圧倒的な戦力差と、命がけの「交渉(ディール)」
馬車が切り立った岩肌に囲まれたガルディア渓谷に差し掛かった、まさにその時だった。
ヒュンッ! ヒュンヒュンッ!!
という鋭い風切り音と共に、岩陰から無数の黒い矢が馬車に向かって降り注いだ。
「――風よ(ウィンド・シールド)!!」
アレクシス殿下が短く詠唱すると同時に、馬車全体を包み込むように強烈な竜巻のドームが発生した。
鋼の矢じりを持った暗殺者の矢は、竜巻の壁に弾き飛ばされ、ポキポキと音を立てて無残に砕け散っていく。
「な、なんだあの魔法障壁は!?」
「チィッ、話が違うぞ! 対象は魔法が苦手な公爵令嬢と、実戦経験のないお飾りの王子だと聞いていたはずだ!」
慌てふためく暗殺者たちの声が、渓谷に響き渡る。
情報収集を怠った者の末路だ。
アレクシス殿下が日陰者だったのは、彼が無能だったからではない。無能な兄を刺激しないよう、意図的に力を隠していただけなのだから。
「さあ、仕事を終わらせてこい、殿下」
私が微笑みかけると、アレクシス殿下は馬車の扉を蹴り開け、疾風のごとき速さで敵陣のど真ん中へと飛び込んでいった。
「ぐわぁぁっ!?」
「ひぃっ、速すぎ――」
そこから先は、まさに「一方的な蹂躙」だった。
アレクシス殿下の振るう剣は雷光をまとい、彼が動くたびに暗殺者たちが次々と吹き飛ばされていく。
彼らは一流の暗殺者のはずだが、殿下の規格外の戦闘力の前では、まるで大人と子供のような実力差だった。
そして、戦闘開始からわずか三分。
「……終わったぞ、セレスティア」
殿下の涼やかな声に呼ばれ、私は馬車から優雅に降り立った。
周囲には、気絶して地面に転がる数十人の暗殺者たち。
そして、殿下の足元には、黒ずくめのリーダー格の男が、剣を突きつけられてガタガタと震えていた。
さらにその後ろでは、護衛のルークが男の逃げ道を完全に塞いでいる。
「ひ、ひぃぃっ……! ば、化け物め……!」
「おやおや。プロの暗殺者にしては、随分と見苦しいですね」
私はリーダーの男の前に歩み寄り、冷たく見下ろした。
男は私を睨みつけ、血を吐き出すように言った。
「くそっ、殺せ! 俺たちは『黒蛇の牙』だ! 依頼主の情報は死んでも吐かねえ!」
「……へえ。死んでも吐かない、ですか。素晴らしい職業倫理(プロ意識)ですね」
私は感心したように拍手をした後、ふっと声の温度を絶対零度まで下げた。
「でも、あなたが今雇われている『スポンサー』は、あなたたちの命に見合うだけの価値があるのかしら?」
「……なんだと?」
「ヴォルグ侯爵が、あなたたちに提示した報酬は金貨五百枚。前金で二百枚を受け取っているわね? そして、もしあなたたちが失敗した場合……侯爵はギルドの存在そのものを騎士団に密告し、トカゲの尻尾切りをする算段をつけている。これが、ルークが集めた情報よ」
「なっ……侯爵が、俺たちを売る……?」
男の目に、明らかな動揺が走った。
腐敗した政治家が、裏稼業の人間を使い捨てにするなど、火を見るよりも明らかなことだ。
「そこで、私からあなたに『新しい取引』を持ちかけます」
私は懐から、ずっしりと重い皮袋を取り出し、男の目の前に放り投げた。
チャリン、と澄んだ黄金の音が渓谷に響く。
「中身は金貨一千枚。侯爵の報酬の倍額ですわ。あなたたち全員の命を見逃す権利と、この金貨一千枚。……これらを私が提供する代わりに、あなたは『ヴォルグ侯爵からの暗殺依頼書』を私に渡し、法廷で彼の罪を証言すること。いかがかしら?」
命の保証と、倍の報酬。
そして、自分たちを裏切ろうとしている雇い主への復讐。
圧倒的な武力(アレクシス殿下)で恐怖を与えた直後に、論理的な利益を提示する。
アメとムチを使い分けた、コンサルタントの究極の交渉術だ。
男はしばらく葛藤するように脂汗を流していたが、やがて力なく首を垂れた。
「……負けだ。あんたみたいな恐ろしい女と敵対したのが運の尽きだった。……依頼書は、俺の懐の隠しポケットにある」
「賢明なご判断ですわ」
私はルークに合図を送り、男の懐から侯爵の署名と印章が入った「暗殺依頼書」を回収させた。
さらに、男の自白を「録音の魔石」にしっかりと記録する。
これで、完璧な証拠はすべて揃った。
「さあ、王都へ急ぎましょう、アレクシス殿下。古い体制に引導を渡す、最後の『御前会議』の時間が迫っていますわ」
私は手に入れた依頼書を扇子でトントンと叩きながら、勝利を確信した笑みを浮かべたのだった。




