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*新作 完結* 風のオリト  作者: Terra
第一話 ここでの暮らし
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<8>




 音の響きに食い入るように、オリトはダヨと共に進んだ。そして見えてきた集落に胸を躍らせる。独特な構造をした家は、見るたびときめいた。



 木の骨組みでできた壁からは土の匂いがする。サンゴのブロックを切り抜いたものと石を詰め、上から土を塗っているからだ。

 屋根はヤシの葉を()いたもの。スコールの音も吸収し、じっくり眠れるのだそうだ。しかし、ところどころの家は屋根がなくなっている。ヤシの木が激減し、雨に抜かれた箇所の修繕ができていないようだ。

 そんなことなら今日、マーケットで見た屋根資材を売る客に話ができればよかったのにと、オリトは家々を見回しながら小さく溜め息を吐いた。




 一族が躍る影が、草地を炎のように揺らめいている。呪術を使いこなす彼らは、火を囲みながら歌い、(とい)を鳴らしていた。中心になって仲間を動かすのは、呪術師の老爺フォーティー。この集落の長で、船大工としてや、太鼓造りの名人でも知られている。

 彼らの舞に、オリトは吸い込まれそうになる。身体は今にも燃えそうで、その熱は喉にぎゅっと集まり、詰め込まれていくようだ。



 地形の変動が起こる前、彼らが身を置いていたところにはマングローブがあったが、今はそれが戻る兆しはないようだ。しかし、千年以上生きる大樹が奇跡的に残り、移住してきた彼らによって守られていた。オリトは、背中に音を受けながら、ずっと会いたかった“神ノ樹”に向かって集落を下りていく。


「長居はできないよ、オリト」


 ダヨは知人に慌ただしく声をかけると、オリトを追いかけた。




 その時、五つの太鼓を轟かせていた老爺が、遠ざかる金色の光を見るなり立ち上がった。彼は仲間達にその場を託すと、村の端をうろうろする二人を目指した。




 命の歴史を全うし続ける大樹は、分断されてできた小さな孤島に唯一取り残されていた。船があればと、オリトは辺りを探すのだが、ダヨがその望みを跳ね除けてしまう。


「よしな、無礼だよ」


「あたし行けるわ。風が押してくれるもの」


「オリト。母さんの言いつけは何だったかね?」


 オリトはふと声を止めた。そして唾をぐいっと飲み込むと、首元のターバンで口を覆った。

 知らぬ間に言いたいことが溢れていた。ダヨがいなければ何が起きていたのか。母や周囲が気にする何かが、あまりよく分かっていない。ただ、恐れられていることに違いはなかった。

 ダヨは、やっと静かになったオリトに息を吐くと、手を差し伸べた。


「さぁ、もう充分だよ。ルルに説明がつかなくなる」


 いつもそうだと、オリトは眉を寄せ、そっぽを向く。手など繋がなくとも歩ける。目を尖らせ、ここにいたい気持ちがマグマのように湧き出るのをギリリと噛みしめ、喉から腹にぐいぐい押し込んだ。そして嫌々ながらも、来た道へ一歩踏みこんだ時


「よく来てくだいましたな」


 オリトは、ふいに現れた長老フォーティーに大きく振り向いた。彼は大きな身体を屈めると、同じ目線のところに降りてきては、髪を撫でてくれた。


「これは力強い。ゴマを縛る縄のようだ」


 オリトはフォーティーのニコやかな顔を真っすぐ見つめては、自分の明るい前髪をチラと見上げる。


「あの縄は太いわ。あたしの髪は細い」


 フォーティーは、ふわふわと笑った。そして、すっくと立ちあがると、オリトの肩を取り、海に浮かぶ大樹を眺めた。


「貴方の髪は一本一本が細い。けれど、細いものも合わさることで強くなる。太い縄になり、命綱になる」


「……あの木がそう言ってる?」


「いいや。あの木は、すっかり何も話さなくなった。こちらがどんなに問いかけても」


 二人の静かな会話に、ダヨがそっと歩み寄った。


「魂が()い、と?」


 その問いかけにフォーティーは、何もない海に視線を落とした。ただ暗闇が揺れるだけの海に、月が浮かぶこともある。しかし今宵は、その月が手元に訪れたように感じていた。

 手から伝わる熱気が、どこか懐かしく思えた。“大地の号哭”に世界が揺さぶられるずっと前に感じていたもの。久しぶりのオリトとの再会は、最後に顔を見た時よりもいっそう強い力を、光を感じるようになっていた。それに対する動揺を抑えるのに、静かにてこずってしまった。


「魂はそこに無いだけで、どこかで息をしている。でなければ、この地はとうに枯れ、我々も息絶えただろう」


 空は午後の雨などすっかり忘れ、晴れ晴れとした輝きの間を、雲は素早く流れていく。


「風が楽しそうにしている。また雨を率いてくれるだろう」


 背後から聞こえる仲間達の歌声に、あの木ではなく、風が応えているようだった。火だけでは照らしきれない闇夜に、やがて本物の月が雲間から顔を出す。



 暗がりに佇む大樹を眺めるフォーティーを、オリトは見上げていた。その視線にフォーティーはふと振り向くと、瞬きだけでオリトを揺さぶり、先を促した。


「もうあの木は何も教えてくれないの?」


 フォーティーは疎らな草地に腰を下ろすと、オリトを膝の上に導いた。


「きっと次は、私達があの木に応える番なのかもしれない」


 その言葉を聞いたダヨもまた、二人のそばにそっと座った。


「あたし、お供えに晩御飯を少し持って来ればよかったわ」


「ほう。しかし、あの岸へ渡るのは今や困難でね」


 驚くオリトのそばで、ダヨは肩を落とした。オリトが渡ろうとする以前に、守りに務めるアムードゥ族の彼らが、あの木の元へ渡れなくなっていることを知っていた。木はまるで寄せつけんとするように、その周辺の海流は(いびつ)になっていた。腕ありの船乗りすら受け付けなかった。


「言葉をくれる際には、美しい深緑の輝きを見せたものだ。その葉と幹と、月光と水面の色彩が合わさり、生まれるものだが」


 オリトは、独り暗闇に立ち尽くす大樹に釘付けになりながら、形にならない言葉を搔き集めていく。


「私達は、あの木に背を向けられてしまったのかもしれない」


 フォーティーは、中身が抜けたようになった大樹を見つめたまま、かつての大陸を振り返った。

 重さが増していった陸。大きすぎる穴がいくつも開いたことで乱れた地盤。何十億もの好奇心の行き先は、次第に別の方角へ向くようになっていった。


「我々一族は、自然を生かすために幾つもの地を渡り歩いてきたが、その地すらどこかへ行ってしまった」


 知恵と学をくれる自然に頼り、生きてきた。その殆どが海に呑まれてしまうと、あの、突風の如く暮らしへ足を踏み入れてきた開発も止まった。


「時は確かに流れていても、私達の歩みは一時止められてしまったのかもしれん」


 フォーティーの呟きは、そよぐ風を切ってしまうように大きく聞こえ、オリトはキュッと両手を結んだ。


現在(いま)は、時が僅かに戻ったと言うのが近いだろうね。ならばまた、この地に自然の豊かさが返り咲くと思うかい?」


 ダヨの声は穏やかでありながらも、重いものが潜んでいた。オリトはその言葉に、どこかを枝でドンと突かれるような衝撃を覚えると、フォーティーを見上げた。彼の表情には、あの樹のような寂し気な影が落ちていた。






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