─黒蜚蠊─
『
真黒に身を包む彼は、紳士の様装で、穏やかに佇んでいる。控え目でありながら、忘れる事の出来ぬその存在は、巷に溢れている執事にも似ている気がする。
薄い肉付きがそう私に思わせるのだろうか。
礼服に隠された彼の腹の濃い体毛は、男のフェロモンを強く意識させ、私を官能させた。
逞しい上腕からすらりと伸びる手。腕に生えている剛毛すら、鋭く美しさを讃える。大腿から伸びる足もまた同様に、密な剛毛に縁取られ、輝きを放っている。
黒々と光る腕。そして脚。
服従を示すかのようにかしずく彼。私はその体を串刺しにした。
手足を震わせ、ばたつかせる。呻くようにもがき、それでも絶える事のない生命力は流石だ。
彼の下腹部から流れる濃密で白く粘る液は、何処となく甘い匂いがした。
』
ノートに書かれた文面を読んで、教授はほんのりと頬を紅潮させた。
うっとりと空で想いを馳せる姿は、まるで初潮を迎える前の夢見がちな少女のようだ。
在る意味不気味な教授のその様子に、誰しもが退くなか、杉原女史はただ一人、凛と立ち向かって訊ねた。
「教授、何を御覧になっていらっしゃる…のですか。」
…振り向き様の教授の顔が萌え過ぎて、返って恐ろしい。
「ああ、杉原くんか。君も読んでみるかい、我がハニーが書いてくれた考察だ。」
敢えて、何の考察かは聞かずにノートを手にした。その書かれた頁を開きつつ、ゴクリと息を飲む。
「私ならさしずめ、こう書くかな。」
一人ごちに呟きつつ、思いに耽る教授の横顔には、最早誰にも立ち入る事が出来ない領域であった。
『 彼女は、黒いドレスを纏っている。
その大きな瞳は、小さな顔とは対照的だ。見つめるだけで吸い込まれそうな、不思議な魅力が、彼女の瞳に宿っているようにさえ思う。
長い下睫毛が彼女の眼をトロンとさせ、広いおでこと相まって、少し気だるげな少女の印象も持たせていた。
細く締まった足首とは対照的な、豊満な太腿。常に広げられたその脚は、私をイケない愛の輪舞へ誘い込もうとしているのか。
私はスレンダーな彼女の胸に目をやった。
薄いベールを脱いだら純白になるという、彼女の姿はまだ見た事が無い。が、その名残だろうか。
腕の付け根を目印に、胸元から覗く白い肌が、黒を基調とした彼女の容貌に相反し、惹き付けられる。
つと、彼女が笑った。
妖艶な笑みを浮かべる彼女の口元の、鋭い牙を目の当たりにし、私の身体は武者震いを覚えた。
彼女のその牙が、私の躯に突き刺さればどうなるのだろう。
じん麻疹が起こり、痺れが身体を突き抜け、私の肉体に彼女の接吻の痕が赤く、刻み込まれるのだ。
ああ、駄目だ。私には愛しいハニーがいるというのに。君の愛には応えられない─
』
脇で悶え喘ぐ教授の痴態を他所に、ピタリと動きを止め、暫し後にノートを閉じた杉原女史は、何も言わず、無表情のまま俯き加減に部屋を出ていった。
その後、構内に響き渡った杉原女史の絶叫は、その夏の間の怪談として、長く語り継がれたとも…云われる。
─黒ゴキブリの章 完─




