蜂起
伯爵ボン・ドレは血の気を失った。
目の前の机に広げられた書状の内容は、到底受け入れられるものではなかった。
「なぜだ。まさか。そんなはずは」
口から転がり出る言葉は、彼の状況をこれっぽっちも改善しない。
「いつのまに、こんなに、負債が…」
ボン・ドレは俗物であった。
公爵家という王家とも血のつながりのある高貴な身分に産まれたものの、努力を嫌い、勤勉に背を向け、娯楽に流れた。
放蕩の限りを尽くして家に見捨てられ、余っていた伯爵位だけ押しつけられて放逐された。
これから自分の力で生きていけ、と言われたが、自身で稼ぐ能力があるわけもなく。
実家の太い女でも捕まえて甘い汁をすするか、と参加したのが「神話の茶会」であった。
そこでボン・ドレは出会う。
運命のつがいではなく、運命の天職に。
彼の視線に入ったのは、当時茶会を主催していたローランド侯爵。
にやにやと茶会の様子を眺めながら紫煙をくゆらせる彼に、ボン・ドレはシンパシーを感じた。
『同類だ』
そう感じた彼は、女のことはすっかり忘れ、面白そうな娯楽の情報が引き出せないかと、しめしめとローランド侯爵に近づいた。
「娯楽?そうさな、俺も常に探してる」
それから二人は急接近した。
ローランド侯爵は様々は娯楽にボン・ドレを連れ回し、共に享楽にふけった。
侯爵は遊び方が常に豪快だった。
一晩に使う金の量が半端ではなく、賭けにためらうことが無かった。
「その金はどこから出てくるんですか?」
ある日、ボン・ドレは侯爵に尋ねる。
「そうさな。
…俺もそろそろ引退かと思ってた。
継がせてやるよ、俺の仕事を」
そしてボン・ドレは彼の仕事を引き継いだ。
つがいの斡旋、選定、そして過去につがいを宛がった者から絶えず入る上納金。
口の上手いボン・ドレにとっては、それは天職だった。
つがいとなる女達を売り、潤沢な資金を得たボン・ドレは心ゆくまであらゆる娯楽を楽しんだ。
つい最近も新たなエキサイティングな博打が出、夜更けまで楽しんだところだ。行き会った青年と互いに賭け合い、上がったり下がったりの運気を乗りこなしたと思っていた。
それがどうだ。
机の上にあるのは多額の負債の証書。
額は半端ではなく、預金どころかこの屋敷を売ったって返せない。
確かに負けたが、少しは勝ったし、こんな額になるはずは…
そう頭を抱えていると、扉を叩く音がする。
「伯爵、おじゃましますよ」
返事もせぬまま乗り込んできたのは、先日賭場で行き会った青年。
「君は!!」
「伯爵、困ってらっしゃるんじゃないですか」
「な、なぜそれを」
青年はボン・ドレの机の証文を見るなり、「やっぱり、伯爵もですか」と苦々しく呟いた。
「と言うことは、君も…?」
青年は苦々しく頷く。
「まんまとやられました。
あの日居合わせた者皆同じです。
だが俺はまだ被害は少ない。
…これを見ると、伯爵が一番酷いですね」
ずかずかと入ってくる青年は証文をつまみ上げ、「ふん」と鼻息を鳴らした。
「どうされるおつもりですか、伯爵」
「どうもこうも、こんなものは違法だ。
憲兵に…」
「しかしそうすれば、
そこに出入りしていた我々もお縄です」
それは不味い。だが、こんな額は払えようもない。
ボン・ドレは頭を抱える。
「伯爵。
…僕が立て替えましょうか」
「何?!」
「立て替えると言っているんです。
僕ならできます」
「そ、そんな金を持っているのか?!」
「ええ、そうです。
僕、侯爵の息子なんですよ。
その代わり少しずつでいいので返してください」
「ああ、必ず!!ありがたい、恩に着る!!
儂にできることなら何でもする!!」
「おや、ありがたい申し出だ。
…ならば伯爵、ひとつ頼みがあります」
「なんだ?!」
「とある女性をつがいにしたいんですよ。
協力、してくれますね」
「ああ、一体誰だ、その女は?」
「…王女。
我が国唯一の、王女だ」
ひらひらと証文を突きつけられ、嵌められたかもしれない、とボン・ドレの額を冷や汗が伝った。
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…結局、王家は日和った。
格下の、しかも家柄ロンダリングを繰り返した令息からのつがい指名を受け、最初は「家柄が」とか「釣り合いが」とかやんわりと返してきた。
だが令息に操られたボン・ドレが、過去彼が言ったように、
「断るなど不信心ですぞ」
「つがいは運命。
これを逃せば王女に幸せな婚姻はありません」
など冷や汗脂汗をかきながら言い募ったところ、ついに「王女をつがいになどやらん、そもそもそんな茶番の相手はせぬ」と突っぱねてきたのである。
それ今だと、過去つがい取りで娶られた女達が立ち上がった。
ガードルートもその一人だった。
『今夜やるわ、グレースさん。
援護を頼みます』
その便りを貰い、グレースら村の女達は、武装してガードルートの待つハウエル家にやってきた。
代表してグレースだけが屋敷に潜入し、他の女達に彼女からの合図を待って貰う。
隠密行動で屋敷の主人の部屋のバルコニーに忍び込むと、ちょうどガードルートが彼女の夫に対峙したところだった。
大きなガラス戸に張り付き、グレースは中の様子を窺う。
「旦那様、離縁をお願いします」
ガードルートは予備動作もなく、離縁届を差し出した。
ぽかんと口を開けた彼女と夫とその愛人は、何事かと高笑いする。
「何を今更。つがい取りは既に成立している。
君は私のつがい。君は私のものなんだよ」
「そうですよ、ロマ。
あなたはつがいなんだから、
旦那様から一生離れてはいけないのよ。
不信心者になってもいいの?」
「お言葉ですが、
王家はつがい取りを茶番と断じました。
王家が信じぬ神話など、
我が国の貴族が信じる必要ございません」
「く、口が達者な…!
ならん、家から出ることはならん!
おい誰か、このロマを地下牢に入れておけ!」
その言葉に、わらわらと男達が集まってきた。
縄や鎖を持った守衛達がガードルートを取り囲み、捕らえようとする。
「旦那様」
男達より1テンポ速く、ガードルートはグレースのいるバルコニーに向かって駆けだした。
思い切りガラス戸を蹴ってぶち破り、グレースと合流して後ろを振り返る。
「そろそろ名を返して頂きます。
わたくしこそがガードルート。
その女は平民のロマですわ」
そう叫び、ガードルートはバルコニーから飛び降りた。グレースも追い、一目散に駆け抜ける。
追っ手はすぐに来た。
グレースは両の腰から刃を潰した双剣を抜き、剣舞でもするように追っ手の男たちの関節を打ち据えた。くるりと回って一打、ジャンプし足払い、迫ってきた男の胸板を蹴っ飛ばした。
「やるわね、グレースさん!!」
ガードルートはとにかく走る。郵便のやりとりで慣れた壁登りで難なく塀を越えて夜の街に消えていき、代わりにガラス戸の割れる音を合図に侵入してきた女達が追っ手の前に立ち塞がる。
グレースはちらりと、走り去るガードルートの背を見た。
ガードルートを女らの馬車に乗せることはできない。
この逃亡は、自らの足で達成することが必要なのだから。
それからグレースらはがむしゃらに戦った。
ガードルートを追おうとする馬の尻を打ち据えて制御不能にし、追っ手を阻み続けた。
長い長い戦闘の後、禁足地から逃亡成功の狼煙が上がり、
ようやくグレースらは帰路についた。
…この集団離縁は連日連夜続き、貴族界は上から下への大騒ぎとなったのである。




