第29話 『明日も君に会いに』
明日は、二学期の始業式。
夏休みが終わる。
だけど、僕の夏休みは、あの日から少し変わってしまった。
カンナは、まだ病院にいる。
いつ学校へ戻れるのかも分からない。
いつ治療が終わるのかも分からない。
それでも。
今日も僕は、カンナに会うため病院へ向かった。
*
カンナの病室の前まで来ると、そこにはカンナのお母さんが立っていた。
そして、その隣に――。
見覚えのない男性がいた。
背が高い。
体格もしっかりしている。
どこか誠実そうな人だった。
僕が近づくと、お母さんがこちらを向いた。
「こんにちは、大輝くん」
「こんにちは」
僕が頭を下げる。
すると、隣の男性が僕をじっと見た。
顔を見る。
肩を見る。
そして、足元まで見る。
まるで、野球の試合前に相手選手を見ているみたいだった。
「……」
なんだろう。
少し緊張する。
男性は、しばらく僕を見たあと――。
「君が大輝くんか!?」
「はい!」
思わず背筋が伸びた。
「君のことは、いつも妻やカンナから聞いているよ」
そして、僕に手を差し出した。
「私はカンナの父親だ」
「……!」
僕は差し出された手を握り、慌てて頭を下げた。
「は、初めまして! 橋本大輝です!」
まるで試合前の挨拶みたいに、必要以上に深く頭を下げてしまった。
「はははっ。そんなに固くならなくていい」
お父さんは、楽しそうに笑った。
「カンナは、いい彼を見つけたな」
「……え?」
僕は固まった。
「あの……」
「ん?」
「カンナさんに告白はしましたが……。断られました」
お父さんは、目を丸くして驚いた。
隣で、お母さんが小さく笑った。
「あなた」
「ああ、そうなのか」
お父さんは、なぜか納得したように頷くと、僕の肩をぽんと叩いた。
「お互い、カンナには振り回されるな」
「……はぁ」
僕は思わず苦笑いがこぼれた。
「あ、すみません!」
「謝ることじゃないだろう」
お父さんは笑った。
その笑い方が、少しカンナに似ていた。
そして。
なんとなく、この人とは少し話しやすい気がした。
真面目で。
でも、少し不器用で。
「ちょっと、中で話さないか」
僕は、お父さんに誘われ病室の椅子へ移動した。
*
お父さんは、僕の横に座った。
「君に、話しておきたいことがある」
落ち着いた声だった。
「カンナは、昔から自分のことをあまり話さない子だった」
お父さんは、少しだけ視線を落とした。
「今回の病気のことも、最初は受け入れられなかったと思う」
「……」
「治療を受ければいい。そう言っても、嫌だと言った」
僕は黙って聞いていた。
「入院したくない。学校へ行きたい」
お父さんの声が、少しだけ低くなる。
「友達と会いたい。普通の高校生でいたい。そう言っていた」
それは、カンナらしいと思った。
カンナは、学校が好きだ。
友達と笑っているのが好きなんだ。
他愛もないことで笑って。
毎日を楽しんで。
そんな普通の時間を、大切にしていた。
「でも君たちは……、カンナに現実を受け入れる勇気を与えてくれた」
お父さんが僕を見る。
「そして、カンナは治療を受ける気持ちになってくれた」
「僕は何も……?」
「いや」
お父さんは静かに首を振った。
「君たちのお陰で、カンナは『治したい』と思うようになったんだよ」
胸の奥が、強く締めつけられた。
「これから、治療が始まる」
お父さんは続けた。
「薬を使った治療。そして、造血幹細胞の移植も予定している」
「移植……」
「そうだ」
お父さんは少し間を置いた。
「カンナの場合、完全に一致するドナーを見つけるのが難しかった」
「……」
「HLAという細胞の型があるが。カンナは、その型が少し特殊なんだ」
僕が少し驚くと、お父さんは続けた。
「私はカンナと血液型は違う。でも、HLAが私と適合している」
「……!」
「だから、私がドナーになる」
お父さんは静かに言った。
「しかし、完全に一致している訳ではない」
僕は、言葉が出なかった。
それでも、お父さんは自分の娘を助けようとしている。
当たり前なのかもしれない。
でも――。
その「当たり前」を、この人は迷わずやろうとしている。
「ただな」
お父さんの表情が変わった。
「君には、知っておいてほしい」
「はい」
「移植をすれば必ず助かる、というわけではない」
「……」
「カンナの場合、移植をしても、助かる可能性は極めて低い」
頭の中が、真っ白になった。
分かっていた。
カンナの病気が簡単なものではないことくらい。
でも。
改めて言葉にされると、胸が苦しくなる。
「……そう、ですか」
それしか言えなかった。
お父さんは、黙って僕を見ている。
たぶん、この人も怖いんだ。
カンナも。
お母さんも。
みんな、怖い。
「……僕は」
声が少し震える。
「僕は、これからもカンナさんを支えていくことに、変わりはありません」
お父さんは黙って聞いている。
「それが、どんな結果になっても」
一度、息を吸った。
「……僕はカンナさんのことが好きですから」
恥ずかしい。
でも。
今さら隠すことでもない。
「……」
お父さんは僕を見ていた。
しばらくして。
「ははははっ」
突然、大きな声で笑った。
「カンナは素晴らしい彼を見つけたな。ママ……」
「そうね」
お母さんが微笑む。
「……」
僕は、苦笑いするしかなかった。
まだ付き合っていない。
お父さんは笑っていた。
でも。
その目には、涙が浮かんでいた。
「……まったく」
小さく呟く。
「カンナは幸せ者だな……」
その声は、少し震えていた。
*
病室の中を見る。
カンナは眠っていた。
薬が効いているのだろう。
静かに目を閉じている。
いつも笑っているカンナとは、少し違って見えた。
でも。
やっぱり、カンナだった。
「……カンナ」
小さく名前を呼ぶ。
返事はない。
僕は、しばらくその寝顔を見ていた。
可愛いな。
そんなことを思った。
そして、明日のことを考える。
明日は始業式。
学校へ行く。
野球部の練習もある。
そして――。
学校が終わったら、ここへ来よう。
明日もカンナに会いに。
僕はカンナの両親に挨拶をして、病室を出た。
扉を閉める。
そして、もう一度だけ振り返った。
「また明日」
小さく呟いて。
僕は歩き出した。




