塔での決闘 6
一瞬にして完全に思考が吹き飛んだ。
何が起こった? 何が起きている?
そんな冷静な理性の声すらも、今はまったく頭の奥に届いてこない。
すべての事が置き去りにされ、身体が熱く燃え上がる。
呼応するように、漆黒の体躯に走る体中の固有模様が鮮やかな赤色に発光を始める。
身体が震えるが、もちろん恐怖などによるものではない。まさに武者震いと言ってよかっただろう。
ティアの全力はただ一つの目的を意識し、そのために動こうとしていた。
倒せよ。
この怨敵を討ち滅ぼせ。
奴をそのまま飛ばせておくな。
――落とせ。
落とせ! 落とせ! 落とせ!
絶え間なく次々と胸の内にわき上がる言葉の群れは、ティア単独の意志ではない。
彼と彼の伴侶のための怒りをも含んではいるが、それのみにとどまらない。
大いなる空からの天啓、身体に流れる種の血の記憶、彼の深い場所にある本能の叫び声――天空の覇者としての自負から生じる怒り、そのものだった。
有翼魔人や獣人の一部にも翼を持つものがいるが、彼らの定住の場所は大地。翼は飛ぶための機能を有していないことの方が多く、ほぼお飾りと言っていい。
魔獣の中には空を飛ぶものも少なくないが、彼らは所詮みな畜生、所詮は動物止まりである。
偉大な翼持てる竜族は誰よりも空を愛し、自らと同等に空を飛ぶものをただの一つも許してこなかった。
空に、空と、空のためにあるはただ我らのみ。我こそが大空の申し子。空から来たりて空に還る。
ゆえに。
あんなまがいものが目の前を飛んでいるという事実は、竜である彼にとって許しがたい冒涜だった。
片方が吠えるともう片方も応えるように吠える。空気がびりびりと震え、二匹の鱗に重たい振動が伝わる。
身体の形、大きさ、色、動き。
一体いつトレースしたのか、エデルはティアそっくりな竜に化けて悠々と目の前を飛んでいた。
(この――偽物のくせに!)
ティアが大きく息を吸い込んで腹を膨らませ、力を込めて怒鳴りつけるように声を上げれば、勢い余って叫びのかわりに口から炎がもれ出る。
きちんと狙いを定めてやったわけではないので当たりはしないが、避けるためにばたばたと羽ばたいた相手の不慣れなような動きを見て、少しだけ気持ちが落ち着くのを感じる。
(そうか――戦いに得意な身体に化けていい気になったつもりかもしれないが、逆に言えばお前のそれはいつまで経っても借り物の力。お前より俺の方がずっとこの身体は使い慣れているんだ)
すると少しだけ冷えた頭にするりと理性が戻ってきて、忘れてはいけないことをささやきかけてくる。
相手と牽制し合うように距離を保ちながら飛んでいる合間、隙を見て一瞬だけ視線を下に、円形の決闘場の中央部に送る。
リリアナは――遠いこともあって確定はできないが、少なくとも今すぐ命に関わるような危機的な状況、というわけではないと思う。むしろ、彼女はあの状態で安全を確保している。
ならば今は、敵の排除を第一に優先させてもらう。
ごめんね。これが終わったら、すぐに行くから。少しだけ待っていて。
心の中でそっと語りかけてから、思考を戦闘モードに切り替える。
翼に力を込めると一瞬で距離が縮む。
大きく口を開けて突進するが、相手は身体をひねってティアのかみつき攻撃を避けた。
がちんと歯が合わさる音だけが聞こえる。
ティアはひるまず、すぐに大きく頭を振った。
硬い角の一撃が当たったのか、頭部の手応えと同時にティアにそっくりな黒龍が吠える声が聞こえる。
ティアは一度翼を大きく羽ばたかせて飛行姿勢を保とうとした。
相手が暴れがてら、尻尾を打ち付けるように当ててきて、そのまま絡めてこようとするのである。
やけに長い尻尾。いや、いくらなんでも長すぎる、さっきの目測と計算が合わない――と思ったら、どうやら身体の一部だけさらに別の形に変化させての攻撃らしい。
偽竜は尾を長い紐のような――鞭のようなものに変形させ、ティアの胴に素早くぐるぐると巻き付けた。
巻き付きと言うことは、絞め技か、動きを封じるつもりか。
にわかに緊張したティアだが、ぐぐっとかけられた力の向きと傾いた体勢で相手の意図を悟る。
なんと、振り回して投げるつもりだ!
おそらくあの円形の闘技場にたたき落とすようにして、衝撃を与えたいのだろう。
投げ縄の要領か、今は尻尾に巻き付けたティアを円形にぶんぶんと動かして、勢いをつけようとしているらしかった。
偽竜の瞳が虹色にちかちかと光り輝き、その顔が醜悪にゆがんでいる――。
ああ。やっぱりこいつは馬鹿だ。あと、相手のことを舐めすぎている。
ティアは鼻を鳴らすと、ぐっと踏ん張るように身体に力を入れた。彼の瞳が一際強く美しい金色を放つ。
すると一気に抵抗が増し、徐々に減速してやがて完全に停止してしまう。
うまく相手を翻弄することができなくなったエデルが顔をしかめ、不満の声を上げる。
ぴんとはった尾っぽの先と先、にらみ合って両者が引っ張り合うので綱引きのような硬直状態になった。
が、すぐに場は再び動き出す。
ティアが吠えると、あちらこちらの筋肉が音を立てながら盛り上がる。
虹色の瞳がしかめられた。
まもなく、今度はティアを中心にエデルの方が動き出す。
力任せにエデルの尾をちぎれんばかりの強さで引っ張ったティアは、力比べでの自分の勝利を確信する。
俺に空中で、力勝負を挑むとはな!
このまま円の地面のところまで連れて行って、頭をかち割ってやる――。
しかし、急に力を込めて引いていた重みが、ぶちんと太いものが切れた音がしたかと思うと一気に消えてなくなってしまう。
勢いのまますっ飛んでいきそうになったティアは慌てて姿勢を戻そうとし、状況を理解する。
エデルが自分の尻尾を切ることで逃げたのだ。
しかも切られた尾の残骸は自分だけで動き、ティアの身体の上を這って首に移動――今度こそ絞めてこようとしている。
ティアは羽ばたきながら吠えた。赤く発光していた固有模様を中心に、ティアの体中が光を帯びる。ぶわっと汗のように鱗という鱗からエネルギーが噴き出し、悪さをしようとしてたエデルのかけらは一瞬で溶けてしまう。
ブレスだけがエネルギーの噴出方ではない。少し大変ではあるが、こんな風にすることも可能なのだ。
自由になったティアがゆったりと旋回して体勢を立て直すと、下の方から怒り狂った竜の咆哮が聞こえてくる。
何せ相手を自分より下手に見たがる輩だ。自分が見下ろされるような位置取りは、我慢ならないのだろう。
こちらに上がってこようとするエデルを迎え撃つ体勢を取りながら、大分余裕の出てきたティアは敵越しにリリアナの様子をうかがう。
彼女の結晶は、今のところ特に何の変化の様子も見られない。
エデルに注意を払っている一方、ティアの理性は思考する。
近衛や従者たち、そして彼女自身をも包み込むように覆っている結晶。
さっきも少し考えたが、あれはおそらくエデルから身を守るためにリリアナが作り出したものだろう。
あの結晶の中にいる限りは、エデルに精神的にも肉体的にも干渉されることはない。
……だって、「結晶のせいでしたいことが何もできない」と当の本人が思いっきりぼやいていたし。
襲撃があってリリアナが防御のために術を作った。自分の分だけでなく、共にいたものの分もあわせて。結晶の群れの説明はおそらくそれでできる。
ただ気になることがあるとすればやはり、彼女が片翼になっている――その部分だろうか。
十中八九邪眼の仕業なので、奴に対する敵意は上がり続ける。が、怒ってるだけで片付けてはいけない、重要な問題である気がする。
そもそもリリアナはなぜこんな大規模な防御術を? いささか効率が悪いように見える。彼女ほどの力の持ち主なら、素直に邪眼を迎撃してもよかったのでは?
それができなかったのだとしたら、どうして――。
エデルが立て続けに放ったブレスを左右にかわし、自分もお返しに一発放とうとしたティアは、寸前にはっと一瞬身体をこわばらせる。
ノースタワーに来てからずっと感じ続けてきた違和感。
タワー中に満ちている気配。
――エデルの中からも、感じ取れる、よく知っているヒトの気配。
ようやく理由を理解したティアに向かって、邪眼はしかめていた顔を元の薄ら笑いに戻し、一際甘い猫なで声であざ笑った。
「そうだ、今頃気がついたのか?」
リリアナの、なくなった片翼。
エデルの中や攻撃から感じる、どこか懐かしい気配。
ああそうだ。気がついてしまえばこんなに簡単な等式はなかった。
ナイトメアは、魔力を持つヒト種を食らうことで力を発揮する。
エデルの余裕の根拠。
エデルから感じる無尽蔵なほどの力の源は――。
黒龍の吠え声は低く深く響く。
二匹の戦っている場だけでなく、その外部まで、ノースタワーの建物全体までもを、ティアの声がぐわんと揺らした。




