わないようにね」
女近衛はほんの少しむっとしたような表情になってから、ばっと勢いよく鼻血を拭う。
即座に妄想に明け暮れてだらしなく相好を崩している女から、魔人の女性にしては背が高くがっしりとした体つきの、燃えるような赤い髪の立派な近衛が現れた。
「ふん、その程度の事、言われずとも」
さっさと歩み去る近衛をヒューズは笑顔で見送る。
常なるときはかぐわしき薔薇のごとく控えよ。主の危機には茨のごとくこれを絡み取り滅せよ。
フィリス=キャロルは女だてらに近衛騎士を務めるが、その近衛の心得たるものをきちんと遵守していたし、もちろん武芸の腕だって他の騎士たちにひけをとらない。
女で騎士を志しているということで周囲からの風当たりは強かったが、物好きなリリアナの目に留まって城まで連れて来られ、ちょうどどこぞを勝手にほっつきまわる娘に警護はつけたいが男はつけたくない魔王の希望とも一致し、彼女専属の近衛として抜擢された。
人員不足からの激務に文句ひとつ言わず、さらに毎日の鍛錬にもより一層力を入れている彼女は、リリアナからもかなり信頼されている。
殿下はもちろん天才肌タイプだって引き抜くが、それよりも泥臭くスパルタに必死に食いついてくるような努力型愚直タイプに甘い。
たとえうまく成果が出せなくても、諦めずに食いついてくる限り、リリアナは彼らをけして見捨てない。ニコしかり、フィリスしかり、そして何よりも例の竜しかり。
地味に面倒を見ている相手の成績に一喜一憂している姿に、彼女に対する認識を改めた子羊は多い。
――ただし彼女は部下たちは皆知っている、フィリスの裏の顔を知らない。
いわゆる一種のショタコンかつロリコン属性で、妄想にふけると鼻血が止まらなくなると言うその残念な性質を。
それはフィリスが公私をきっちりわけていて、仕事モードのときはたとえ萌えポイントに遭遇しようが一切センサーを発動させず、淡々と業務をこなすことにも起因するが、何よりあの殿下、ヒトの劣情に鈍感なのである。
なんとなくよからぬことを考えていることくらいは察知するが、良からぬことの中身の知識は父親に全面的に防がれている。
加えて、どうやら彼女はヒトの好意、特に自分自身に向けられる好意と言う奴に対してとんでもなく鈍いらしい。
しかも勘付いても理屈をこねて気のせいだと思いこむ癖がある。
しばしば宰相が嘆いているが、王は自分の安全に無頓着である。
それはいかなる衝撃を受けようと必ず再生する不滅の肉体のせいなのかもしれないし、彼のけして穏やかとは言えない幼少期、青年期の経験に起因しているのかもしれない。
娘であるリリアナにもその気は受け継がれている、とヒューズは思っている。
彼女は口では自分はエゴまみれの人物だと自嘲気味に語ってみせたこともあるし、もちろん甘やかされた子ども相応に我儘にふるまってみせることだって多々ある。
けれど、重要なところでぽんと自分の命を捨ててしまうような危うさも兼ね備えている。
――でなければ、あんな場所をうろついて自分と出会うなんてけしてなかっただろう。
おそらく彼らは基本的に、そして根本的に自分が嫌いなのだ。
――王家の呪いか。難儀な性格だな、と思う。
結局初代魔王の子孫たちは、かの男の陰を振り払えずにいるのだ。
自分の中に眠るどうしようもない憎悪を嫌悪し、消し去りたいと願っている。
一種の破滅願望――けれど。
取り留めない思考に任せていると、呼びかける声がして我に返る。
「パパ上、パパ上!」
息子の切羽詰まった声に、再度目を閉じて応じる。
「キオルか。どうした」
「殿下、近衛を振り払って自室に引きこもっちゃったよ」
ああそっち方向にグレたか、と思いつつヒューズは息子を促す。
「で、まさかそれだけでそんなに慌ててるわけじゃないだろうな?」
「うん……あのね……」
息子は珍しく口ごもってからおずおずとした調子で報告する。
「殿下、お部屋で泣いてるみたいなんだ……」
ぱちり、と思わず驚きで目を開け、そんな自分に苦笑した。
――想定できなかったわけじゃない。ただ、本当にあれの事に関しては感情の起伏が激しいんだな、と改めて思っただけ。
「――声を上げて?」
「たぶん。……枕に顔を押し付けて押し殺してる……」
戸惑い気遣うような声に、ヒューズはぴくりと眉根を寄せた。
「やめろキオル。必要以上に同調させるな」
「パパ上」
「何度も教えたはずだ。ヒトはヒト、獣は獣。我らはどちらにも属さぬもの。
――振りをするのか構わんよ? そうしなければヒトの中で生きていけないのだから。だが、勘違いするな。その感情は幻だ。錯覚だ。猿真似なんだよ、所詮。我らは彼らと同じになれない。忘れるな。我らは悪夢。生まれてから死ぬまで、けして我らの夢は覚めない。――唯一の手段を除いて」
息子にかける声は普段の軽い調子のものとも、どこか愛情あふれるそれとも全く違う。冷ややかで威圧的なものだった。
黙り込んだ相手に、ヒューズは畳み掛けるように続ける。
「お前の仲良くしているメイドとも、それ以上深入りするのは止せ。パパは何でもお見通しだ」
途端に末息子はきんと耳奥に響く悲鳴を上げた。
「嫌だ、食べないで! それは嫌だ!」
「お前次第だと言うほかないね。近づきすぎるな。でなければ、その選択も考慮に入れなければならない」
どこまでも淡々と温度のない声に、相手はしゅんとした気配を漂わせる。
ヒューズは少し間をおいてから、ふうとため息をついた。
「殿下の件については了解した。思った以上に深刻と判断し、こちらで手を打つよ。お前も今日は休んでいい」
はい、と消え入りそうな声を最後に気配は消える。直後、別の息子の声が届いた。
「パパ上」
「なんだ、今度はフェイルか。どうした」
「フォローしておこうか?」
「好きにしろ。他に連絡は?」
「いや、たぶんキオルと同じ。ちょっと殿下の落ち込み具合が激しそうって話だから」
「ああ、そうだ。キオルに言い損ねたが、しばらく部屋に誰も入れない方がいい。流れ弾に当たる可能性があるからね」
「わかった。伝達しておく」
途中から長男が親子のやり取りを聞いているのはわかっていた。
が、長男は何かと察しがいい。余計なことはあまり言おうとしない。
もう少し三男とのバランスを取っておくべきだったかな、などと考えている間に長男の気配は消えた。
何か言おうとしたらしい気もしたが、その後の展開まできっちり予測したらしい。
危険をかぎわける嗅覚が高いのは喜ばしいことだ。ヒューズはたとえ実の息子だろうと、役に立っているのだろうと、ダメだと思ったら切り捨てる。……そうでなければ、ここまで生きて来られなかった。
半端な優しさと思い込みは、ナイトメアには毒だ。
理解はするが、共感はしない。
そうやって、彼らはずっと生きてきた。
さて、それにしても号泣レベルで落ち込んでいるのか。
ヒューズは頬をかきながら苦笑いになる。
フィリスを振り切ったということは、おそらくしばらくは誰とも会いたがらないはずだ。
まあ父王を心配させないためにひとしきり泣き終わったらいつも通り出てくるのだろうが、それだといつまで経っても殻の中に閉じこもられる可能性がある――。
よし、あのヒトに来てもらおう。さらにこじれそうな気がしないでもないし、自分は大層嫌われているからしばらく殿下に近づけなくなるかもしれないが、こんなくだらないことで取り返しのつかないひびを入れられても困る。
別に破局してほしいわけではないのだ。ただ、少しだけ波風たてばいいと思う。あまりにうまくいきすぎるのは、つまらないから。
物陰に入ると、さっと姿を侍従ヒューズから侍女フレイヤへと入れ替える。
軽く懐から手鏡を取り出して点検を終えると、フレイヤはにこりといつもの微笑を浮かべ、廊下を滑るように歩き出す。
主の嘆きを受け止めてくれるだろう、かの女人に会うべく。




