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白の葬列

 昔から、白は喪の色と決まっている。なぜなら魔界では死者自身が死ぬと白に染まっていくからだ。


 これが短命種や力の弱い長命種になると、死はもう少し別の形となってやってくる。彼らの場合、放置した死体は肉が腐って朽ちていき、硬い骨だけが最後に残るのだという。


 しかし長命種なら、いかな人生を送ろうと最期は等しく白に還るものだ。


 生命力が抜けきった長命種の身体は、一週間程度放置すればすべての色が薄く抜けていき、結果的に白く染まっていく。身体のどこかしこも肉から石のような結晶になっていき、さらに時が過ぎると硬石の塊のようだった身体はふとした衝撃で散ってしまうような白砂の塊となる。


 この白砂の塊がばらけてしまわないように、祭壇に棺を安置して砂化するまで待つのが一般的な葬儀の方法だ。昔は獣葬と言って、まだ結晶化もしていない遺体を野原に放置し、野生動物にゆだねるような事もあったらしが、今ではあまりに野蛮すぎると考える方が多数派なので、辺境の田舎や流民でもない限りこのやり方は採用されない。

 砂化してからは、死者の川に流したり、燃やして空に還したり、骨壺に移し替えて土に埋めたりと、地域や文化によって埋葬方法が異なる。ちなみに帝都では骨壺土葬、西部では風に散らす風習との事だった。

 婆は王城で長く仕えていたが、出身は西部であり、還る場所もまた西部である。生前それとなく風に還してほしいと言っていたこともあるようなので、その通りになるだろう。



 魔界でヒトが死ぬと死の色で彩られ、送るヒトもまた自らを白く飾る。

 視覚的に容易に理解できるからだ。白色の衣をまとう一団を見れば、たとえ意味を理解しない幼子とて本能で永遠の別離を察知する。


 ゆえに鮮やかな色合いや、特に対極である黒が尊ばれやすいのだろうか。

 つややかな黒髪や色のある肌が魅力的に映るのは、彼らが強い生命力を維持している証拠だからなのかもしれない。


 そういえば、死んだ竜も、やはり身体の色が抜け落ちて白くなっていくものと聞く。だとすれば白色の竜が忌み嫌われるのも道理だ。


 長命種にとって、白色は異色。他の色と明らかに異なる意味を持っているのだから。






 報告は迷ったが、結局石版で送ることにした。一通りのことが落ち着いた深夜、手を震わせ、何度も打ち間違いを出しながらニコが送信を終える。


 ご臨終です。先ほど、お休みになられました。


 程なくして短い言葉が返ってきた。


 そうか。


 食い入るように二人で画面を見つめていると、少し間をおいてからメッセージが増える。


 会えたのか。


 ニコは無言でティアに端末を手渡してきた。そのまま部屋を出て行ってしまう。

 涙腺のゆるい男だ。たぶん我慢できなくなったのだろう。

 一人になったティアは石版を割らないように注意しながらゆっくりと打つ。


 あえたよ。

 うん。

 おれがみてた。

 うん。

 たのまれた。

 そうか。


 ティアの打つ文字は見るからに言葉足らずでつたない。リリアナの返信も短かった。それでも彼は彼女がすべてを悟ったような顔で、ティアの言いたいことをきちんと理解しながら端末を操作している光景をありありと思い浮かべることが出来る。

 受信の音が響く。


 頼んだ。


 彼女からのティアに対する言葉はそれだけだった。


 まかせて。


 送り返してももう返事は戻ってこない。


 ティアは無性に、今リリアナの隣にいられたらよかったのにと感じた。きっと今こそ、本当は彼女の隣にいてあげるべきなのではないか。

 けれどリリアナは彼に行けと言った。彼は来た。きっと彼女の代わりに。


 婆は言っていた。


 ――代わりにあなた様にお目にかかることができました。


 老女との会話を回想すると、もっと言うことが、話すことがあったのではないかとぼんやりながら浮かぶ。

 自分は、自分のするべきことができていたのだろうか。

 あまりにも一瞬で、あっけなかった。何かを考えたり手を講じる暇もなかった。


 獲物を狩り、自ら仕留めることは何度もあった。戦いの中で死んでいくイメージも、なんとなくついていた。理不尽にやってくる死なら経験がある。突然の死というだけなら、それなりに彼は経験している方だと思う。

 だが、老衰となれば今回が初めてだ。

 なんだか自分の身体にぽっかりと穴が空いたような喪失感がある。相手が全く赤の他人と言い切れない人物であったがため、余計にそう感じるのだろうか。



 ぼんやりと考えていると、ニコが戻ってくる。目も鼻も赤くなっている短命種は、しわがれ声で話しかけてくる。ティアはうなずいて立ち上がった。

 呆けている暇はない。彼はリリアナの代わりにやってきた。役割はまだ果たしきったわけではなく、むしろここからが本番なのだろう。

 送りの儀は、これから始まる。




 開けた荷物の中から当然のように見覚えのない自分用の白喪服が出てきたとき、ティアはため息が自分の口から出ていくことを止めることが出来なかった。

 慣れない衣装に手間取りながら着替えを終えて行くと、ニコもヘイスティングズも当然のように白布に身を包んでいる。ティアは白服を着せられたら後は呼ぶまで端っこで座っていろと言われたが、二人はやることがあるのか、主のいなくなった屋敷の中を積極的に動き回っていた。


「もう少ししたら婆の親族が来る」


 一段落したのだろうか、ヘイスティングズがやってきてそう言葉をかけた。親族、とティアは首をかしげ、ちょうど廊下を走るような勢いで抜けていったシーラの方に視線を向ける。

 突然の婆の死から、一番忙しそうに動き回っているのは彼女だ。

 するとヘイスティングズはティアの言いたいことを察したのだろうか、首を横に振る。


「彼女は違う。実質の手配やら仕切りは彼女がやっていることになるのかもしれないが、婆には息子があった。……宮仕えの関係で少々疎遠になっていたらしいが、こういうのは本来子がやるものだからな」


 やけに硬いヘイスティングズの顔を見て、ティアはふと頭に考えがよぎっていくのを感じる。


 極端にヒトの少ない広い屋敷。一切を心得たようなシーラの応対。そして彼自身が聞いた彼女の言葉。


 ――ほとんど思い残すことは……。


 それはつまり、わずかにではあるが、あったということなのだろうか。


 聞いてみようにも、顔を上げたらぼんやりしている間にヘイスティングズはもういなくなっている。言葉を飲み込んでふと視線を向けた先には、妙に寒々しい薔薇園があった。




 まもなく噂の親族らしき男や、死者をあちらの世界に正しく導いてくれるらしい神官様とやらを初めとして、様々なヒトが屋敷にぞろぞろと集まってくる。ニコがこっそり耳打ちしてくることには、王妃に仕えていた業績がある割にずいぶんと参列者の数が少ない方ではないかという話だった。


 師父と世話係に催促されるままに引っ張られていくと、大勢ヒトが集まった部屋の隅っこに座らせられる。婆は倒れた後慌ただしく運ばれていった姿を見たきりだったが、今は白一色の祭壇の上の真っ白な棺の中に、彼女が死後の世界にも持って行けるようにという配慮なのだろうか、小物が入っているらしい色とりどりの箱と一緒に収められていた。そのせいか、棺は彼女本人の大きさより一回りも二回りも大きい。目を閉じられ、真白い死者の服に着替えさせられていて、ぱっと見ている分には眠っているだけにも見える。

 ただ、寝ているだけのヒトと決定的に違うのは、一切の動きがなくなっていることだ。生気がなくなるとはこういうことか。今はまだ石化していないが、死体とは本当にどこか石のようだ、とティアは感じる。もう少し前まで、普通に話していたはずなのに。


 神官がなにやら呪文のようなものを唱える横で、ヒトビトが順番に席を立っては、祭壇の前に用意されている香りのする砂のようなものと花々を棺の中に入れていく。ティアも彼らにならった。するとニコからすっと一輪の花を差し出される。


「殿下からっす」


 視線を伏せたまま、短命種はささやいた。どこから持ってこられたのだろう、小ぶりで美しいピンク色のダリアの花だ。触るとほのかにリリアナの魔力の気配を感じる。

 ぎこちなく老女の顔の横あたりに花を添えている間、奇妙な視線を受けている気がした。顔を上げると、さっと視線をそらしたのは喪主らしい婆の息子とやらだ。困惑するが、彼がまごついたような動きを見せると横のニコが促してくるので、次のヒトのためにさっさとどく。振り返るが、彼はもうこちらを見ようともしない。




 集まったヒトで棺の中に贈り物をつめ終えると、いよいよ蓋が閉じられ、白布で顔を隠したヒトビトにしずしずと棺が運ばれていく。見たこともない馬車に運び込まれるのであれはなんだろうと首をかしげれば、霊柩車と言うのだと師父がささやきかけてきた。大人しそうな白い魔獣に、真っ白な車、御者すらも真っ白。


 これから一ヶ月程度、棺は神殿の方で保管されるらしい。時が来たら遺灰に変化した故人を引き取りに行き、ふさわしい場所で風に放つのだそうだ。遺灰を受け取るまで、関係者は喪服で過ごしたり喪中のサインの白布をどこかに身につける。


 神官達が棺ごと立ち去っていくと、案内の声があって食事がずらりと並べられた所に通される。これから皆で料理を食べ、歓談し、故人を偲ぶのだそうだ。今までもヘイスティングズとニコを横目に二人の真似を徹底していたティアは、今回も同じようにする。特に問題は起こさなかったようで、シーラが寄ってきてなにやら師父と盛り上がっているのを横目にほっと一息をつく。気分がゆるんだからだろうか、彼は手洗いに一度席を外した。手を洗いついでに顔も洗ってどこかさっぱりした気分で帰ってくると、待ち構える影がある。


 あの、婆の息子だった。

 彼が眉をひそめると、壮年の男はしばし視線をさまよわせてから、なにやらもごもご口にしようとする。


「あなたが、最期を看取ったと聞きました」


 聞き取りづらい小声をなんとか拾うと、そんな風に言っているらしかった。


「あのヒトは――母は、その。何か、言っていましたか」


 尋ねているのか、独り言なのか、曖昧な言葉にティアはますます顔をしかめる。しかし相手が拳を握りしめたままどこうとしないので、しばし考え込んでからゆっくり答えた。


「ほとんど思い残す事はない、と」


 一瞬、男が刺すような強いまなざしでこちらをにらみつけてくる。その直後にはがっくりと肩を落とし、「そうですか」とどこか気が抜けたような顔になって、どこかにふらふらと行ってしまう。


 ティアはその後ろ姿を見守って立ち尽くしていたが、そのうちにどうやら心配になったらしいニコがひょこりと顔をのぞかせると、なんでもないと首を振って席に戻っていった。




 三日三晩、宴は続いた。

 終わってしまえば白服の一団は散り散りに去って行く。喪主も片付けを終えると屋敷から出て行くようだった。


「母は、この場所に私を必要としませんでしたから」


 どこか徒労感に満ちた顔で彼は言うと、とぼとぼと歩いていく。門を出て行ってからも、振り返りもしなかった。残された方のシーラの横顔をうかがうが、何も読み取れない。しかしじっと見つめ続けていると、ティアの視線に気がついたか根負けしたか、彼女はこちらを向いて苦笑を浮かべた。


「ヘレン様は、エバ=ダリア殿下とリリアナ殿下に忠誠を誓っておいででした。……お仕事に大層熱心でしたから、ご家族の方とはあまり時間がとれなかったのかもしれませんね」


 それだけ言うと、ティアがそれ以上口を挟む間もなく、薔薇園の手入れがあるとうそぶいて身を翻す。


 家族。


 残されたティアの頭の中にはその単語といくつかの光景がよみがえる。


 彼はやっぱり、こんな時はリリアナの側にいたいと思った。

 リリアナと一緒なら、このなんとも言えない――妙にすかすかな感触がする心だって、埋めてもらえるのに、と。




 シーラから滞在許可をもらったので、あの後も屋敷に寝泊まりしている。葬式の日からもう少し時間が経つと、せっかくの休暇なのだから、とすっかり元通りになったらしいヘイスティングズが二人を連れ出してくれるようになった。

 葬式が終わってからも、ニコとティアは定期的にリリアナに連絡を送っている。今日は何があった。今日はどこへ行った。他愛のない日記のような近況報告を送り続ける。

 いよいよ北部への出張が忙しくなっているのか、彼女からの返信はない。ティアは一抹の寂しさのようなものを感じながらも、このまま何事もなく休暇が終わり、適当に観光をして適当に土産を買って帰るのだろうと漠然と思っていた。

 以前と同じだ。大きな非日常があっても、少し経てば日常は戻ってくる。また、いつも通りの日がやってくるのだろう。




 しかし、婆の死から3週間ほど経った時。


 再び事件が――それも今までで一番大きな事件が、起こることになるのだった。

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