フロイス・安土城の記述
フロイス「日本史」には、フロイスが実際に安土城に訪れた時の記述があります。
そこでは
・信長が築いた安土城が、ヨーロッパのどの城より美しく優美であること
・皆が便利になるように、道が整備されたこと。それにより、旅人が恩恵を受け、女性は籠や馬に乗ったままで安土に訪れるようになった(ので喜んでいる)こと
・沿道の人は毎日、道を掃除するように、と仰せつかっていること
そして、
<↓ココ重要!>
「信長の領地の人々は、信長を愛し、信長が領主であることを喜んだ」
と明記されております。
ほらぁ~~~!!!
信長に直接会って、何度も安土に来たことがある人が、こんなにはっきりくっきり「みんな信長大好きだった」って明記してるじゃん!!!
一次資料(※)に、ここまではっきり書いてあるのに、どうして「みんなが恐れる暴君・信長」のイメージが払拭されないんでしょうか。
太閤記、恐るべし。
(※ここでの一次資料とは、その事柄を直接見た人が残した資料、を指します。
「誰かから聞いた」とか「聞いた事柄をもとに創作した」とかではなく、「直接見た」人の証言です。エビデンスレベルが高く、個人的には「江戸時代に創作されたお話100個」よりも「フロイスさんが直接見た事を残した記録1個」の方が、信頼すべき資料だと考得られるのではないかと思います。
(ちなみにフロイスさんは、信長について、1個どころではなく、むっちゃたくさん残しています。ちょっと引くレベルです。信長さんの事、大好きだったんだろうなって思います))
ちなみに、「日本史」には、本能寺の変の直後の安土の様子も描かれています。
(信長暗殺、の知らせを受け)最初はみな、半信半疑で様子を窺っていた。
しかしやがてだんだん、信長が暗殺されたことが事実であるらしいと分かってきた。
安土は大混乱に陥った。皆、我先にと逃げ出した。街は最後の審判の日かと思われるほど騒然となり、皆が家を棄てて安土から逃げた。
町民は、明智軍が攻めてくることを予想し、逃げ出しています。
信長の生前、安土城近くに住む人たちは、ゆったりと穏やかに暮らしていた様子も伺えます。
信長が武田氏を滅ぼした時は、武田氏の領民が列をなして、信長の領民になりたいとやってきたといいますから、えらい違いです。
とにかく。
信長が死んで、領民は大混乱です。
ひのは最初、「暴君・信長説」を信じておりましたので、初めてこれを読んだとき、
安土の人たちが「やったー! 俺たちを押さえつけていた暴君が死んだぞー!」的な反応ではないことに、かなり驚きました。
領民にとって信長は、暴君ではなかった(それどころか、かなり良い領主であった)ことが伺えます。




