逃亡の幕開け
「馬鹿じゃねえのか」
グレースの父の机にどんと積まれた封書の束に、アーチーは閉口した。
「見て、これ。どれも一言一句同じ」
封書は薄く、一枚の紙にたった一言書き付けてある。
『一目見て分かった。
君が僕の、運命のつがいだ』
これも、これも、と次々封を開けていくグレース。
本当に一言一句、同じ文句が書いてある。
違うのは最後の差出人のサインだけ。
「まぁ、こう書くのが彼らの慣例なんだろうね」
グレースの父は頭を抱えた。抱えたまま、ぶんぶんと頭を横に振る。
「なんだってこんな馬鹿な制度が…」
嘆く父に構わず、グレースは言う。
「お別れの日が来ましたわね、お父様。
この封書を届けた瞬間から、
この屋敷は包囲されているでしょう?」
「ああ。
つがいが逃げ出さぬよう見張っているはずだ」
「そもそもつがいが被ることなんてあるのか?
どうするつもりだ?争うのか?」
アーチーが口を挟む。
「それは、指名した男達から選ぶんだ。
身分が高い者、寄付金を多く寄越した者とかな」
「誰が」
「ボン・ドレ伯爵だ」
リンゴーン、と来客を知らせるベルが鳴る。
しばらくして侍女が控えめに、
「お客様が…」
とグレースと父を呼びに来た。
一つ頷いて向かった応接室には。
「やあやあ、おめでとうございます、
つがい様のお見初めがあったようですな」
揉み手をする、相変わらず神父のような服を着たボン・ドレ伯爵が待っていた。
ーーーーーー
ボン・ドレ伯爵、「ふむ」と鼻を鳴らし、
グレースの父から受け取ったつがい指名の封書を順に眺めている。
こうして神の代理たるボン・ドレ伯爵が、
果たして本物のつがいは誰であるか見定めるのだという。
『馬鹿馬鹿しい』
こうしている間にも、一刻も早く逃亡したいというのがグレースの本音だ。
グレースの目指す「禁足地」は街のはずれの森を越えたところにある。
「禁足地」では逃げ込んだ女たちが暮らし、自治を持ってひとつの村を作っているのだという。
つがいを逃がしたくない貴族家たちが、見通しを良くしようと幾度となく森の木を倒し、その度にまた女達が木を植える。
馬で走り回れるようにと貴族家が道をならし、女達がまた落ち葉を撒く。
そうして常に形を変えるのが「禁足地」周辺だ。
『早く森に身を隠してしまいたいのに』
ボン・ドレ伯爵はじっくりと書を眺める。
一言一句違わぬ手紙を、何をそんなに時間をかけることがあるのか。
『恐らく、時間稼ぎだわ』
恐らく既に、誰がグレースをモノにするかは決まっている。
こうしてボン・ドレが時間をかけて家の者を引き付けている間に、手先の者がグレースの家の周りを囲い、そして出入りができる場所を調べ尽くされているのだろう。
長考ののち、
ボン・ドレはもったいつけたように一枚の用紙を掲げ、
「輝いて見えますぞ」
と宣った。
「これ。この方こそが、
グレース・ゴルチエ嬢の真のつがいであります」
そう言って差し出したのは、
「ええと、
ワドルディ・ジャン・ポール侯爵令息、ですか」
「さよう」
「わかるか?グレース」
「さっぱり」
全く覚えがない名だった。
確かにそれなりの人数と話した記憶はあるが、侯爵家の子息と話してこれほど印象に残っていないことがあるだろうか。
「姿絵を」
ボン・ドレ伯爵は付き人に、持たせていた荷から一枚の姿絵を取り出すよう命じた。
なんで姿絵があるんだ。
ホラ見ろ、出来レースじゃないか。
まったく馬鹿馬鹿しい。
そこに映っていたのは、
どうにも容姿が整っているとは言い難い、
小太りで肌の荒れた男。
グレースは姿絵から、茶会のあの匂いが漂ってくる気がして身を引いた。
「グレース…分かるか?」
「いえ、お父様。
お話しした記憶ございません」
気分が良さそうにボン・ドレ伯爵は言う。
「それはそうでしょう。
実はこのワドルディ殿、
長く自室にて瞑想に励んでおられた、
大変信仰心に厚い方でしてな。
この茶会で久しぶりに外に出、
ぐるりと会場を一周して帰路につかれたのです。
いやはやその短い時間でつがい様と出会うとは。
素晴らしくめでたい」
部屋で瞑想、って…。
『引き籠もりじゃねえか』
この場にアーチーがいたら多分こう言うだろう。
グレースと父は顔を見合わせ困惑する。
「ボン・ドレ伯爵、教えてくださいな。
失礼ながら、こちらの令息に全く覚えがないのです。
運命のつがいというのは、
女のほうからは分からないものでしょうか。
間違いということはございませんか」
「いやいや、あなた様は間違いなくつがい様。
それにあなた様にもいずれ分かりますぞ、
彼が唯一の人であると」
「それはいったいいつ?」
「あなた様が無事につがい様に嫁がれ、
身も心も夫婦となったその瞬間…でございます」
グレースは絶句した。
何言ってんだ。
何を言っているんだ、こいつは。
言葉を失ったグレースに何を思ったのか、ボン・ドレ伯爵はその目を三日月のように細めて
続ける。
「おやおや、案外うぶでいらっしゃいますな。
ようございます、
あなた様は何も憂うこと無く、
身体を預けておられればよろしい」
同じく白目をむきかけている父を他所に、ボン・ドレ伯爵は更に続ける。
「よろしいですな。
万が一にも、逃げようなどとは思わぬ事。
そのようなことをすればあなた様は、
この先一生、不信心者ですよ。
お父様のこと、お家のこと…よくお考えなされ」
では、と、気持ちよく退室したボン・ドレの背を見送ったゴルチエ父娘は、半分放心したままお互いの心証を確かめ合った。
「グレース。逃げろ。
地の果てまで逃げろ」
「ええお父様。
このグレース、
幼少の頃からのトレーニングの成果、
しかと発揮してご覧に入れますわ」
かくしてグレースは、『運命のつがい』から逃亡する決意を新たにする。
今回はトレーニングではない。
一世一代、大脱走劇の始まりである。
ーーーーーーーーーー
「さ、まずは確認だ」
アーチーと侍女とグレース、三人での作戦会議が始まった。
この国のつがい候補の淑女たちは、長年かけてトレーニング相手と脱出法を練り上げる。
グレースもしかり。
家庭教師の指導の下、アーチーと机を並べて過去の脱出事例を学び、そして自らの脱出シミュレーションを行ってきた。
「初動が大事だ。
まずは何としても無事に屋敷を出ないと」
「その通りだわ。
だから状況を把握する必要がある。
アーチー、頼むわよ」
「わかってる」
アーチーはその言葉にひとつ頷き、ゴルチエ子爵家の最も高い尖塔の見張り台に猿のように素早く駆け上った。望遠用でぐるりと屋敷周りを見渡し、そして再び駆け下りてくる。
「グレース、ヤバい」
「どうヤバい?」
「屋敷から伸びる小道以外、
ぐるっと兵士が取り囲んでる。
多分両手を広げたらお互い当たるくらいの間隔」
「なるほど、ネズミ一匹逃がさないってね」
「な、何百人いるんでしょうか…」
侍女が不安げな顔で頬を押さえる。
「さてね。
運命のつがいを逃がさないために必要なだけ、ってか。
総戦力投入じゃねえか」
やはり敵も必死だ、どう考えても正気の沙汰ではない。
「さあ、どうする?」
「ひとまずいつもの買い出しの馬車が、
どう彼らに引っかかるか見ましょう」
グレースは侍女に指示を出す。
しばらく窓の外を睨んでいると、屋敷の中から一台の荷車が出てきた。
引いているのは下男のノブ、買い出しはいつも彼の仕事だ。
「悪いわねノブ、ちょっと頑張って頂戴」
窓の中からエールを送るグレース。
ノブの引く荷車は勝手口から続く小道を通る。
小道を歩いてすぐのところで、ノブの前方に2人の武装した男が立ち塞がった。
彼らはノブに話しかけ、ノブは恐縮しながら帽子を取って背を丸める。
「中を検めると言ってるようね」
男達は遠慮もなく荷車の覆いを剥ぎ、ぐるりと一周くまなく調べている。もちろん空の荷車に満足したのかノブは解放されたものの、その後ろからそおっと一人の男が尾行していった。
「やはり尾行は付くか。
まったく人の家の敷地近くで検問なんて、
何やってくれてんのよ」
ここがゴルチエ家の領地であれば抗議もできようものの、あいにく王都のタウンハウスである。彼らが市道で検問をする分には罪にはならない。
「さあどうする?完全に塞がれたが」
「使えるのは地下か、頭上か、
はたまた強行突破か…
いずれも簡単じゃないわね」
「グレースお嬢様、あれ!」
ガタガタ!
と物音が響き、侍女が指さしたのは窓のほうだ。
鳩がクルッポーと、足で器用に窓を叩いている。
「開けてあげて!
足に何か巻いてる!」
アーチーが窓を開けると、鳩が飛び込み、ソファにふんぞり返って片足を高く上げた。
足に巻き付いているのは小さく折りたたまれた紙片だ。
「な、なんだこの鳩。偉そうに」
そう言いながらもアーチーは丁寧に鳩の足から紙片を外す。それを広げるなり、アーチーは悪い顔をしてそれをグレースに渡した。
「来たぜ、救いの手が。
すげえ、興奮してきた!」
「なになに」
侍女と一緒に覗き込んだ紙には。
『新たなるつがい被害者の君へ
我らと共と立つ勇気はあるか?
君の解放を支援する準備はできている
腹が決まれば鳩に返事を持たせろ
君の決意を我らは待つ
ミゲーラ』
「あ…姉御ーーーー!!!」
ミゲーラとは。
禁足地を守る女性であり、彼の地での絶対的リーダーと語られる名であった。
昔貴族だったとか、とんでもないお金持ちだとか、色々な逸話はある。
だがしかし、そんなことはどうでもいいのだ。
大事なことは、彼女がつがい候補の淑女たちにとっての救世主であること。
そしてモテない男たちの、天敵でもあるということである。
「ミゲーラの姉御がついてるわ。
私の心はすっかり決まってる」
顔を上げたグレースに、アーチーと侍女は力強く頷いた。




