表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
*新作 完結* 風のオリト  作者: Terra
第一話 ここでの暮らし
PR
9/83

<7>




 日が半分沈む頃には、空は雨季を忘れ、星を瞬かせていた。それらは、まるで濃い橙から紺に布を染めるようにして変わる空の上で、静まりかえる村を見下ろしている。

 村にはまだ灯が残っていた。火や、誰かが修理して売った太陽電池による人工的な光が、陸を漂う薄闇をどかしている。




 オリトの家には、小さな白い光が一つ灯っているだけだ。太陽の光が電力になる照明を、ずっと前に父が持ち帰ってきた。そのもっと前では、電柱と呼ばれるものが村中にいくつも立っており、各家庭がそれぞれ、自ら家まで配線を引いていたという。兄姉(きょうだい)は、その手伝いとして父と出かけたこともあった。


「その前はロウソクだったんだ」


 電球が使えるようになりはじめてからは、ロウソクを使うことも稀になったのだと、兄は鶏肉のスープを啜りながら話した。肉を口にしたのは久しぶりで、手に入れられたとしてもガラが多かった。とびきりなものが手に入ると、世話になっている人を初め、周囲にも分けるのが決まりだった。家族はまた、明日も早くから出かけねばならないと、今日の食事を糧にしていく。



 オリトは兄の話に耳を傾けながら、時折、外を気にしていた。ここ周辺は、さほど密集していない。風通しがよく、心地よい隙間風に、ついつい顔を引っ張られていた。その隙間が、今オリトが過ごしている部屋の最も奥での時間を、いつも楽しませてくれる。なのに姉は、そばにあった汚れたタオルで、そこをあっさり塞いでしまった。


「見られちゃダメなの。いまから、しごとをおえた人たちがとおるから」


 概ね日が沈む頃が危ないのだと、母から聞かされている。狭い路地は光も届かず、人攫いも多いのだ。しかしそれは、マーケット周辺であって、この辺りはいつだって穏やかな夜であることを、オリトはよく分かっていた。けれども姉に口答えせず、静かに頷いた。


「父さんがもどれば、スクールにいける?」


 兄は、ずっと前から憧れているそこのことを、いつも母に話していた。じっと言葉を紡いでいるであろう母を、姉もまた見つめている。オリトは、最後の肉の欠片をよく噛みながら、壁に耳を押し当てた。緩やかな風の音がする。


「じしんでなくなってしまった子どもたちのところに、うたをうたいにいくのはどう?」


 姉は別の提案をしてみた。言葉に詰まる母を見て、兄の要求はきっと難しいのだろうと思った。


「スクールでは、電話はできないの? だって父さんが電気を通したんだし。父さんと話したい。何かもっていけば、つかわせてもらえるかな?」


 懸命な長男に、母はそっと食事を促すだけだった。オリトはこの時、ポケットに潜ませたものを握った。


「スクールには、いかなくてもへいきなのよ」


 妹の唐突な意見に、兄は目を丸くさせる。


「あそこには、いえがない子や、かぞくがいない子、びょうきの子がいるのよ。あたし、ダヨにきいたもん」


 兄の横顏を見ながらオリトは、姉が言うダヨの話をふと思い出した。それはいつか、姉と一緒にダヨのところへお使いに出かけた時だった。



 この家の裏に広がる丘を越え、しばし歩いた先に、孤児の子達が集まるスクールがある。大震災が起こるずっと前は、何百もの子どもが集まって生活をしていたらしい。障害は精神から身体と幅広く、身寄りのない子も多かった。その近くの呪術師達が暮らす村から通う子どももおり、多種多様の人々が関わる場所だ。そこにも外国の支援者が携わっていたことがあり、生計を立てるための知恵や技術を教示していたのだそうだ。


「今は何とも言えないの、母さん一人だから」


 母は素直にこぼすと、自分の残りのスープを子ども達に少しずつ分け、食卓を後にした。



 オリトは、再び器に入った小さな肉を口に入れると、何も言わなくなった兄姉(きょうだい)を眺めては、また壁に耳を当てた。そして、姉の目を盗んで、そこに詰められた布を引き抜いた。

 隙間の向こうに広がる夜の世界に吸い込まれそうになった。澄んだ空気と空にそよぐ風が、まるで自分を誘っているようだった。暗闇は嫌いだというのに、何故か、ずっと遠くまで掘り進めるように見つめていられた。






 顎が反りたつほどに物が積み上げられた家は、豆が鍋の中で押し合うところを見ているように、足の踏み場もないほど狭い。そんな中で、押し合い圧し合いしながら、一つの寝床を分け合って眠るのだが、オリトは目が冴えていた。



 朝の陽射しの中で駆け回ってから、時が経つのはあっという間だった。最も開放的だった僅かな時間は、夜が始まったばかりの今でも輝かしく、思い出すだけで喉の奥がポカポカしている。仕事やマーケットでのことや、母が兄姉に告げていたことが、心のどこかに痞えていながらも。



 オリトは、家族が詰め合う間を這い進んだ。幸い、母とは接触しておらず、兄と姉は少々ぶつかったところで起きはしない。二人はすっかり疲れているのか、大きないびきがきこえる。兄の隣では、母が壁を向いて横になっていた。

 家族の様子を横目に、オリトは寝床から忍びおりる。冷たい床も足が温かいせいか、寒くない。両手で喉を包めば、手はもっと温まっていく。



 ふと、玄関脇のフックにかかるターバンを見上げた。あまり好きではないそれに、随分と惹かれてしまう。いつの間にか愛着が湧いたのか、それとも


「ん?」


 オリトは、すうっと細く吹き込んだ風に首を傾げた。ターバンがふわりと揺れたかと思うと、するりと、足元になびきながら落ちた。


「そう。なら、持ってく」


 虫の翅がこすれ合うような声で呟くと、ターバンを手首に巻き、その端をしっかり握った。これを持たずに出かけて困るのは母だけではない――風がそう囁いたような気がしたのだ。



 いつもなら軋むはずのドアも、驚くほど静かに開いた。この小さな身体が抜けられる隙間だけでいい。まるで風の悪戯(イタズラ)で開いたような、その程度の間から、オリトはころりと家を抜け出した。






 外はまだ夕方の名残がある。辺りの家から小さな明かりが漏れ出ているが、ほとんどの家が暗がりの中に落ちていた。空を見上げると、夕食の時よりも星が増えていた。

 オリトはしばし空を仰ぎ見ると、ひんやりとした空気を吸いこんでは、ふううっと吐き出した。風は、その息で熱を帯び、滑らかな肌触りに変わる。すると星を連れてきたのか、金色の細かな光が、宙に線を描くように連なると、あの(・・・)の方角へと伸び進んでいく。そして、何かがオリトの耳をくすぐってきた。



 ドコドコ、ドコドコ、ドドンドドン――



 オリトは、じわじわと目を見開いていく。じきに消えかかる光の導きの先に、息を呑んだ。



 ドンドド、ドンドド、ドドドドドン――



 合間にいくつもの不思議な歌声が混ざり合う。丘の向こうのアムードゥ族の声――精霊を呼び、話しかける声が。


「ゴマの音……ペポを呼んでる……」


 ずっと先まで広がる闇を切るように、呪術師達の太鼓を通した神との対話が響いてきた。。こんなに鮮明に耳にしたのは初めてだと、オリトの足は、ふらりふらりと、丘の向こうに潜む温かいその村を目指そうとする。だが


「戻るんだよ」


 オリトは肩を縮め、ひっそりとした小声に振り向いた。

 ダヨは、オリトの様子を見て声を引っ込めると、その小さな肩を抱き寄せては辺りを見回し、建屋の影に導いた。


「お前、頭の布は?」


「ここ」


 ダヨは、オリトの手に巻かれていたそれを受け取ると、細長くしていく。


「首を守っておきな。光が目につく」


 オリトの喉の金色の光にダヨは目を細めると、布で仕舞うようにして隠した。


「フォーティー達の音がとても強いわ。神様の木に何か聞きたいことがあるみたい」


 言いながら、オリトの足はスルスルと呪術師の村の方へ歩きだしてしまう。


「待ちな」


 ダヨは慌ててオリトの手を取り、静かにと、口に指を立てた。そして、もう一度辺りを見回してから身を屈めた。


「お前だけではどうなることか」


「あたし平気よ。だってほら、光がある」


 オリトは行き先を指差した。だが、ダヨにはその光が全く見えなかった。


「……お前はどうしてそこに行きたいんだい?」


 太古から伝わる伝統技術の奏。その民族が維持してきた生命との共存もまた、あの“大地の号哭”にほとんど吞まれてしまっていた。見知った者が言うには、神の声が薄れるどころか、ほとんど聞こえなくなったようだ。ただ、自らの力を駆使して這い出る蟲がいるとも聞く。おおかた、この地でようやく育つようになった作物は、その力によるものだろうと伝えられていた。だが、かつてのように、大地はもう漲ってはいない。


「お言葉がない――それが、お答えであるとも言える。何か返事があれば、彼らは伝えに来る。お前が今こうして赴く必要はないんだがね」


「ダヨも一緒に行くんでしょ? 何か気になるから、帰れって言わないんでしょ?」


 オリトはこの瞬間に感じられる“自由”にわくわくし、明るく声を上げた。すると、今にも花が咲き誇りそうな温かい微風(そよかぜ)が、ふわっと足元から吹き上がった。


「ほら! 来て来て!」


 ダヨは何かを言うよりも先に、オリトに手を引かれてしまった。腰がスッと立ち上がり、重いはずの足が軽くなっていく。いつぶりかの速足に、声をなくしてしまう。それだけではない――目の前で微かな金色の光が舞い、そっと闇に溶けていった。その子の金色の髪が、緩やかなうねりを見せ、小さな灯になった。やがてアムードゥ族の奏は、押し迫るようにして響いてきた。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ