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あの空 〜of kanna〜  作者: kooy


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第26話 私が知らなかった『思い』

 病院の待合室。


 私は、大輝と並んで座っていた。


 さっきまでのお祭りでは、


 神輿を担ぐ掛け声と人ごみの中で、カンナは私の前で笑っていた。


 華やかな浴衣を着て。


 大輝の手をぎゅっと握って。


 あんなに楽しそうに、はしゃいでいたのに。


 それなのに、今は静まり返った病院の中にいる。


 私は、膝の上で両手を強く握りしめた。


 向かいには、カンナのお母さんが静かに座っている。


 しばらく、誰も口を開かなかった。


 やがて、お母さんがゆっくりと口を開いた。


「美香さん、大輝くん」


 私と大輝は顔を上げた。


「いつもカンナのそばにいてくれて、ありがとう」


「……」


 私は、何も言えなかった。


 お母さんは、どこか寂しそうに微笑んだ。


「美香さんのことも、大輝くんのことも……毎日、カンナから聞いています」


 お母さんの顔が、少しだけ柔らかくなる。


「二人のことを話すとき、いつもカンナは嬉しそうで……」


 そこまで言って、お母さんは言葉を詰まらせた。


 膝の上で、両手を強く握っている。


「きっと……カンナは、病気のことを何も話さなかったのでしょうね」


「病気……?」


 その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が冷たくなった。


 やっぱり。


 カンナには、私の知らない何かがあったんだ。


 お母さんは、私たちをまっすぐ見た。


「カンナは……白血病なんです」


 頭の中が真っ白になった。


「……白血病」


 大輝が、前のめりになる。


「それって……治るんですよね?」


 お母さんは、少しの間、口をつぐんだ。


 その固く結ばれた唇を、私はじっと見つめることしかできない。


「白血病にもいろいろあり、治療できるものもあります」


 その声は、落ち着いていた。


 でも、その表情は少しも安心していなかった。


「ただ……カンナの場合は、少し特殊なんです」


 特殊……?


「カンナの血液型はB型です。そして、その造血幹細胞の適合条件がとても特殊らしくて……」


 お母さんは、言葉を選ぶように話した。


「担当の先生からは、完全に一致するドナーを見つけることは、かなり難しいと言われています」


「……」


 大輝が黙り込んだ。


 膝の上で拳を強く握っている。


「……それって、つまり――」


「大輝!」


 私は、思わず大輝を睨んだ。


「言わないで……!」


 私だって分かっている。


 大輝が何を言おうとしたのか。


 私だって、同じことを考えてしまった。


 でも、言葉にしてほしくなかった。


 言葉にしたら、本当にそうなってしまう気がした。


 お母さんは、何も言わなかった。


 ただ、静かに私たちを見ていた。


    *


 その後も、私たちはカンナの病気について話を聞いた。


 カンナは、今までも学校を休んで通院していたこと。


 強い薬を使って治療を続けていたこと。


 その副作用で、朝起きることがつらい日があったこと。


 授業中、眠くなってしまうこともあったこと。


「……」


 私は、何も言えなかった。


 思い出していた。


 朝、教室に入ってきたカンナ。


 眠そうな顔で、


『おはよー』


 と笑っていた。


 授業中、机に伏せていたこともあった。


『眠いだけだよー』


 そう言って笑っていた。


 私は、それを信じていた。


 眠いんだ――と。


 カンナは、そういう子なんだと。


 そう思っていた。


 でも違った。


 カンナは、眠かったんじゃない。


 眠くなることさえ、つらかったのかもしれない。


 私は、何も知らなかった。


 お母さんは、静かに続けた。


「夜になると、……大声で泣く日もありました」


「……」


 私は、顔を上げられなかった。


 あのカンナが。


 いつも笑っているカンナが。


 誰もいないところで、泣いていた。


 大輝も何も言わなかった。


 ただ、膝の上で拳を強く握りしめている。


 私の目には、涙が浮かんでいた。


「それでも……、カンナは『学校へ行きたい』と……」


 お母さんの声が聞こえた。


 私は顔を上げる。


「学校へ……?」


 お母さんは、小さく頷いた。


「体調が悪い日でも、『今日も行く』って」


 その言葉を聞いて、私は少しだけ笑ってしまった。


「……カンナらしい」


「……よっぽど学校が楽しかったのでしょうね」


 お母さんも、少しだけ笑った。


「先生から休むように言われても、行きたいと言うんですよ」


 私は、カンナの顔を思い浮かべた。


 教室。


 昼休み。


 放課後。


 くだらない話。


 笑い声。


 大輝を見つけたときの、あの嬉しそうな顔。


 美香ー、と私を呼ぶ声。


「カンナは……最後まで、普通の高校生でいたかったんだと思います」


 お母さんの声が、少し震えた。


「学校へ行って……美香さんたちと話して」


 一度、言葉を止める。


「笑って……好きな大輝くんと一緒にいて」


 私は、昨日までの……いや。


 ついさっきの光景を思い出した。


 浴衣姿のカンナ。


 頭にクマのお面を掛けて。


 大輝の手を握って。


『大輝、お祭り一緒に回ろうね!』


 あの笑顔。


 あれも、カンナにとっては大切な時間だったんだ。


「でも、カンナは……」


 お母さんが続ける。


「いつまでも、今まで通りにはいかないことは……分かっていたと思います」


 私は息を止めた。


「それでも、『学校へ行きたい』と言っていました」


「……」


「それが、カンナにとって大切だったんだと思います」


 私は、何も言えなかった。


 カンナは、病気を抱えながらも、学校へ行った。


 友達と笑って。


 大輝と話して。


 たわいもない雑談で盛り上がって。


 私たちと、一緒にいた。


 それが、カンナにとって大切なことだったんだ。


 お母さんは、少し俯いた。


「これからカンナは、無菌病室に入ります」


「無菌病室……」


 私はその言葉を繰り返し、固く唇を噛み締めた。


「きっと、もう外に出ることもできません」


 お母さんは、一度言葉を止めた。


「……学校へ戻ることは難しいと思います」


「……」


 胸の奥が、締めつけられた。


 学校。


 教室。


 昼休み。


 放課後。


 ダンスの練習。


 くだらない話。


 当たり前だったものが、急に遠くなった気がした。



 しばらくして、お母さんが立ち上がった。


 そして、私たちの前で深く頭を下げた。


「ごめんなさい……」


「えっ?」


「カンナのわがままで……二人には、きっとつらい思いをさせてしまうと思います」


「そんなこと……ありません!」


 大輝が立ち上がった。


 声が少し震えている。


「僕は……これからもカンナと一緒にいます」


 大輝は、お母さんをまっすぐ見た。


「学校で会えなくても、僕はここに会いに来ます」


「大輝……」


 私は大輝を見る。


 そうだ。


 カンナは、まだ生きている。


 今も、この病院の中にいる。


 だったら――。


「お母さん」


 私も立ち上がった。


「頭を上げてください」


 でも、お母さんは顔を上げなかった。


「私も、カンナのわがままなんて思っていません」


 涙が頬を伝った。


「カンナと……また笑いたいです」


「……」


 お母さんは、顔を上げなかった。


 その床に、ぽたりと涙が落ちる。

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