グレート・エスケープ
ちょっと長いです。
ですがここは切りたくなかった…。
すみません少しお付き合い願います。
鳩に手紙を持たせ、窓から放つ。
「姉御がついてる、とは言ったものの。
この包囲網をどうやって突破すべきかしらね」
グレースが見下ろす敷地の外は、未だぐるりと男達が取り囲んでいる。
すると。
窓から光がちか、ちか、と規則的に入り込み、グレースの顔を照らす。
「ま、眩し…」
ちか。ちか、ちか。ちかー。
「な、何よこれ…いや、」
グレースは気付いた。
「これは、光信号…!」
淑女教育の中にある、光信号。
鏡に日光を反射させ、離れた相手に合図を送るものだ。
ちなみに夜間は蝋燭の光や懐中電灯を使うが、バレやすいので要注意だ。
家庭教師は「緊急時に連絡を可能にするためのものです」と言っていたが、なるほどこのためであったか。
「えーと、なになに、」
「か く ら ん す る
す き を の が す な」
「攪乱する、隙を逃すな…でしょうか」
「まだ続きがある」
「じ こ く は
ひ と な な ま る ま る」
「1700…17時か」
現時刻は15時。あと2時間ある。
グレースは引き出しから手鏡を取り出し、ちかちかする方向に向かって返事を返した。
「こ こ ろ え た
か ん しゃ す る」
ーーーーーーーーー
そして夕暮れ近い17時。
アーチーと揃いの緑色の男の服を身につけ、長い髪を切って真っ黒に染め、帽子に詰め込んだグレースは、屈伸運動をしながらその時を待っていた。
「あぁ、もったいねえ。
綺麗な髪を惜しげも無く切っちまいやがって」
「髪はまた伸びるもの。
それより見つかるほうが嫌よ。
ギリギリ間に合って良かったわ」
エントランスの大時計が、ぼーん、ぼーんと17時を告げる。
音が鳴り終わったと同時に、
…外がにわかに騒がしくなり始めた。
「来たか」
「そのようね」
小窓から覗くグレースとアーチ-。
見ると、グレースたちのいる裏口のほうから正門のほうに、見張りが走り集まっている。
盗み見ると大型の馬車が正門に乗り付け、中から武装した女達がグレースの家に押し入ろうとしていた。
「のけー!!
同胞から手を引けー!!」
そう叫びながら、さもこれから正門から誰かが出てくるのを出迎えるように、道を確保しながら群がる見張りの男達を蹴散らしている。
重りの付いた鎖を振り回し、棍棒を打ちならし、ヌンチャクでなぎ倒す。
女のしなやかな体躯で敵の合間をすり抜け、力強く前に押し出る。
「つ、つよい…」
あれが禁足地の女達。
思わずぽかんと見つめるアーチーの小脇を、グレースは肘でつついた。
攪乱する、隙を逃すな。
きっと今だ。
頷き合ったグレースとアーチーは、正門から離れた場所から塀を乗り越え、身を伏せ匍匐前進で生け垣の下をくぐり、手薄になった包囲網を突破した。
追っ手が視界にいないのを確認し、すぐさま立ち上がり走る。
建物の影に入り、雨樋を伝って屋根に登り、煙突や屋根の傾斜に隠れながら街のはずれを目指す。
飛び、駆け、伏せ、登る。
これまでのトレーニング成果を充分に発揮したグレースは、難なく建物の途切れる場所までやってきた。
屋根の上から街の外に広がる森を眺める。
隣にはいつもと同じく、アーチーが仁王立ちしている。
「一気に行くか」
「ええ。でもこれで終わるはずがない」
「ああ。屋敷と森、両方に追っ手を放つのが通例だ」
見下ろした森の入り口には、やはり既に複数の馬に乗った男達が行き来していた。
頷き合った二人は屋根から降り、森に飛び込む隙を窺う。
だが見張りとて本気だ。
ぎらぎらと辺りを見回し、歩いては馬の足を温め、決して隙を作ろうとはしない。
「さあ、どうする」
…と、そこに。
後ろから二人に声を掛ける者がいた。
「同胞よ、私がおとりになろう」
かつかつと姿勢良く歩いてきたのは、女性だった。
しかも、その姿形は…
「グレース…?」
「似ているだろう?」
アーチーがあっけにとられた顔で彼女を見据える。
髪型、化粧、ドレス。どれをとっても、数刻前のグレースに似せた姿だったのだ。
「あなたは」
「私は禁足地の戦士。
君の決意を受け取った。
この馬鹿馬鹿しいつがいという呪いから、
…共に解き放たれようではないか」
そう言うなり、彼女は森に向かって走り出した。
その姿に反応した見張りの男は、
「つがい様だー!!
追え、森に入らせるなー!!」
そう合図を叫び、一斉に馬で彼女を追う。
「ど、どうしましょう!あの方が!」
グレースは女戦士を案じた。
いくら禁足地の戦士とはいえ、あの数の馬に追われればひとたまりもない!
だがアーチーは首を横に振る。
「あの戦士の心意気を受け取れ、グレース。
お前が逃げ切ることが彼女と俺の願いだ」
その言葉に、グレースはハッとした。
そうだ。ここで自分が捕まれば、
突破口を作ってくれた彼女はもとより、
幼い頃からグレースに仕えてくれたアーチーの志すら踏みにじることになる。
グレースは頷いた。
森を見据え、
「行くわ!!」
馬が駆け抜けていった粉塵の中を突っ切り、森へ飛び込んだ。
緑の服を選んだのは草に紛れるためだ。身を低くし息を潜め、森を駆け抜ける方向を確かめる。いざ駆けだそうとした時、アーチーがグレースを庇うように前に出た。
「俺が先導する!
もうじき暗くなる、穴なんかがあったら危険だ!」
…歴史上一度だけあったのだ。
どうしてもつがいを逃がしたくない貴族家が森に落とし穴を掘ったことが。
不運なことにそのつがいは落とし穴に落ち、足を骨折し捕まってしまった。
当事者となった今、志半ばで折れたそのつがいの無念を痛いほど肌で感じ、グレースは思わず目尻を濡らす。
「悔しかったわよね、走りたかったわよね」
顔も知らぬ過去のつがいの無念に背を押されるように、グレースは走った。
そしてグレースは初めて知る。
前を走るアーチーの背の広さ、その頼もしさ。
いつも自分が追われる側だったから、知らなかった。
彼が前を走ってくれることの心強さよ。
『…逃げ切ったら、アーチーともお別れ』
その事実が、ほんのわずか、グレースの後ろ髪を引く。
『終わるんだ、日常が。
終わってしまうんだ』
学ぶときも、遊ぶときも、トレーニングの時も、
いつだってアーチーと一緒だった。
逃げ切ることは、幼い頃から当然の望みだった。
だが、逃げ切ってしまったら……
アーチーとは、会えなくなるのだ。
初めて、グレースの心に悲願への疑問が湧き起こる。
逃げる以外の方法はないのか?
このまま禁足地へ向かわず、街のどこかに潜伏できないか?
そしたら、アーチーと共に生きられるのではないか?
生まれた疑念はグレースの脚を鈍らせる。
「おい!グレース!どうした!」
前を走るアーチーがその様子に気付かぬはずもない。
鬱蒼とした森の中、
…ついにグレースの脚が止まった。
「アーチー…
私、禁足地に行って良いのかな」
「何言ってんだ!!ここまで来て!!」
「だって!!
禁足地に行ったら…
アーチーとは、私とは、お別れなのよ?!」
アーチーも立ち止まり、グレースに向き直る。
「…禁足地に行けば、
お前はもう隠れる必要もない。
怯える必要もない」
「だけど」
「聞け!!
だが、このままこっちにいて見ろ。
またお前は隠れ続けることになる。
いつまでだ?一生かもしれないぞ?
…グレース、俺だって寂しい。
寂しくない訳がないだろう、
ずっと一緒にいたんだ。
だけど、俺はそれ以上に、
隠れてお前の良さを殺しながら、
そんな風に生きるのを見るのはもっと嫌だ」
「アーチー…」
アーチーは足元の草をじりじりと踏む。
「それに、だ。
禁足地に入って家を捨ててほとぼりが冷めたら、
市井に出てくる女達もいるって言うじゃないか」
グレースは頷く。
アーチーの言うとおりで、禁足地に辿り着いた女たちのその後については、多くは語られることがない。しかしその姿を市井で目撃されたという話もあるのだ。
「…もし市井に出るのが許されるのなら、
そのときは、また会おう」
そう言って、グレースの汚れた頬を指で拭うアーチー。
「アーチー、その時は…
私をお嫁さんにしてね」
グレースは、口にして初めて、自らの脚を留めていた想いに気がついた。
そうだ。
結婚するなら、こんな風に運命を押しつけられるのではなくて、自分の心で感じ取った唯一の人と手を取り合いたかった。
運命なんて分からなくて良い。
そんな胡散臭いものより、
積み上げてきた、共に過ごした時間のほうがよっぽど貴重だ。
清々しく笑ったグレースに、アーチーは虚を突かれたような顔をして、そして笑い返した。
「そう、だな。
悪い、俺から言わなきゃだよな」
アーチーはそっとグレースの両手を取ると、宝物を愛でるようにグレースの汚れた爪を撫でた。
「グレース、俺…」
「いたぞ!!つがい様だ!!」
「しまった!!」
遠くから突き刺す叫び声、けたたましい馬の足音。
繋いだ手を離し、グレースとアーチーは馬の入れない茂みを選んで再度走る。
「ちくしょう、視認されちまったら厄介だ!!
…グレース!!行け!!」
その言葉と共に、アーチーは立ち止まって振り返り、追っ手のほうに向き直った。
「アーチー!!」
「振り返るな!!走れ!!」
アーチーの手には隠し持った棍棒が両手に握られており、それを振り回しながら馬のほうに向かっていくアーチー。
「俺だって、ただ走ってただけじゃねえ!!
グレースを守るための訓練は欠かしたことは無かった!!」
そう叫んで、追っ手の男達に果敢に立ち向かうアーチーに背を向けて、グレースは走った。
「アーチー!!
アーチー!!お願い、無茶しないで!!」
叫びながらももつれるほど脚を動かし、飛び、茂みを抜ける。
と、目の前に大きな壁と門が現れる。
夢にまで見た、あれが「禁足地」だ。
後ろからは絶えず響く蹄の音。
アーチーの、「グレース、行け!!」の叫び声。
時折響く打撃音、くぐもったうなり声。
『あぁ、アーチーがやられてしまう!!
お願い、私、走って!!
私さえあそこに辿り着けば、
追っ手はすべて手を引くはず!!』
グレースは叫んだ。
「お願い、門を開けて!!
私を、アーチーを、助けて!!」
そしてついに。
その城門は開かれた。
中からは鎧に身を包んだ、凜とした女性がひとり、大きな旗を携えて立っている。
「同胞よ、貴殿を迎え入れる!!
走れ、力の限りに!!」
その声はグレースの背を押した。
持てる力を全て出しきり、グレースは走った。
すぐ後ろに迫る馬のいななきも、もはやグレースの耳には届かない。
聞こえるのは風を切る音と、自らの心拍と、心の中で響くアーチーの「行け!!」の声だけ。
蹄の音が間近に迫る。
馬の吐く息の音、その湿度すら感じる距離。
それを振り切り、
グレースは城門に飛び込んだ。
思わず倒れ込み、後ろを振り返るグレース。
そこには女達が大きな網を張り、グレースの後ろを追って飛び込んできた馬を門で食い止めている。
「分かるな!!
約定により、今この時より彼女には手出し無用!!」
旗を持つ女性の宣言に、追っ手は悔しそうに踵を返す。
その足元に倒れ込んでいるのは…アーチーだ。
怪我はありそうだが顔を上げ、グレースのほうに拳を突き出し、親指を立てて笑って見せた。
「グレース!!やったな!!
ナイスランだ!!」
「アーチー!!私、私…!!
…っ、ありがとう!!
またね、絶対よ!!またね!!」
「ああ、グレース、またな!!」
アーチーが笑ってくれたことに、グレースは安堵し涙が頬を伝う。
旗を持った女性がグレースに近づき、優しく告げる。
「別れの言葉は良いか?
そろそろ城門を閉めるぞ」
その言葉に、名残惜しくも頷いたグレースを確認し、女たちが城門を締め始める。
グレースは最後まで、アーチーの姿を目に焼き付けようと身体を起こした。
…が、倒れ込んだアーチーの背後に一頭の馬が迫る。
大の男が二人乗りをした、大柄な馬だった。
「貴様、野犬の分際でよくも、
つがい取りの邪魔をしやがって…」
二人乗りの後ろの男が呟く。
手にはボウガンを持っている。
その男に見覚えがあった。
あれは、グレースのつがい、ワドルディ・ジャン・ポール引き籠もり侯爵令息だ!!
「アーチー、逃げて!!」
グレースが叫ぶが、既にワドルディのボウガンはアーチーに向かって引き絞られていた。
どんどん閉じられる城門の隙間から、グレースは声の限り叫ぶ。
「お願い、アーチー!!
逃げてー!!」
…閉まりゆく城門の向こう、グレースが最後に見たのは。
アーチーの身体から流れ出した、血の小川だった。




