大嵐 後編
エカトリアは言っていた。
血のつながっている血縁、特に実の親子と兄弟なら、竜は出会った瞬間、本能でこれがそうだと容易に認識することができる。
自分は一生、その感覚はわからないのだろうと思っていた。なぜなら彼の親はもういない。兄弟もいない。両親はどちらも血縁がなかったし、祖父母と会うようなこともないだろう。天涯孤独。そんな風に理解していた。
そんなものなのか、と他人事に思っていたことを、今確かにその通りなのだと実感することができる。
言葉にするのは難解だ。あごの下、喉の辺りがざわりとするが、同時に温かい。そこから通って最終的に自分の腹の辺りにしっくりと落ちてくる。
とても奇妙だったし、起きている出来事が信じがたい。死んだ竜は高い高い空に還ってしまってもう二度と会えない。そのはずではなかったのか。
――が、しかし。
どういうわけだろう、セオリーにのっとるのなら、ここは息子として感動に打ち震えているところなのかもしれないが、なぜかこの竜の顔を見ているとこう、無性にイラッとしてくる気持ちを抑えることができない。
だってなんかこう、話と微妙に違うんじゃないか。
誰もが認める立派な竜って言って、義父の自慢の息子だったって聞いていたはずだが。
なんなんだ、この全身からほとばしる圧倒的なチャラさは。自分の中にあった父親像(参考は主にシグルド=テュフォン)ががらがらと音を立てて崩れ落ちていく気がする。
光る竜はどんどん険しくなるティアの顔を、しげしげと面白そうに二つの色違いの目で見つめ続けていた。
面白そう。
こいつ、ヒトがこんなに大変な目に遭ってるのに、どう見ても重傷なのに、他人事だからってへらへら笑ってやがる。
ぐっと顔をゆがめ、ティアは憮然と答えた。
「別に。落っこちたくて落ちたわけじゃない」
すると謎の竜は相変わらずのんきそうな表情のまま、再びくわっと大きく口を広げ、声を上げて笑う。
「ははーん。お前、なーんかハニィと言い訳の仕方が似ているな。おれはお前が好きになってしまいそうだぞ。見栄張って嵐の中飛んだら怪我しましたー助けてくださいーって素直に言えばいいのにな」
あきれてものも言えなくなる一歩手前ぐらいである。ティアが冷たくにらんでいると、尻尾をぱたぱたと揺らしながら光る竜はだらしなく顔をゆるめて続ける。
「ハニィはな、誰より可愛いんだ。でも誰よりも凶暴で一匹気取りなんだ。だからおれは、難攻不落なハニィのはじめての男だったんだぞう、ふっふっふ。……ただなあ、ハニィ。もう少しおれに高頻度でご褒美をくれても罰は当たらないと思うんだ。おれはハニィ一途なのに、君が発散相手になってくれなかったら、このたぎる情熱をおれは一体誰にぶつければいいんだい、ハニィ! ああハニィ、愛を深めあおうよ、ハニィ!」
……こいつは初対面相手に、一体何を熱くなって語ってやがるんだ。ぞわぞわとしてきた。先ほどまでの温かな気持ちの混じるものとは違って、純粋な寒気だ。中途半端な身内、微妙な距離感の他人ののろけほどまずい飯はない。
しかもなんかこう、雄竜が勝手に喋るから一生知らなくて良かったような非常にあれな情報を知ってしまった気がする。両親のなれそめなら興味がないわけじゃないが、こんな俗物的な話なら割としてほしくなかった。雄竜が大いに主観まじりに語るせいで、既に淡い記憶と化しかけている母の思い出が悪い方向に乱されるのもなんとかしてほしい。母さん、どうしてこんな奴を伴侶に、と思ってしまう心もどうにかしてほしい。つまり総合すると今すぐ黙ってほしい。見ている分には普通のかっこいい雄竜だから。
だが、これはティアが魔人文化にすっかり染まりきっているが故に出てくる感想であるのかもしれない。
元来竜とはヒト種に比べて大分性に関しておおらか、というか適当な性分である事が多い。
何せ乱婚推奨文化である。雄と雌が出会ったらとりあえず挨拶代わりに一発、なんて事も竜の中では比較的常識の範疇だ。
……あ、このイライラくる感覚の原因がわかったような気がする。
こいつ、アレだ。顔は自分に似ているのかもしれないが、言動が某不良妹に似ている(まあエカトリアの言動自体が竜的標準であるとも言えるが)。そしてこう、自分がエカトリアに対してイラッと感じる点をピンポイントに抑えてきている。だからだ。
ますます閉口するティアを前にしておきながら、勝手に顔を輝かせて盛り上がったり、逆に勝手にしょんぼりうなだれて盛り下がったりと、光る竜は一人で忙しそうである。ティアがぺったり耳を伏せて、聞きたくない、ないし聞き流す意志を示す姿勢に入っていても、この通りにおかまいなしだ。よくもまあペラペラ動く舌さばきである。
「まあ、あまりに振り向いてくれないから、仕方なく想いの成就のために寝込みを襲うことになったんだが……やっぱそれが悪かったのかなあ? 確かにハニィはあれ、めちゃくちゃ怒ってたけど。でもほら、出し抜かれる方が悪いんだろう? 雄なんて雌に仕込めるなら別になんでもいいんだ。おれたちは種を渡すのが仕事だからな。な、な? お前も雄なんだ、ほしい雌と会って拒絶されたら、死ぬ気で寝床に潜り込むだろう? おれの気持ちがわかるだろう?」
リアクションに困るからこっちに話題を振らないでくれるか。
それとその言い分はあれか、百年単位でお預けを強いられている自分に対する嫌がらせか、嫌がらせなのか。魔人業界のルールは竜業界より繊細なんだから仕方ないだろうが、好きで童貞やってるわけじゃねえんだよ!
……なぜだろう、途方もない徒労感が我が身をさいなむ。
そろそろ脳内でいちいち反抗する事すらばからしくなってきたティアであるが、雄竜の一人しゃべりは続く。もう相手の気が済むまで聞き流そう。そのうち満足するだろう。
ティアは半ばあきらめの境地である。身体が弱っているせいか、いつもより弱気のようだった。
「ハニィ、ハニィ、やっぱり怒っているよね。ちょっと出てくると言って、こんな有様になってしまった。おれはそれが心残りでまだこの世をさまよっているんだ。……ああ、そうだお前。ここでこうして出会ったのも何かの縁。ハニィを知らないか? めちゃくちゃ可愛い顔してめちゃくちゃ凶暴な北部の雌なんだが。名前はそうだな、北の国のヒルダだったはずだぞ」
聞き流そうと思っていたら何やら穏やかではない単語が聞こえてきた気がする。
会話、というか一方的なトークに疲れて地面の上に伸びていたティアだが、雄竜が話しかけてきて答えをもらいたそうな顔をしているので仕方なく顔を上げる。
空から舞い降りてきた竜は、よく見れば光り輝きながらうっすら透き通っている。
そして、自分の中にあるこの感覚。
さらに本人のこの言葉や、今まで聞いてきた過去の情報。
順に組み合わせていけば、なんとなく真相がつかめてくるというものである。
やるせない思いにたっぷり重い息を吐き出しながら、ティアは小さな声で答えた。
「あんたのハニィとやらは、たぶんもう空に行ってる」
「えっ」
「ちょうど今みたいな嵐の日に……出かけていって、そのまま落ちた」
今までほぼスルーの体勢でいたティアがまともに顔を見て答えた内容に、雄竜はいかにもびっくりしたように目をみはっていたが、そのうちしょんぼりと広げていた翼をたたみ、先ほどまでとは少し異なった低めの声音でつぶやいた。
「そうかあ。ハニィは意地っ張りの寂しがり屋だったからなあ。たぶん律儀におれを探しに来てしまったんだろうなあ。本当に悪いことをした。おれもほら、まさかあんなにあっさり殺されるなんて思ってなかったからさあ」
……今までの文脈からすると意義を唱えたい気もするのだが、なんとなくティアもそれは思っていた。
母竜は偏屈で頑固な性格で、ヒトを寄せ付けたがらなかった。なのに父親の思い出だけは、いつまでも捨てずに残していた。
父が死んでも嵐の中にとどまって母を呼び続けたように、あの日、たぶん母は父に会いに行ったのだろう。嵐の中、落ちるとわかっていてなお。
そう考えると、大体コイツのせいという言葉とともに再び雄竜に対する怒りのような感情がむくむくとわき上がってくる。そしてそれを助長させるかのように、独り言なんだか聞かせて挑発してるんだかわからない雄竜の言葉の垂れ流しが続く。
「しかし薄情な。死んだら死んだでさっさと上に上っちまったってことなのかな。おれ、ここにいるのに。あーでもなー、ハニィはそういう子だからなー。絶対先に死んだ当てつけだよなー、悪かったよー許して遅れよー。でもね、そんな冷たいところが可愛いよ、ハニィ。まったく、待ち伏せていたと思ったらあっさり逃げられた。おれのストーキング力もまだまだだな」
くそっ、万全の状態だったら重心を低くして息を吸ってから右手を顔にめり込ませてやるのに。
いや竜形態なんだから頭突きか体当たりにしておくべきだろうか。
身体をわずかにひくつかせながらぐるぐる思っているティアの顔を、先ほどまでは少し距離を保った場所で尻尾をパタつかせながら明るくしゃべっていた竜がてしてし歩いてきて至近距離でのぞき込む。
……しゃくなことに、やっぱりところどころ似ている。両頬に固有模様がある辺りも。
「で? ハニィの事も、ハニィの末路も知ってるお前は何ものなんだ? 生きている間は会わなかったと思うんだが」
かくりと小首をかしげて雄竜は問うてくる。
ティアはその金と赤の目を見つめていたが、ゆっくり伏して聞き返す。
「何なんだと思う? あんたがなんとも思わないなら、おれたちはただの通り行きがかっただけの他人だったし、あんたが何か思うなら――」
そこでふつりと言葉が途切れてしまう。光る竜は首を傾けたまま沈黙する。
夢か、うつつか、幻か。
死者は二度とよみがえらない。
それでも生者の中には、不思議と死者との出会いを語るものが絶えない。
それはただの願望なのだろうか。それとも、実現しうることなのだろうか。
「さっきからずうっと思ってはいたことなんだけどな。お前はどうも、ハニィにとてもよく似ていると思う」
閉じたまぶたのむこうで、雄竜がぽつりと言った。
ティアはわずかに目を開ける。
「それでお前は、気のせいでなければ……おれにも割と似ている気がするんだよなあ」
薄めのまぶたをさらに開ける。
光る竜は相変わらずティアをのぞき込んでいる。が、先ほどよりは表情に真剣みがあるような気がした。
目と目が合うと、もう一度あの不思議な鱗が逆立つ感覚と温かみが身体にしみ通っていく。それは光る竜が首を伸ばして触れあわせた額と額から、お互いの身体の中に水のように浸透する。
「そうかあ。おれにもチビ助が残ってたのかあ」
ぶうん、と雄竜が、嬉しくてたまらないという風に喉の奥をふるわせた。響きが妙に身体に心地よい。
親子とは、血のつながりとは、こういうものなのだろうか。
誰に言われなくてもはっきりと理解することが出来る。
自分と相手は、同じ血を分けている相手なのだと。
ティアは雄竜を見上げた。
できれば子どもの頃、生まれたとき、母が死んだとき、つらかったとき、見上げたかったはずの大きな影を見上げた。
そしてやっぱり実物より幻想に浸っていた方が良かったんじゃないかと微妙に後悔した。
なぜなら今感動の親子の再会を果たしたはずの相手は、ものすごーく残念そうに頭を振っている。主にティアの下半身を見すえながら。
「そうかあ、チビ助は、その、なんだ、結局雄に脱皮したのかあ……」
「そこで心底残念そうにするのはなんだ、なんか文句あるのか」
「他意はない。ハニィ似の可愛い雌ならもっと可愛かったろうなと思っただけだ。別に雄でがっかりしたわけじゃないぞ。ただこう、せっかく残ってたのなら雌の方がもっと嬉しかったなって」
こいつ、やっぱりここは身内として、その軟弱な神経と失礼すぎる口に一発入れておくべきなんじゃなかろうか。
身体の回復がまだ万全ではないのでとりあえず口で応酬しておく。
「俺の生涯を約束したたった一人の伴侶が雌だったから、合わせるために雄に脱皮したんだ。母さんにべた惚れのあんたに言える文句はない」
「ほう。おれの息子はもう伴侶がいるのか。やるなあ」
父は誇らしげに胸を張った。
……模範的な竜としては、生涯を約束したたった一人の、のところに突っ込みを入れるべきところだが、やはりこの息子にしてこの父親、何も言ってこない。優秀だったが一部の思考回路がとても残念にイカレてたという前評判は違わなかったらしい。むしろこの態度である。
思い出してみるとさっきの話も、雌に無断で寝床に押し入ってケロッとしている辺りごく普通の竜なのだが、徹頭徹尾発言はハニィ愛にあふれている。これがどういうことかというと、エカトリアの価値観とティアの価値観を両立させておいて、まったく自分の中に矛盾を感じていないということだ。
父親は息子以上に変態なのかもしれない。いや絶対そうに違いない。
父に対する敬愛深め距離を離していっている息子に向かって、満足そうにだらしなく相好を崩していた雄竜はふと待てよ、と我に返る。
「なら、どうしてこんなつまらない場所を飛んでいるんだ。伴侶をほったらかして、それでもおれの子か」
「彼女の所に行きたかったんだ。行こうとして――」
「ははあ、そーれで嵐に巻き込まれて落っこちたのか。なんとも馬鹿な奴だなあ」
ただの事実なのでぐうの音も出ないが、お前にはあんまり言われたくない。
結果として無言で尻尾の先で小さくびしびしはたいて遺憾の意を表明しているティアだが、雄竜は少し身体を引くと翼を広げる。
するとティアの身体は雄竜と同じ光に包まれ、全身のあちこちに染みついていた苦痛がすうっと遠のいていく。
「息子よ。恋はいいぞ。愛はいいぞ。おれたちはそのために生まれてくるのだ。まわりはお前はおかしいというがな、気にするな。お前が惚れた雌のために尽くせ。それだけでいいんだ。世界はかくも美しい!」
こともなげに治療をしながら、父親はうっとりと語る。ティアは身体が軽くなったのを感じて立ち上がった。動かしてみるが、翼もきちんと元通りの形になっている。何か言おうと向き直った瞬間、口が開いたままかたまる。
雄竜を包んでいた光が、先ほど明らかに弱くなっていた。透けて見えている嵐の雨粒が、身体を透過していく線までもが、くっきり見えるようになっている。
ティアが回復したことと自分の姿に異常が起きたこと、両方を確認して雄竜は首をすくめる。
「いい加減時間切れということだろうな。理にも背きかけている。最後に会えて、少しだけ力になれただけでもう十分すぎるほどの対価だ。おれは上に行って、冷たいハニィの尻を追いかけることにするよ。できればおれが育ててやりたかったし、ハニィ似であぶなっかしいから心配で仕方ないんだが……」
雄竜はティアを慈しみに満ちたまなざしで見つめながら言い終えると、目を閉じておごそかに翼を広げた。薄れゆく影と引き替えのように、ぽつぽつと身体のあちらこちらから小さな光が浮かんできては、水の中の泡のように、ゆっくりと一つずつ、曇天の中に上っていく――。
「あ、そうだ、いかんもう少し昇天待った。じいさんはまだ生きてるか」
そのまま上っていくのかと思って黙って見守っていたら、既に半分ぐらい透けているにも関わらずあっさり目を開いて聞いてきた。つくづく色々適当でだらしない奴である。
ティアがはあ? という顔になると、時間切れとやらの消えゆく身体を根性で止めているせいだろうか、先ほどよりも早口で雄竜が言ってくる。
「シグルドだよ。お前と同じ黒龍だ。おれの時すでに老いぼれだったから、今はさらによぼよぼのジジイになってるだろうなあ。会ったらこう、親不孝で悪かったよってさ、言っておいてくれないか。おれは元々こういう性根からの不良だったんだが、ヒルダに会うまではその辺隠して器用に生きてきたから、その、なんだ。だまして悪かったというか、見抜けなかったジジィバーカというか、まあそんな感じ。お前も育ての親とは喧嘩するなよ。いやしてもいいけど、早めに隙を見て仲直りしとけよ。おれはほら、アフターケアする前に死んじまったから、説得力があるだろう」
なぜ素直に美談でまとめておかず、余計な一言二言を付け加えずにいられないのか。こいつの態度を見ている限り、勘当されたのも絶対本人が先に喧嘩を売ったせいだろう。自業自得に決まっている。
生温かい目で見守るティアの前で、雄竜は再び天に昇るような神々しいポーズを取り、すべてを受け入れるように目をつむる。
「そうだもう一つ――おいにらむなこれが最後だ、あと一個だけだから」
つむろうとして、くわっと目を見開いた。
何度やるつもりだよ、色々台無しだろうが! と不満を全面的に顔に出しつつずっこけている息子に向かって、彼は慌てたように言ってきた。
「お前の名前は何て言うんだ?」
今更と言えば今更である。
が、度重なるマイペースにつきあわされ続けているティアは抵抗するのもうっとうしくなって、素直に短く答えた。
「ティア。シーグフリード=ティア」
幼名と成人名を簡潔に答えると、ぶぶぶ、と喜色満面に鼻を膨らました父竜は――いや、もはやほとんど消えかかって父竜のシルエットとなりかけている影は結ぶ。
「おれはな、お前の父はな、シグムント=ルエルスという男だった。長生きして幸せに生きろよ、チビ助のティア。おれはとても幸せな生涯だったぞ」
泡がはかなく消えてしまうように、シグムントの影も声も、最後に一際強く輝いた光の塊が天に昇っていくのと同時に吸い込まれていってしまう。
シーグフリード=ティア=テュフォンが父親に会ったのは、この馬鹿みたいな奇跡の一瞬が最初で最後の事だった。
後には激しく身にたたきつける雨嵐と、ほんのり不思議な温かさが胸の辺りに宿った健常な身体が残る。
ティアはほんの少し、数秒だけ父の消えた空を見上げていたが、首を振り、自らも再び大きく翼を広げる。
思い出に浸っているばかりにもいられない。
今度こそ、慢心してヘマをするようなことはしない。
彼にはまだやることが残っているのだ。




