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大嵐 中編

 まぶたの裏に残る荒れ果てた大地。耳の奥にこもるように響く雨の残響。置いてきた物にもう一度巡りあったような、奇妙な感覚が訪れている。


 しばし呆然とするように空中で羽ばたいていたティアだが、高度が下がっていることを自覚すると慌てて体勢を立て直す。


 改めて見回してみるが、やはりどこまでも広がっているのは曇天どんてんと殺風景な光景である。


 転移が、失敗した?


 勝手に早まる心臓と荒くなる息で乱れる身体をなだめながら考えて、結論にたどりつく。

 そう、彼は時空の狭間はざまでリリアナの所に直接向かうことが出来るよう、彼女のすぐ近くに飛び出せるように念じたはずだった。

 それなのにその光景が見えそうになったところでのあの衝撃、そして現状。

 やはり転移に失敗した――というか、目的地で何らかの妨害があって途中の場所に投げ出されたと判断した方がいいのだろうか。


 少し考えた彼は目を閉じて、もう一度角と翼、それから喉に力を込める。ワープゾーンを開き、対象の元に、目的地の座標にワープ――。


 ガツン!


 今度は対ショックの準備ができていたためか、そこまでひどい思いはせずに済む。吐き出されたのはワープ前と同じ場所、つまり北部らしい荒れ地の上だった。急いで空中で旋回し、飛行姿勢を安定させる。


 転移の失敗を確認してから、素早く別の術を編み出し始める。大気中に意識を伸ばし、自然の、精霊達のささやきに耳を傾ける。系統化されている魔法とはまた別の、古代魔法の一つを使う――魔術の方は、ちょっとやり方をど忘れしたからだ。


 やがて薄く発光を始めた翼から脳裏に情報が送られてきた。持てる知識を総動員して現在地の特定をしようとする。

 座標の割り出しは、得られる情報を数式に変換し、割り出した数値をさらにまた座標情報、位置情報として変換する部分さえしっかり心得ていれば、単なる算数。最善を尽くしても不確定要素が介入する転移術よりはるかに簡単だ。

 得られた結果は――北部。さらに北部全体から見て北北東にあたるような位置。北部は中央部や他の部から外れたところほど、つまり北に行くほど気象が激しくなり、ヒト種の居住可能圏から外れていく。人里の気配がないのも道理だ。



 以上の検証の結果、やはり空間転移がうまくいっていないようだと彼は理解した。

 しかし西部から北部自体には移動してこられている点、自分の転移術自体が未熟だったという可能性は低い。本当に未熟ならそもそも狭間から出てこられないし、弾かれる直前まではこれだという感覚が確かにあったのだ。

 となると、直観の通り、目的地手前で何らかの妨害を受けたと考えるのが一番妥当だろうか。


 混乱し、雑多になりかける情報を彼は整理しようとする。




 落ち着け。そもそも行きたい目的地は?

 リリアナの所。

 正確な位置座標は割り出せるか? 座標固定ができれば、転移がうまくいくかもしれない。

 不明。そして、彼女の位置を検索しようとすると耳鳴りのような、邪魔が入るような感覚が訪れると言うことは、たぶんこのまま検索を続けても不可能。

 リリアナはどこにいる?

 日程的に、北部巡礼中であることは確か。だから北部にはいる。

 今はどこに?

 そこまで細かい日程となると、ぱっと思い出せない。そもそもがざっとした計画しか聞いていないし……。


 ただ、訪問先、滞在先が限られてくることは確かだ。何しろリリアナが北部に直接訪れた一番の目的は、北部に張り巡らされている魔術回路が正常に作動しているか、そのメンテナンス作業――だったはずだから。


 北部は魔界の中でも一際特殊な場所だ。この土地は生命に対して厳しく、不毛な大地で生きていく生命体土地の性質を体現するかのように、強い肉体と激しい情といった要素を持ちやすい。

 しかし、その地には蓄積され、凝固された力が宿る。作物も実らないこの土地だが、非常に純度の高い魔鉱石が算出される他、他の土地よりわずかではあるが自然界の素の魔力濃度が濃いという特徴を持つ。北部でとれる希少石は魔道具――特に最新式の、たとえばティアやニコが夢中になって使っていた例の石版などを作成する際に必要不可欠となるものだ。術式証明書カードも北部でとれる石からできている。


 北部はその土地柄故だろうか、人の心をすさませ惑わせる。北部を治めるために派遣される人材は、他の土地よりも短いスパンで入れ替えさせられ、監査人のチェックも厳しい。

 この寂しい土地は死を呼び寄せる。死者の無念は恨みを孕み、後から来た生者に語りかける。

 殺せ。ヒトを殺せ。血と肉を我に捧げよ。足りない、もっと、足りない、と。


 要するに、北部生まれ以外の人材が北部にあまり長居しすぎると、土地の瘴気に当てられて病んでしまうということらしい。


 ――リリアナから教えてもらった北部の情報とは、そんなところだったろうか。情報が散漫になってきた。重要なのはそう、だから北部は他の土地に比べてヒトが行動できる拠点が限られてきていたはず、その点だ。北部の有名な区画、リリアナが今居そうな場所、と彼は記憶をたぐりつつ、現実世界で血眼になって方向を探ることも怠らない。


 少しの時を経てから、頭に光が灯るような、ピンと来る感覚。

 彼の思考と勘は一つになり、とある答えを導き出す。

 見開いた目が見つめるのは、現在地から方角としては南西、いや南南西――。


 北部の心臓!


 場所を割り出した彼は、止まっていた場所から徐々に加速し、瞬く間にトップスピードになる。




 転移で直接移動ができないとしても、飛んでいってしまえばいい。本気で飛翔する黒龍を越えられるものなどこの世に存在しない。大丈夫だ、もう目的地の目処だってついた。待っててリリアナ、何があったのかわからないけど、すぐに行けるから――。


 やはり、気持ちがはやりすぎていたのだろうか。

 それとも、久々の竜型に感覚が鈍っていたのか。

 あるいは、最強の肉体を持つ――そのことがおごりのようなものを与えていたとでも言うのだろうか。


 彼はわずかに、それ(・・)に気がつくのが遅れた。

 北部の大地が悪意を持って襲いかかってきたことに、ほんのわずか反応が遅れた。



 曇天はさらに暗くなり、風は激しさを増し、やがて空から雨粒が、いや雪まじりの雨の塊が、氷の塊が降り注ぎ始める。

 最初はぽつり、ぽつり、その程度だった雨脚が、あっと油断している間に既に豪雨へと変貌していた。


 ――馬鹿をやった、先を急ぐあまり高度を上げるのを怠った。


 慌てて実行しようとするティアだが、激しい光と轟音に思わず唸る。


 なんてことだ、雲の形が、色が、いつの間にかあんなにいびつなものになっていた。雷雲! 雲の中を抜けたら、直撃するかもしれない!


 渦巻く空から降り注ぐ濁流に耐えながら飛ぶ彼は、しかしいきなり振ってきたと言うことはさっさと止むのではないか、と考える。突発的に発生する嵐は、収まるのも劇的な事が多い。


 しかし彼は、このとき致命的にももう一つの可能性を忘れていた。

 焦る気持ちで本能的な警告を、危機感を無視し、いや自分なら大丈夫だと過信した。



 気がついたときには、上下左右がわからなくなっていた。嵐が作り出した視界の闇、断続的に続く雷のせいで狂った聴覚、身体感覚も矢のようにうち突く水の塊のせいで大分おかしい。しかも水は上からだけでなく、豪風によってあらゆる方角から刺してくる。

 感覚異常を意識した彼は次にさらに愕然とする。


 まっすぐ、飛べていない。

 この自分が。

 あれほど飛行に長けている自分が、急速に高度を下げ――いやこれはもう、落ちている! しかも自覚なく、まっすぐ地面に向かって、くるくると回転しながら!


 慌てて羽ばたこうとする身体がまったく言う事をきかない。雷に打たれてもいないのに、しびれたような感覚。そこで初めて彼は、これがただの嵐でない事を悟った。


 突発的な嵐は――磁気嵐を、魔力を狂わせる磁場荒れの嵐を伴う事がある。


 いかに頑丈な身体をほこり、空を支配する彼と言っても、大荒れの嵐と磁気嵐を共に受けてはさすがに正常飛行を保てない。魔法を使おうにも、磁気嵐で狂っている魔力感覚ではいつものような万全の状態とはとても言えず――。




 ギャン、と自分の喉から聞いたこともないような声が漏れた気がする。硬く不毛な地面に激突したと悟ったのは、衝撃で跳ね上がる自分の身体をぼんやり視界がとらえたからだ。全身が、少し遅れてから激痛を訴える。


 ほぼまともに落下ダメージを受けてしまったらしかった。


 ――もしかしたら、少し自失していたかもしれない。やがて重たいまぶたをこじあけ、ぼやける視界が映し出されたのは、地面にたたきつけられた無様な自分の姿だ。

 しかし、ぶるぶる震えていると徐々に徐々に、ゆっくりとではあるが痛みが緩和していく気配がある。


 さすがは黒龍の身体。空から防御もせずに落ちても、即座に治す余力があるほどにまで生命力があるらしい。痛む身体に叱咤して転がる向きを変えようとすると、背中に一際鋭い激痛が走る。


 どうやら落ちたときに翼が折れたらしい。

 身体をまるめたまましばらく待つが、こちらの方はさすがにすぐに治療とはいかないようだった。たぶん彼が意識して魔法を使うか、魔術で回復を行う必要がある。


 動こうとする度に全身がきしむ。ただ――頭からいかなくて、首を折らなくてよかった、とぼんやりティアは思った。非常に緩慢ではあるが、思考ははたらく。もし頭が潰れて角が折れてでもいたりしたら――ぞっとする。さらにひどいことになっていただろう。最悪、本当に死んでいたかもしれない。




 彼は今にして理解する。

 成長して自由に空を飛べるようになってから、不思議には思っていたのだ。母がなぜ、嵐ごときで死んでしまったのか。


 今、痛感している。たとえ頑丈で優れた竜でも、激しい嵐の中を対策もなくまともに突っ切ってはいけないのだ。せめて最初に防御術を施して雲を突っ切るか、非常に乱暴だが雲を操って無理矢理天候を晴れにするか――そのぐらいのことはするべきだった。自然現象を少し甘く見過ぎた。


 しかし、自分の不覚を悔いているだけでは現状を変えられるわけではない。

 行かなくちゃ。リリアナの所に、早く。何をしてでも。

 そう思って奮い立たせようと上げる自分の声の、なんとか細く頼りないことか。未だ続く雷鳴と、豪雨の音にかき消されてしまう。


(ああ、こうしていると、何も出来なかった昔を思い出すみたいだ)


 立ち上がることを諦めた彼は、ぐったりとうなだれて目を閉じる。


(俺は馬鹿だ。脱皮して強くなったからって、こんなところで油断して――)


 悔しさに涙が出てきそうになるが、そうしたところでなんになる? 顔を振り、翼に念を込めようとする。しかし身体が弱っているのか、磁気嵐のせいでうまく魔力が制御できなくなっているのか、うまくいかない。


 たたきつけてくる、雨、風。

 痛い、痛い。いろいろなところが。

 耳の奥に立ち上がる雨音。


 遠ざかっていく背中は、あれは誰の物だろうか。


 置いていかないで。行っちゃやだ。一人にしないで。


 身を震わせながらぐっと歯を噛みしめて唸る、唸る、苦渋の唸りを上げる――。



 唸り声。



 最初は、空耳かと思った。何しろ彼がいるのは寂れた土地、雨嵐の中だ。他の音など聞こえるはずもない。


 三度目ぐらいだったろうか、違和感にのろのろ顔を上げ、そして彼は驚愕する。


 やはり聞き間違いではない。竜だ。自分とは別の竜が、どこかで吠えている!


(――北部の竜? いや、同族なら、きっと力を貸してもらえる。俺は黒龍なんだから!)


 自分の無様な姿をさらしたくないだとか、そういうものは彼にはない。

 力を振り絞り、鉄の味が染みる喉から大声を振り絞る。すがるように見上げた嵐の中、見つめているとやがてはるか上空から降りてくる姿があった。




 嵐の中のはずなのに、それはとても奇妙な情景だった。

 時折光る雷で浮かぶシルエットは、ティアと同じスタンダードタイプの飛龍らしい。鱗の色は――なんだろう、天気のせいもあってか定まりきらない。嵐の中なのに、魔法で障壁でも張っているのだろうか、妙に飛び方が悠々としているというか、そいつの性格なのだろうか――妙になんかこう、ふわふわしてる軽薄な感じを受ける。


 なぜだ。見ているとこう、無性にイラッとする飛び方だった。それでいて――胸の奥が、じんとする?


 困惑しているティアに向かって影はすいすい向かってくる。相手が近づくことで、魔力だろうか? 淡い光を帯びていることがわかった。鱗の色は、嵐の中と言うこともあってかあまり判然としない。




 ふわりと降り立った相手を見上げるティアは、あんぐりと口を開ける。先ほど嵐を直撃したときよりも、落下したときよりもさらに大きな衝撃に打ち抜かれた気分だった。


 降りてきた竜はおそらく雄。ティアよりは年上だが、まだ若い方に見える。魔法で覆ってくれたのか、彼に近づかれるとぼんやり暖かかな光に包まれ、身体を苛んでいた嵐の感覚が消えていく。

 しかし見知らぬ竜を見て、まず真っ先に目が行くのは瞳の色だ。どう見ても変わっている。左右で色が違うのだ。片方が冴えない赤で、もう片方は美しい金色。

 ゆっくり輪郭に視線を移していくと、どこかティアに似ている顔立ちな気がする。


 いや、違う。逆だ。


 自分がこの雄竜に似ているのだ。

 昔言われた通りに。




 くりくりと人なつこそうな目を動かし、しげしげとティアを眺めていた光る竜は、やがてくわっと口を開き、いかにも軽くてのんきそうな声を上げた。


「やあやあ、これは――おっきなチビ助が落ちているぞ」

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