第2話 『君のとなりで笑いたい』
廊下を走る音が聞こえてきた。
タタタタッ――。
教室の後ろの引き戸が勢いよく開く。
「セーフ!」
カンナが飛び込んできた。
その瞬間。
キーンコーンカーンコーン。
チャイムが鳴った。
「遅刻だ!」
担任の土井が言った。
「え〜」
「でも先生、チャイムと同時ですよ」
前の席の男子が言った。
「そうそう。まだ朝倉、席に着いてないけど教室には入ってるし」
「先生、厳しすぎ」
「今日はセーフでしょ」
クラスメイトからのフォローが入った。
「お前らな……」
土井が呆れた顔をする。
教室の何人かが、ニヤニヤしながら土井を見る。
「先生、今日くらい許してあげれば?」
「そうですよ」
「カンナ、ちゃんと反省してますから」
「してるのか?」
土井がカンナを見る。
「してまーす」
カンナは笑顔で答えた。
そして、土井に見えないように小さくピースをする。
「反省してないでしょ」
美香が呆れたように笑った。
「分かった。分かった……」
土井がため息をつく。
「でもな、朝倉。先生はお前を心配して言――」
「はい。はい。気をつけまーす」
「次はもう少し早く来い」
「はーい!」
カンナは自分の席へ向かった。
その途中、クラスメイトたちに小さく頭を下げる。
「みんな、ありがと」
「明日はちゃんと早く来いよ」
「無理かも」
「おい!」
教室中からも笑い声が上がった。
いつもの朝。
いつもの教室。
そして、いつものカンナ。
ホームルームが始まり、土井が出席を取っていく。
――。「はい」
「朝倉」。「はーい」
――「奈緒」「……」
返事がない。
土井は出席簿に目を落とした。
「欠席、か」
カンナはちらりと席を見る。
奈緒の席は空いたままだった。
*
ホームルームが終わると、美香はカンナの机へ向かった。
「遅刻にならなくて、よかったね」
「……う、うん。 ねぇ。奈緒は休み?」
美香は教科書を机の中に入れながら答える。
「この間、彼と喧嘩したって言ってたよね。それかな」
「あー……」
カンナは思い出した。
昨日の昼休み。
奈緒はスマホを握ったまま、ずっと難しい顔をしていた。
「そっかー。奈緒も大変だね」
「でも、明日は来るでしょ」
「そうだと、イイね」
カンナは頷いた。
「ケンカしても、笑えるような関係って、イイよね」
「カンナって、喧嘩しないしょ」
「わたしだって怒るよ?」
「じゃあ、私がカンナの好きな人を取ったら?」
「怒る」
「どんなふうに?」
「……」
カンナは腕を組んで考えた。
「悲しくなる」
「怒らないの?」
「泣いちゃうかも……」
「怒らないじゃん(笑)」
カンナは少しだけ考えてから言った。
「怒っても、イイことないじゃん。……嫌われたくないし」
「……」
「だから、ケンカしても最後は笑っていたい」
美香は何も言わずにカンナを見る。
カンナは、カーテンが揺れる窓際へ目線を向け、後ろを振り返る。
大輝が教科書を取り出し、机の上にトントンと揃えて置いていた。
野球部に所属し、教室ではごく普通のクラスメイト。
大輝は自分の席で、床に落ちていた消しゴムを拾っていた。
「これ、誰の?」
「あ、それ私」
前の席の女子が振り返る。
「はい」
「ありがとう」
「どういたしまして」
顎を手に乗せたまま、カンナはそのさりげないやり取りをじっと見つめていた。
「大輝って、いいよね」
「そうかな?普通じゃん」
「普通かなぁ」
カンナは大輝を見る。
大輝は友達の冗談に、肩をすくめて笑っている。
特別目立つわけでもない。
女子に囲まれているわけでもない。
テレビに出てくるような、誰が見てもカッコいい男子でもない。
だけど。
「わたし、そういう人がいい」
「……」
美香がカンナを見る。
「いつもそばにいる人がいいな」
「大輝くんみたいな?」
「うん」
「でも、まだそんなに話したことないじゃん」
「そうなんだけど」
カンナは少しだけ首を傾げる。
「でも、なんとなく分かるの。この人、いい人だなって」
「……分かるの?」
美香は少しだけ意地悪に言う。
「じゃあ、もし大輝くんが浮気したら?」
「それは――」
カンナの笑顔が消えた。
「それ許せないね」
「急に真顔」
「だって、好きな人を悲しませるんでしょ?」
「まあ……そうだけど」
「それはダメだよ」
カンナは本気で嫌そうな顔をした。
「好きなら、大事にしないと」
「……」
「好きな人と一緒にいるなら、笑っていたいじゃん」
その言葉を聞いて、美香は少しだけ黙った。
「それに」
カンナは大輝を見る。
「いつもそばにいる人と、ずっと一緒にいられたら楽しそうじゃない?」
「……そうだね」
「でしょ?」
カンナは嬉しそうに笑った。
美香が笑う。
まだ、何も始まっていない。
ただ同じ教室にいて。
たまに言葉を交わして。
少しずつ、その人のことを知っていく。
カンナにとっての恋は、きっとそういうものだった。




