塔での決闘 3
「僕は久しぶりに今、とても気分がいいんだ。あと、割と暇と言ってもいいし、誰かに僕の話を聞いてほしいと言ってもいい。せっかくだから色々答えてやるってことさ。さあ、何が知りたい?」
エドウィン=リリエンタールの皮を被った殺人鬼は朗らかに微笑み、鼻歌でも歌い出しそうなほどの機嫌に見える。高慢で謎のプライドにまみれている上から目線な部分は本人と一致していると言い切れないこともないが(そしてたぶん本人に言ったら向こうは失礼なと激怒するが)、立ち上る瘴気と言おうか、一目でわかる邪悪さと言おうか、とにかくエデルという個体はどんな姿をしていても相手にその醜悪さが伝わる性質をしているようだった。
彼はいつだって、幼子のようにとても無邪気だ。それゆえに極悪である、とティアは感じる。
敵意や殺意を誰かに持つということは反面、自分の命も脅かされるリスクにさらされるという事である。生命の危機に反応しない個体はまれだ。普通は誰だって死ぬのが惜しい、命がかかれば本気で抵抗する。だから誰かに敵意や殺意を持つことを、生物は本能的に恐れる。
エデルにはこの恐怖の部分がどうにも欠落しているように思えるのだ。敵意はある。殺意もある。ヒトを害する気で一杯だ。それなのにほんの少しも、「ならば自分も危険な目に遭うかもしれない」と考えていない。この普通なら当然持ち合わされているだろう認識の不一致が未知の物としてティアには映る。
その絶対的な自信の根拠は何なのか? ただの万能感なのか? あるいはまだ見せていない奥の手があるとでもいうのか?
だからからだろうか、ティアの危機感は、頭の中の警鐘は、この化け物と向き合うと最大限鳴り響くのかもしれない。きっとまだ知らない事がある。そう思っていると否が応でも緊張は高まる。
「どうした? この僕が恐ろしくて声も出ないか? それともこのお友達の事が心配か? 何か言ってくれよ。お前はそんなタマじゃなかったはずだ。え? そうだろう」
邪眼はまるで親しい親友であるかのように話しかけてくる。何かの攻撃の目くらましかとじっと観察しても、本当にただ喋っているだけだった。
ティアは周りに視線だけ送り、ざっと全体を確認すると話し相手の方まで戻す。
一連の事件の黒幕。語ってくれるというのなら聞いてみたいことはそれこそ山ほどあるが、こういうときまずは目下の問題から片付けるべきだろうかと考えて口を開いた。
「この状況はお前の仕業か?」
周囲に散らばる、おそらくエデルの襲撃に対して迎撃を試み――そして何をどう間違えたんだか水晶の塊になってしまったヒトの群れ。これがエデルの能力の一つのせいなのだとしたら、不利なんてレベルの現状ではない。良識あるヒト種なら絶望するべき場面だ。
ただし、竜としてもヒトとしても異端であると言われているティア=テュフォンの意外に冷静な思考は、倫理の問題の議論ではなく、もっと単純な計算をしようとしている。
彼は単にそこらに散らばっている石どもを、放置していいのか身を挺してもかばわなければならないのか、その判断がほしいだけなのだ。
一瞥した哀れな眠りの群れの中にはけして仲の悪くない、むしろ親しかった部類の知り合いの姿さえある。
ティア=テュフォンに情がないわけではない。彼は親しい者、関わり合った者が亡くなることは素直に悲しいと思う。邪眼の事だ。この後の展開次第では、彼らを見殺しにするか、最悪この手でやむを得ずということもあり得るかもしれない。そうなったら心が痛む。
それでも彼らよりは自分自身の方がずっと大事だ。なぜなら自分はリリアナの伴侶になる男である。リリアナがこの世で一番大事で、リリアナの伴侶にいずれならなければならない自分はその次に大事なのだ。もしもの時がありうるのなら、覚悟を決めなければならない。
エデルはそんなティアの考えを読んでいるのか、それとも別の事を考えているのか。
しばらくじっとにらむようにティアの顔に視点を合わせていたが、急に肩をすくめ、大げさにため息を吐いて首を振った――左右に。
「とんでもない。むしろ僕に対する大妨害なんだよ、これ。彼らは皆眠り、しかし遮断され、保護されている。こんなひどい状況があると思うかい? おもちゃもごちそうも目の前に見えているのに、見えて、並べられているだけ。僕は何も手出しできない。その結晶は物理的にも大層硬いし、精神面も完全に遮断されていてとりつく島がない。悲しくって仕方ないよ、お預けの僕はなんて可哀想なんだろう!」
と台詞では言っているが、声音はさほど不機嫌になった様子はない。いかにもわざとらしいジェスチャーの連続にティアがうんざりした目を向けていると、観衆に受けなかったせいだろうか、けろりと何事もなかったようにエデルはテンションを戻した。
「まあ、でもそれはね、別にどうでもいい。目当てのメインディッシュさえ腹一杯むさぼれるなら、前菜メニューが飛ばされたってそこまで気にはならないさ。そういうものだろう?」
食べ物にたとえられても、食えればいい、量があるならさらにいい、味がよければ文句なし、という感覚のティア=テュフォンにはいまいち実感として伝わってこない。
とりあえず大事なのは、今の異常状況の一つがエデルのせいではなかったらしいという事実だ。
「外の寝ている奴らも、お前がやったわけじゃないってことか?」
「え、何。やけにザルだし妙に静かだと思ったら、今そんなことになってんの? 予感はあったけど……はあん、なるほどね」
「さっきの俺に対する攻撃といい、ここの警備システム自体はお前が掌握している――部分もある。ただ、お得意の人心操作は使えない。そういうことだな」
「あはーは、ばーか、そんなこと敵に教えると思うか? でも今日は気分がいいし、色々答えてやるって言ったばかりだからな。間違ってないよ。集団人質作戦は使えない。安心するといいぞ、甘いお坊ちゃん」
念のために顔色をうかがいながら確認してみるが、エデルは集団昏睡について関与を否定し続ける。
とは言えナイトメアは嘘八百の舌でヒトをだます根っからの詐欺師。自分にとって有利になるようにすっとぼけている可能性もないとは言い切れない。
ただ、エデルにとっても不足の事態が起こっていることは確かで、そのおかげで多数の元味方とデスマッチを繰り広げる最悪の展開にはならなくて済みそうだ。ほんの少しほっとしそうになるが、たるんではいかんと慌てて再度気を引き締める。
とは言え、最悪ではないとわかってもこの後の対応に困る状況が続いていることには変わりない。
このまま話を続けるべきか、それとも遮って襲いかかるべきなのか。
後手に回るのは間違いなく悪手だろうが、かといって先走って罠を見落としているのも怖い……。
いつぞやと同じような葛藤を始めているティアの目は瞬きも忘れ、ライバル(仮)の姿にじっと注がれている。
「ほら、今そんなにピンチでもないってわかったらさ、他にまだまだ気になっていることがたくさんあるはずだろう? おしゃべりをしよう。僕は今、言葉に飢えているんだ。満たしてくれよ、お客人」
「どうやってあの瞬間を生き延びた。死体は確かにナイトメア二人分あった」
ノース・タワーにたどり着いてから感じている違和感の正体。
それと、目の前で喋っている人物についての一つの懸念。
ティアはそのせいで未だ飛びかかることを躊躇していた。
エデルに話しかけられると、とっさに浮かんだ疑問を投げかけて時間稼ぎの代わりにする。後もう少し引き出して、決定打がほしい。幸いなことに気まぐれな敵は自分の情報漏洩にとても積極的だ。この調子でそのうちボロを出してくれる事を期待したいが――。
「あの時死んだのが僕だってお前らはどうやって判別した? お前らに正確なナイトメアの個体判別なんてできるのか?」
「使い捨てにした子どもはあいつ一人ではなかった。そういうことか」
「そうさ。可哀想な僕の器。憑依体だから中身は間違いなく僕だった。だが、身体は出来損ないの一つだったってわけだ。ははは、まんまとだまされやがった」
上機嫌に自分の死の偽造について語る敵に、ティアは目を細める。愚かな幼い献身者は一人ではなかった。なんともむごい話だ。
そのとき違和感、いや不審感が頭をかすめていく。
自分が疑念を抱きつつもだまされたのはまだわかる。
だが、あの時どうしてその可能性を、ただの一人の関係者も言い出さなかったのだろう?
邪眼がこの程度で死ぬのだろうか。
その、当然抱いておくべき疑問を。
「全員考えなしだったってだけだろ。いつだってそうだ、ヒト種はとてもおろかだから」
顔色か、心か。読み取ったエデルがあざ笑う。
ティアはいったんその件はスルーすることにして、話と観察を続ける。
「お前自身は城内に、最初から潜入していなかったということか」
「僕だってちゃんといたよ。お前も多少は見ただろう? 何せ起きてから急いで作ったような奴ばっかだったからね、そこまで大した性能にはならなかった。あいつら弱いし馬鹿だし、一応お守りの必要があったってことさ」
「だけどお前本人は安全な場所に隠れていて、手下を――子どもたちを操っていたということか。なぜ直接俺たちの前に出てこなかった」
「僕を自殺願望者みたいに言うのはやめてくれないか? さすがにあの袋小路で武人に囲まれたくはない。僕が死んじまったら父さんが困るじゃないか」
「……誰が困るだと?」
「だって父さんは僕を一番愛しているんだから。僕は父さんの一番なんだから。父さんの一番苦しいときに生まれたのが僕だから」
きらきらと虹色の瞳を輝かせながらエデルは言う。その顔は、父のために歓喜して死んでいった彼の言う出来損ないと不気味なほどよく似ていた。
何か、わき出てきそうになる感覚を抑えながらティアは会話を続けようとする。
自分に浸っているのか、ティアの苦虫をかみつぶしたような顔に満足しているのか、リリエンタールの顔は穏やかな微笑になっている。
「ではなぜ王城に来なければならなかった。本当の目的はなんだ。大量殺戮は陽動だったんだろう」
「へえ、鋭いね。そうだよ、あれは囮さ。僕はね、復讐しに戻ってきたんだ。前回、よりにもよって実の弟に殺されかけたんでね、腹に据えかねてるのさ。今回眠る前に奴を苦しめてやらないと割に合わない」
ティアの頭は素早く情報を関連づけ、とある人物を思い出す。
――あれと俺を、一緒にするな。不愉快だ。
そういう、ことか。
すとんと飲み込んだものが胃に落ちてくるように一つの確信を得て、ティアは邪眼の失態を指摘する。
「だとしたら無駄足だった。あの時あいつは城にいなかったんだから」
その瞬間。
小さな爆発音がした、とティアは最初感じた。はっと身構え、続く音を聞き取ってようやくそれがおかしな笑い声だと悟る。
リリエンタール本人だったらまずしないだろう下品な高笑いをし、腹を抱えて転げ回る。あまりに動く物だからついに近くの結晶に頭をしこたまがつんとぶつけた。
すると沈黙し、静寂が訪れ、やがてむくりと男は立ち上がる。ティアに向けた表情は真顔だった。
「お前、シアルのことをどれぐらい知ってる? 不遜で賢い奴だと思うか? 何にも動じることはない? 怖い物なんて何一つない? 全部ポーズだよ。あいつはな、そんなんじゃない、そんなんじゃねえのさ。臆病な嘘つき野郎が、どんなにおすまししたって綺麗な皮被ったって、僕らはみーんな泥沼の悪夢だ。へらへらした顔の裏はいつだって醜い化け物の面、それでいつまでもガキのまんま成長しない。僕にはあいつの本心がよく理解出来る。そのくせ肝心なところで善人ぶる、良識を知ってる顔をする――」
芝居がかった抑揚が消え、淡々と低く語られる落ち着ききった言葉は、エデルの口から出てくると不気味以外の何ものでもない。爆発寸前の火山のような、何かぐつぐつとたぎる音が聞こえてきそうな憎悪を感じる。案の定、徐々に冷たい仮面は剥がれ、頭をかきむしり大きく身体を揺すりながらエデルは絶叫し始めた。
「僕はあいつが大嫌いだ。兄弟で一番、大嫌いだ! 見栄っ張りの大馬鹿野郎、それなのに父さんはなんであんな――あああ腹立つ腹立つ腹立つ、憎い憎い憎らしい、あのおすまし野郎の全部が気にくわない! 殺したって殺し足りない――あいつが生きて笑っている限り僕の平穏は訪れない!」
ティアをにらみつける目は血走り、喋っている最中にどこか噛んで切ったのか、唇の端から赤い血がたらりと落ちていく。
リリエンタールが喋りながら、今度は明確にこっちに向かって歩いてくる、近づいてくる。ティアは身をかがめ、密かに準備に入った。
「だからシアルの一番大事な物を奪ってやるんだ。あいつはそういうところが弱い。あいつは自分のことならすぐ諦める、けど大事な誰かさんのことは耐えられない。前だってそうだった、今度だってもう一度同じ事をしてやるんだ。そのために、僕に利用されろ、馬鹿な黒龍――!?」
言い捨て様、勝利を確信した顔つきで竜に向かって手を突き出したエデルは、直後ぽかんと間抜けな顔になる。
掌を向けた方、ついさっきまでそこに神妙に話を聞いていたはずの相手の巨体が見当たらない。
予備動作は見られなかったのに飛び上がったか、それとも瞬間移動か?
慌てて辺りの影に顔を向けようとしたその瞬間、死角から飛び出してきたものがある。しかし完全に反応が遅れたせいで何も出来なかった。
気がつけば、中性的美貌が売り(?)の赤薔薇騎士のエースは、どこからともなく突然現れた竜人――しかも、なぜか全裸――に、体重の乗った景気の良い右ストレートをもろに顔面に沈められ、宙を舞っていたのだった。




