過去への回帰と、最強のスキルの覚醒
「……っ!!」
肺の底から無理やり空気を吸い込む音と共に、私は弾かれたように上半身を起こした。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」
荒い呼吸を繰り返しながら、私は無我夢中で自分の首元を両手で探った。
切断されたはずの首は、しっかりと胴体に繋がっている。
生温かい血の感触もない。ギロチンの刃がもたらしたはずの、あの絶望的な痛みもない。
「私……生きて、る……?」
激しく波打つ心臓を胸の上から押さえつけながら、私は周囲を見回した。
そこは、暗く冷たい地下牢でも、雨の降る処刑台でもなかった。
見慣れた天蓋付きのベッド。
柔らかなシルクのシーツ。
壁に掛けられた、幼い頃にお母様と一緒に描いた風景画。
ここは間違いなく、ローゼンバーグ公爵家にある私室だった。
「どういう、こと……?」
混乱する頭を抱えながら、ふらつく足取りでベッドから降りる。
部屋の隅にある大きな姿見(全身鏡)の前に立ち、そこに映る自分自身の姿を見つめた。
鏡に映っていたのは、銀色の長い髪に、澄んだアメジストのような紫色の瞳を持つ少女だった。
間違いなく私、セレスティアだ。
しかし、どこか違和感がある。
処刑される直前の私は、劣悪な地下牢での生活のせいで頬はこけ、髪もボロボロで生気を失っていた。
だが、鏡の中の私は少しだけ幼く、肌も髪も艶やかだった。
ふと、ドレッサーの上に置かれた日めくりカレンダーが目に入る。
『帝国歴412年 4月15日』
「……嘘。これって、私が十六歳になったばかりの年じゃない……!」
私が処刑されたのは、帝国歴414年の冬。つまり、私は死の瞬間から丸二年も過去に戻ってきたことになる。
時間が巻き戻った。おとぎ話でしか聞いたことのない「回帰」という現象だ。
(時間が、戻った……? なら、あの処刑は全部、私の見た悪夢だったの? いいえ、違う。あの刃の冷たさも、群衆の罵声も、マリアの醜く嘲笑う顔も、決して夢なんかじゃなかった)
私がギュッと拳を握りしめ、現実に直面しようとしたその時だった。
――ズキンッ!!!
「痛っ……!?」
突然、頭を重い鈍器で殴られたような強烈な痛みが走り、私はその場にうずくまった。
脳内に、私の全く知らない「別の誰かの記憶」が、濁流のように流れ込んできたのだ。
『神崎玲奈。それが私の名前。』
『年齢は三十五歳。職業は、外資系コンサルティングファームのシニア・パートナー。』
『企業の経営危機を救い、無能な社長をすげ替え、新たなリーダーをトップに押し上げる。人は私を「最強のキングメーカー」と呼んだわ。』
『仕事、仕事、仕事の毎日。睡眠時間は平均三時間。クライアントの利益のためなら、どんな冷酷なリストラ案も実行した。そして最後は……深夜のオフィスで大型案件の企画書を作っている最中に、心不全で倒れて、そのままジ・エンド、か』
次々と脳裏にフラッシュバックする、ガラス張りの高層ビル、眩しいパソコンの画面、飛び交う専門用語、複雑なグラフ、そして孤独な死の記憶。
「あ、ああ……そうか。私、思い出したわ」
痛みが潮が引くようにスッと消えていくのと同時に、私の口からこぼれた声は、これまでの気弱で怯えてばかりいた「セレスティア」のものではなかった。
私、セレスティア・フォン・ローゼンバーグの前世は、現代の日本という国で過労死した超一流の経営コンサルタント「神崎玲奈」だったのだ。
処刑と回帰という常識外れのショックが引き金となったのか、私の魂の奥底に眠っていた前世の記憶が、今、完全に目覚めたのである。
鏡をもう一度見つめる。
そこに映る少女の表情は、もう怯えてなどいなかった。
前世である「神崎玲奈」の冷徹で論理的な思考力と、今世である「セレスティア」が味わった絶望と無念。
二つの魂が、まるで精巧なパズルのピースのように完璧に融合し、一つの新たな人格を形成していた。
「なるほどね。コンサルタントとしての私の最大の特技は『絶体絶命の窮地から、現状を分析して一発逆転の戦略を立てること』だったわ」
私はふっと、口角を上げて微笑んだ。
一度目の人生では、おとなしく、真面目にしていれば誰かが見ていてくれると信じていた。
でも、現実は違った。お人好しは容赦なく搾取され、悪知恵の働く者が勝つ世界だった。
「なら、やり方を完全に変えさせてもらうわ。私をサンドバッグのように扱い、虐げた継母と義妹。そして、女を見る目のない無能な王太子。あなたたちが私に何をしたか、そしてこれから何をしようとしているか……私には全て分かっているのよ」
前世の記憶という「現代最強のビジネススキル」、そして一度目の人生という「未来の確定情報」
これほど強力な武器はない。
私は誰にも負けない最強のチートを手に入れたのだ。
「もう二度と、理不尽に泣き寝入りなんてしてあげない。私の人生を狂わせた代償、たっぷり利子をつけて支払わせてあげるから覚悟なさい」




