契約の成立と、二人の共犯者
王宮のローズガーデンから少し離れた、静かで人目のつかないバルコニー。
春の甘い風が吹き抜ける中、第2王子であるアレクシス殿下は、私の提案を聞いて完全に言葉を失っていた。
「……契約結婚、だと?」
しばらくの沈黙の後、彼は絞り出すようにそう呟いた。
氷水色の瞳には、警戒と困惑、そしてほんの少しの好奇心が入り混じっている。
「ええ、そうですわ。お互いの利益を最大化するための、合理的で完璧なビジネスパートナー。それが私の提案する『契約結婚』です」
「ふざけるな。お前は兄上の婚約者だろう。それに、ローゼンバーグ公爵家といえば、兄上の最大の支持基盤のはずだ。なぜ、誰からも見放されている俺を選んだ? 俺を担ぎ上げて、一体何のメリットがあるというんだ」
アレクシス殿下の声には、長年王宮で虐げられてきた者特有の、深い疑心暗鬼が滲んでいた。
無理もない。
彼から見れば、私は順風満帆な王太子の婚約者であり、権力者の娘なのだ。
唐突に「あなたを王にする」などと言い出せば、何か裏がある(罠にかけようとしている)と疑うのが当然の反応である。
私は前世の記憶――外資系コンサルタント「神崎玲奈」としての経験を呼び起こし、彼に安心感と納得を与えるための「論理」を組み立てた。
「メリットなら大いにありますわ、アレクシス殿下。まずは現状の分析(SWOT分析)から始めましょうか」
「……すうぉっと、分析?」
「ええ。殿下、あなたはご自身の『強み』を理解していらっしゃいますか? 剣術、魔法、そして何よりその優れた知力。あなたは王族としてトップクラスの能力をお持ちです。しかし、母親の身分が低いというだけの理由で、権力や人脈といった『資源』が決定的に不足している。これが現状です」
私が淡々と事実を並べると、アレクシス殿下は面白くなさそうに眉をひそめた。
「そんなことは百も承知だ。だから俺は、無用な争いを避けて大人しくしている」
「そう、そこが問題なのです。一方の私ですが、私にはローゼンバーグ公爵家という絶大な財力と権力があります。しかし、現在の婚約者であるレオンハルト殿下は、大変申し上げにくいのですが……上に立つ者としての器ではありません。彼が王になれば、国は傾き、私の平穏な生活も脅かされます」
私は一歩彼に近づき、声を潜めた。
「つまり、私には『優秀なトップ』が必要であり、殿下には『強大な後ろ盾』が必要なのです。お互いの弱点を補い合い、強みを最大限に活かす。これほど理にかなった取引は他にありませんわ」
「……俺を、国を動かすための駒にするつもりか?」
「『駒』ではありません。『共同経営者』ですわ」
私はニコリと微笑み、彼に向けてスッと右手を差し出した。
「私があなたを玉座に押し上げます。その代わり、あなたが王になった暁には、私に『王妃としての絶対的な自由と権限』、そして『十分な財産』を保証していただきます。愛情や義務に縛られない、書面上の契約に基づいた関係。……いかがかしら?」
アレクシス殿下は、私の差し出した右手をじっと見つめた。
その瞳の奥で、長年押し殺してきた野心と、私の提案の妥当性を天秤にかけているのがわかる。
コンサルタントの直感が告げている。
彼はここで終わるような器ではない、と。
「……お前、本当にあの気弱で泣き虫だという噂の公爵令嬢か? まるで、百戦錬磨の老獪な政治家と話している気分だ」
「ふふっ。女性は変わるものですわ。特に、理不尽な絶望を味わった後はね」
私が前回の人生(ギロチンでの処刑)を思い出しながら自嘲気味に笑うと、アレクシス殿下は小さく息を吐き、そして――私の小さな右手を、その大きな手でしっかりと握り返した。
「いいだろう。その話、乗ってやる。だが、口先だけなら容赦はしないぞ、セレスティア」
「ええ、望むところですわ。まずは近いうちに、私が『公爵家の実権』を完全に掌握し、レオンハルト殿下との婚約を白紙に戻してみせます。それが、私から殿下への最初の『実績証明』ですわ」
二人の手が離れると同時に、私たちは不敵な笑みを交わした。
これで**『目標3:第2王子アレクシスとの契約結婚、および王位簒奪計画』**の基礎工事は完了だ。
優秀な投資先は確保した。
あとは、私がこの公爵家を完全に掌握し、彼を支援するための資金と権力を手に入れるだけである。




