塔での決闘 5
「上がって来いよ、僕はここにいる。今度こそ本物さ! 逃げたりしないから安心するといい!」
大きくゆがんだ空の中から、姿は見えないが声だけが聞こえてくる。
ティアは空を見上げたまま歯をむき出し、ぐっとひざを曲げて筋肉を緊張させ、宙に飛び出す準備をした。
「お前が降りてくればいいだろう」
一応空に顔を向けたまま言葉を返すと、いかにも嘲笑しているといった調子の笑い声だけが降ってくる。
「いいからこっちに来いよ。安心しろって、せっかくここまで来てくださったお客様なんだ、歓迎させてくれよ。さっきのもてなし方が悪かったのは認めるって。ほら、な?」
エデルの声は甘ったるく鼻にかかるような感じだ。それでいて、有無を言わせぬ迫力も帯びている。
なだめすかしつつ、脅す。優しくしながら暴力をふるう。
そういう正反対の行動を同時に向けられると、ヒトは迷う。
好意には好意を、悪意には悪意を返すのがヒトという生き物の通常反応。だから好意と悪意を同時に提示されると、矛盾が生じて混乱し、どうすればいいのかわからなくなってしまう。
相手を崩しながら自分の優位を保ち続ける、とてもいやらしいやり方。実に邪眼らしい。
ティアの身体は戦闘に向けてますます緊張を高めているが、その一方で頭の一部が反対に冷えていく。
聞きすぎるな。でも聞き逃すな。
意識して息を長く吐き出し、自分を落ち着かせる。
憑依を見抜けたことで、ティアに味方殺しをさせるという相手の思惑の一つはつぶせただろうが、逆に言うとそれだけ、ここからが本番と言ったところだろうか。
一般に他人の精神に干渉する術は、最中に術者の本体が無防備になるデメリットが発生する。
特に同調タイプの干渉をしていた場合、干渉先と同等のダメージを受ける危険性があるとされている。たとえば憑依している人物が傷を負うと、感覚器官も共有しているため、憑依先が負ったダメージを自分が同等に受けたように感じる――極端な場合、本体に憑依先と同じ傷ができてしまう、といった感じだ。
それに、双方が同意して行う補助的な使い方ならともかく、相手を支配して無理矢理操作するような精神干渉の仕方は、常に支配者と被支配者が精神対抗して主導権を争う、非常に疲労の激しいものである。
仕掛け人だからと言ってそれだけで有利になれるわけではなく、むしろ相手の精神に干渉することで自分の精神に逆干渉されてしまうという、危険な可能性を常に孕んでいる。
要するに、本来なら使うだけで術者にもそれなりのリスクを伴うもので、まともな神経をしている者ならまず「できるとしてもやりたくない」部類の術であるのが精神干渉というものだった。
しかし、エデルはその精神干渉の達人であり、好んで使用するタイプの異常者であると聞く。
常人には伝わっていないようなより効率的な方法を知っているのかもしれないし、単にヒトに対する共感性が低いため同調したところでダメージが低いのかもしれない。
何にせよ、邪眼に対しての楽観視は自殺行為だ。
相手の余裕な態度は本物、けして見栄を張っているのではないと考えておいた方が妥当だろう。
場はどちらかと言えば相手のペースだ。今はまだ。
だが、そろそろだ。そろそろいい加減、そのふざけきった態度に誰かが鉄槌を下すべき頃合いなのではなかろうか。
ティアは前よりも邪眼に対する自分の敵意が上がっていることを自覚する。間違いなくリリエンタールの一件のせいだろう。
リリエンタールは一口に関係を言い切れない、というか相手の態度の軟化のせいで距離感を定めきれずにいる相手だが、少なくとも顔見知りであり知人であることは確かな事実。
それが人形のように操られて襲ってくるということは、そして迎え撃たなければならないということは、体感してみれば実に心をささくれ立たせる経験だった。
しかし、けして心が削がれたわけではない、気持ちが萎えたわけではない。闘志はますますみなぎっている。この勢いを利用しつつ、走りすぎないことだけ注意すれば。
彼は怒っていた。怒っていたが、その一方で頭の一部はずっと冷静な思考を保ち続けた。
幸いにもティアはほぼ無傷でリリエンタールの無力化に成功したし、それによってエデル本人を引きずり出すことができるようになった――のだと判断していい。はずだ。
気配が充満していて詳細な位置は特定できないものの、絶対にここにエデル本人がいる。
ここから、巻き返す。
ここがお前の墓場、絶対に仕留めてやる。
今度こそは必ず本体に直接たたき込む。
「僕はここだ。ここに来て話をしよう、かわいこちゃん」
エデルはあくまで自分から姿を見せようとはせず、ティアの方を動かす態度を変えようとしない。エデルが黙るとピンと空気が張りつめる。誘う言葉を吟味する。
――でも。ここでねばってもきっと、場が硬直するだけだ。何も得られない。もし罠なのだとしても、行くしかない。行って、仕留めるしかない!
彼の感情も思考も同じ答えを導き出す。結論が出ると、きらりと彼の瞳が輝きを増す。
ジャンプと変化はほぼ同時。素早く竜の姿になったティアはその勢いを利用してぐんと飛翔する。偽物の空の中に飛び込んでいく――と思った直後に景色がぐわんとゆがんだ。
次の瞬間、彼は自分が転移されたことを悟る。
とは言っても別の場所に飛ばされたと言うよりは、見えない空間に導かれたと言った方が正しいかもしれない。
彼が飛び込んだ先には相変わらず晴天の空が広がり、頭上からまばゆい日の光が注いでいる。
下を見るとノースタワーの屋上階や結晶の群れは消えており、代わりに広く白い円形の床がぽつんと青空の中に浮かんでいる。
決闘場だ。
ティアはとっさに思った。
だがそれ以上に、目を向けた彼を釘付けにさせ、心臓が止まるかと思うほどの衝撃を与えるものがそこにある。
円の中心部に、一際大きな塊がぽつりと鎮座していた。
それはノースタワーでヒトを包み込んでいた結晶と同様のものらしく、薄く水色を帯びてきらきらと日の光を反射している。
問題は中身だ。その、結晶の中身。
淡く透き通るように輝く金の髪が広がり、頭には四本の金色の角。
二つの瞳も夜空で輝く星のように美しい金色であるとティアは知っている。しかし今は両方とも閉ざされたまぶたの下に隠されてしまっている。
まとう衣服の色は黒。ティアの今の身体の色と同様の、夜の闇の色。
しかし、とてもよく知っているヒトの姿なのに、決定的におかしい部分がある。
彼女の背から生えている華奢で可愛らしい翼が、一つしかない。なぜかどう見ても、もう片方が見当たらないのだ。
――我に返ったのは、何がきっかけだったか。
ティアは呆然と見下ろしていた。下を、闘技場のような円形の床を見ていたことが幸いしたのかもしれない。
上空を飛翔する影の正体に気がつき、攻撃をかわすことができたのは、ほぼ反射的な身体の動きのおかげだった。
突撃してきた黒い影はティアに避けられると、勢いのまま少し先まで飛んで行ってからぐるりと大きく旋回する。
飛びながら慌てて体勢を立て直し、相手の正体を見極めたティアは怒りに身体が震えたのを感じた。
ティアの前に、自分とそっくりな、それこそ鏡で映したかのように何もかも同じ姿の竜が飛んでいる。
邪悪に顔をゆがめて笑いながら、竜はティアに向かって吐き捨てるように言った。
「来いよ、黒龍! お前の強さを否定してやる!」
もう一匹の黒龍の瞳が虹色に輝く。
ティアは自分の喉から渾身の怒りを込めた吠え声が上がったのを聞いた。




