賢王か、愚王か
『アーチー』
グレースは思わず口から飛び出そうになる言葉を必死で飲み込んだ。
その男は悠々と部屋を見渡すと、グレースに目を留め、にっと片方の口の端を上げた。
そしてすぐさま腕の中の王女に視線を映すと、
「おお、私の運命のつがいよ。
あなたを迎えに来た」
と朗々と声を張り上げる。
グレースの知る、懐かしい声。
『アーチー。あれはアーチーだわ。
似ている別人じゃない。
生きていたの?どういうこと?』
混乱するグレースをよそに、王女は言葉を返す。
「あいにくだけど、
あなたが私の運命ですって?
まったく何もときめかないんだけど。
そんなもんなの?つがいって」
王女がボン・ドレに問う。
ボン・ドレは涙目になり、「それは聞かないで欲しかった」と小声で嘆いた。
しかしそれを許すアーチーではない。
「伯爵、
あなた平素から高尚な教えを説いているでしょう。
王女に教えて差し上げなさい。
女がいつ、自らのつがいを見いだすのか」
小さく「いやだ…いやだ…」と怯えた子鹿のように震えるボン・ドレを、アーチーは優しく促す。
「さあ、教えておあげなさい」
ボン・ドレはまるで銃口でも突きつけられたように固く目を瞑り、やがて諦めたようにごく小さな声で告げる。
「初夜の際です」
「なんだって?もっと大きく」
「初夜を!!つつがなく済ませられたとき!!
女性も自らのつがいを理解するのです!!」
「さいってい」
グレースの腕の中で、王女がボン・ドレのセクハラ教義にド直球で打ち返した。
王も髪を逆立てて怒る。
「貴様、ボン・ドレ!!
我が娘に低俗なセクハラをかましおって!!」
「王よ、セクハラではありませぬ。
これが伯爵が常に説いている教義なのです」
「なにを~~~!!」
王の怒声にもひるまず、ひょうひょうとアーチーは微笑んでいる。
「ということで、お迎えにあがりました、
我がつがいよ」
アーチーのその言葉に、王女はすかさず反応した。
「断固として抵抗いたしますわ」
と。
そしてミゲーラが前に出る。
「それならば我々の出番だ。
この国でつがいから逃れる方法はただひとつ。
男子禁制の我らが禁足地にて、
王女殿下を保護させて頂く」
「な、ならんならん!!」
今度は王がミゲーラに噛みつく。
「娘を禁足地になどやらん!!
第一あそこに入った娘は家を捨てる決まりだ!!」
「左様でございます。さすが陛下、よくご存じだ」
「ならんならん!!
娘は王女だぞ?!これから良い縁談があるんだぞ?!
家から出してたまるか!!」
「しかしながら」
ミゲーラはずいと、王に詰め寄った。
背の高いミゲーラが背筋を伸ばすと、王をわずかに見下ろすかたちとなっている。
「この国では、
つがいに指名された女が取れる道はただふたつ。
つがいに嫁ぐか、家を捨て禁足地に走るか。
ふたつにひとつなのでございます」
「そんな理不尽なことがあるか…!」
「その理不尽を」
ミゲーラはさらに王に一歩詰め寄り凄む。
「この国は許容し続けてきたのでございます」
ミゲーラの語気が孕む怒りを感じ取り、王は怯んだ。
ぐ、と言葉を詰まらせ、ミゲーラから視線を外す。
そこに間延びした声が響く。王女だ。
「ねえお父様、なんで?
なんでそんな制度を許しておくの?」
「そ、それは…」
「都合がいいんでしょうなあ」
口ごもった王の代わりに答えたのは、小さく震えるボン・ドレの肩に肘を置いたアーチーだ。
「貴族の婚姻ってのは大変なんですよ。
家の断絶を防がなきゃ行けないのは前提として、
家格の釣り合い、本人達の相性。
あとは領地同士の利害関係?とか?
色々考えなきゃいけませんからね」
「それは分かるわ」
「でも、それらをぜーんぶ考えずに済む最強の建前。
それがつがいです」
「ああ、なるほど」
「更に言うと、つがい制度を使えば、
モテる努力をしなくていいんですよ。
神託で女を縛れるから」
「ほんと最低ね。
だからかしら、うちの国、
キラキラ美男子がいないったらないわ」
「つがい制度ができてから、
婚姻に関する貴族同士のもめ事はずいぶん減ったはずだ。
ですよね、王よ」
今度冷や汗をかくのは王のほうだった。
娘からの質問に、どう頑張ってもホワイトな回答を用意できない。
「よし、わたくし決めましたわ」
「ええ殿下、我々はあなたのご決断のままに」
ミゲーラが未だグレースに抱えられたままの王女に傅く。
王女は高らかに告げた。
「わたくしはつがいから逃亡します。
ミゲーラ、禁足地まで私を導きなさい」
「御意」
「待ちなさい!!」
焦ったのは王だ。
「分かっているのか、娘よ。
禁足地に行けばお前は王女でなくなる。
キラッキラの王子との結婚もなくなるのだぞ」
「お父様こそ分かってらっしゃる?
この局面、お父様が取るべき策はもはやひとつ、
つがい制度を国として禁ずる事だけだと」
娘の言葉に王は口ごもる。
王女はさらに続けた。
「お父様、賢王と呼ばれたいの?
愚王と呼ばれたいの?
…よくお考えになって。
わたくしが王女でいられるうちに」
さ、ミゲーラ、行くわよ。
そう言って王女はグレースの腕を外すと、さっそうと部屋を出て行く。
侍女が後ろから大きな鞄を背負ってついてきていた。
『さすが王宮の侍女、用意が早い』
感心したグレースは彼女も連れ、先ほど歩いた王宮の廊下を引き返す。先頭を王女が歩いているため、誰も自分たちを咎められない。
「おお、我がつがいよ、待ってください」
といけしゃあしゃあと声を張り上げながら、アーチーも護衛でもするかのようについてきた。
後ろでわめくアーチーの声を感じながら、グレースは一歩一歩、現状について整理する。
『あれは間違いなくアーチー。
アーチボルトって言った?
何その気取った名前。
家柄ロンダリングの侯爵令息って、
まさかアーチーのこと?
…状況的にそうよね。
平民から侯爵まで駆け上がるなんて、
どんな手を使ったのかしら』
ミゲーラの言う、「つがい制度に恨みを持つ貴族家の協力者」。それらの家が積極的に彼を押し上げたということなのか。
…広大な王家の庭園へ出ると、ようやく正気を取り戻したのか王が背を追ってきた。
「待て、待てミゲーラ!!
これ以上好き勝手はさせん」
「お父様、ミゲーラは好き勝手などしてないわ」
王女の言葉は王には届かない。
「どうしても王女を連れていくというなら、
ミゲーラ、お前を捕らえなければならん。
そうして禁足地も解散だ。
儂は決めたぞ。
つがい制度は継続する。
可哀相に、お前が王家に不敬を働いたせいで、
女達は逃げ場を失う。
よりつつがなく貴族の婚姻は成されるだろう。
国にとっては良いことだ」
「では、王女殿下は私の妻になってくれるのですね」
アーチーがわざとらしく嫌味に声を弾ませる。
だが王はそれを鼻で笑った。
「馬鹿め、王家は別だ。
国を治めることを優先し、
神託に背を向け、
運命を泣く泣く諦めて良縁に嫁ぐのだ。
王家の麗しい自己犠牲。
良い筋書だろう」
グレースはぎり、と拳を握る。
『最悪の展開だ』
王がこの有様なら、どう足掻いてもつがい制度は続いてしまう。しかも禁足地まで取り上げられたなら、女達に為す術はない。
グレースは村で待つ女達、逃げてきた過去のつがい被害者の顔を思い浮かべ、悔しさにぎりりと奥歯を噛んだ。
王の後ろでは憲兵が今にも飛びかからんと得物を構えている。グレースも戦闘の覚悟を決め、腰元の剣に手を掛けた。
その時、グレースの耳元に凜とした声が響いた。
「グレース、刃物貸して」
王女だ。
「は、刃物?」
「なんでもいい。貸して」
その言葉に従い、グレースは忍ばせた小型のナイフを王女に渡す。
すると王女はそれを、自らの喉元に向かって突きつけた。
「王女!!何をする!!」
慌てたのは王だ。溺愛する娘の白い首筋にナイフの切っ先が触れ、やめろだのどうしただの喚いている。
「何って、
私今猛烈に恥ずかしいから死のうと思って」
「恥ずかしいって何が!!」
「こんな恥ずかしい国の王女でいることが。
お願いお父様、いや馬鹿親父、
今すぐ縁を切ってくれる?」
「な…何を…パパはお前を守ろうと…!」
「そのために、
国中の貴族女性を犠牲にするわけ?
なら余計におぞましいわ、お願い縁切って。
それにこんな王じゃお先真っ暗じゃない。
きっと近々滅亡するわよこの国」
「む、娘が酷い!!」
「だって近隣諸国を見てみなさいよ。
女性たちはどんどん自由に、
職業や結婚相手を選べる時代になってるのよ?
女性の人権意識ってどんどん高まってるのよ?
うちはそれを真っ向から逆張りしようってんだから」
そりゃ滅ぶわよねー?
ナイフを首に突きつけたまま王女はねーっ、と首を傾げる。
「そういうわけでお父様、
あなたがその調子なら、
私は私の意思で王家を離れるわ。
こんな国の代表になるなんて耐えられない。
さよなら、愚かな王。
…追ってきたら死ぬわよ」
行きましょう、ミゲーラ。
そう言ってナイフを首に突きつけたまま、王女は王に背を向けて歩き出した。
『この王女、やりおる』
何の活躍もなく王女についていくグレースの耳に、
「そんな…」
と王が膝をつく音が聞こえる。
だが振り返ってはいけない。
何か可哀相だし。
「我がつがいよ、待ってください!」
未だその茶番を続けるアーチボルトことアーチーもウキウキついてきて、一行は清々しい気持ちで王宮を出ようとした。
その時。
「ちょっと待てェ!!
俺のつがいを、置いていけェ!!!」
新たな乱入者が、現れた。




