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甘い果物が盛んに採れた頃。一本取れば何通りもの使い道があるヤシの木で溢れていた頃。放牧に適した丘陵地がいくつも続いていた頃。その先に広がる湖や大海で漁ができていた頃。“神ノ樹”の麓に渡り、伝統である祈りの儀式ができていた頃を、懐かしんでしまう。
隣で大樹と向き合うダヨもまた思い返した。生活が実る土地が失われたのは、震災の影響が大きいとしても、それ以前から崩落は始まっていたのではないかと。
瞬くような速さで訪れた開発。各々の民族が守る伝統と、この地に溢れかえる豊かな環境に、変化の津波こそが先に押し寄せたのだ。
森は、植林せねば増やせなくなった。雨を呼ぶ木が失われすぎては、命が枯渇してしまう。それでも、奪われる速度はいつも目まぐるしい。
打ちつけられる高速鉄道や道路は、村の間を問答無用で伸びていった。国から国を渡る国際ルートは、民の声をいつも通り過ぎた。失われた住居や畑、放牧地に対する補償もないまま。
昨日までの潤いは翌日、見事に蒸発した。もはや破壊に等しく、人々は嘆いた。しかしその嘆きもまた、突風の如く払いのけられてしまった――近代法の中で我々民には土地の所有権はない、と。
学問の環境に身を置くことがなかったがために、経済発達を目指す者達を頷かせることができなかった。出された指示書を読むことができなかった。
ダヨは、膝元の手を結んだ。
「わしらはこの地の者ではないと、今度は別のお偉い方が言いに来るだろうさ。ここに人が住んでいることなど、忘れるどころか頭にもない者達もまた、“大地の号哭”の果てに生き残った」
ダヨの沈むような言葉から、オリトは、ゆるゆると大樹に目を向けた。そして、その更なる先にぼんやりと浮かぶ、“先ゆく世界”のぼんやりとした灯を見つめた。そこから、今朝仕事に向かう時のことや、マーケットでのことが思い出されると、ぐるりとフォーティーを振り返った。
「欲しいからって、ただ求めるだけではいけないんだって。手に入れることだけを考えちゃいけないんだって、母さんが言ってた」
言葉を与えることをやめてしまった木に、オリトはもう一度目を凝らした。
「何かを元に戻すには、こんこんと長いこと努めなきゃいけないんだって。壊したり傷つけたりすることみたいに、簡単にはいかないんだって」
オリトはフォーティーの膝から這い出ると、寂しそうな木に眉を寄せ、ふうっと息を吐いた。温かい風がすううっと、地面の砂から草を摩り、水面を滑り、その木の麓から幹を這うと、枝葉を優しく揺らした。それでも、たったそれだけに終わった。
オリトは胸が騒ついた。
「何かを得るには、時に何かを捨てなきゃいけないこともある。あの木、本当は怒ってるんじゃないの?」
フォーティーが言う深緑の光を見る時がなくなっている今、オリトはそう感じてしまう。けれども胸の中で、あの大樹に、いつまでも彼らの奏を忘れたままでいるなと呟いた。
アムードゥ族は炎の周りを跳ね、宙に手を舞わせ、先祖や精霊の声を聞きながら、それぞれの心をメラメラと表現する。その力を受けた草木が、どこか活き活きしているように思えてくると、“神ノ樹”にも僅かであれ、こちらを振り向いてもらいたかった。
「行こうか」
ダヨは、オリトがまた落ち着きなく声を上げてしまう前にと、その肩を取った。しかしオリトは、ぐるっとその手を解いてしまうと、フォーティーと向き合った。
フォーティーとダヨはその時、声を失くした。ほんの一瞬のことだった。オリトの喉から頬、目、眉へと、流星のごとく金色の光が奔ったのを見た。
オリトは唾を飲むと、腹の上でワンピースを握った。
「あたしが本当に“使い魔”なら、あの木の代わりになれる?」
「この子は全く、何を――」
ダヨは背筋を凍らせては首を激しく振ると、オリトの肩を掴み直した。ところが、フォーティーがすぐさまオリトに歩み寄ると、オリトの両腕をそっと掴んだ。
「力というものは多種多様でね。代わりなんてものは無い。貴方があの木のためにできることは、いずれ見つけられる」
それでもオリトは、汚れた足に目を落としてしまう。今日もやっと外に出られた。久しぶりのことだった。それだけ自分は、外に出ることや人目につくことが許されていない。それが何故なのかは、独りでいる時間が長ければ長いほど考えついてしまうのだ。
「暗いところも狭いところも嫌い……でもあの木のそばにいられれば、少しは違うかもしれない……」
少しは互いの孤独が晴れるのではないか。家族や周りの不安が晴れるのではないか。兄姉も出先で、その下に他の家族はいないなどと嘘をつかなくてもよくなるのではないか。
冷たい風が肌を撫でていく。その場からあっさりと、温もりを拭い去るように。それに合わせて、オリトの心も冷たくなろうとしていた。ところが、フォーティーの微笑みが滑り込んできた。
「この国に生きる者の自然を話そう、オリト。それが、今晩の寝る前のお話だよ」
その穏やかな声と、大きな手から伝わるお湯のような温もりに、オリトはやっと、赤らんだ目を上げた。
「昔から、多くの異なる血と、文化と、伝統が存在する国だ。だから、それぞれの人間とその暮らし方を示し合い、認め合って生きてきた。そこにはいつも、丁寧な言葉のやりとりがなされてきた。先祖代々、ずっと……」
フォーティーは、暗闇に溶け込んでしまったオリトの額の髪をそっと分けると、続けた。
「自由は決め事の上に成り立つ。さもなくば、自由は歪んでしまう。この国は、ひょっとすると他の国でも、自由が崩れ落ちてしまっているかもしれない」
そしてオリトを再びあの木の方にくるりと向け、指差した。
「Mwamba……他の部族は、そう呼んでいたりもする。他にも名前があるのかもしれない」
慣れない発音にオリトは首を傾げたまま、孤島に佇むそれを見つめた。
「あの木が言葉を紡がなくなったのは、私達人間に“答え”を委ねているということかもしれない。或いは示しているのかもしれない。“今の私達”を」
「今のあたし達……?」
オリトはまばたきした。ぽつり、誰も行きつくことができなくなったその孤島に、たった独りだけで生きる木。以前は他にもっと仲間がいたはずだろう。だが、その魂達を見送ることになってしまった。本当は、自身も共に逝きたいと、横たわりそうなものだというのに。その木は今も根を張っている。
「オリト。またここに、風を導いておくれ」
オリトはフォーティーを見上げた。そこには、ダヨと難しい話をしていた時の悲し気な表情はなく、今朝の太陽を思わせる、柔らかな笑みが広がっていた。
「貴方にしか、できないんだよ」
オリトは、フォーティーの笑顔を目いっぱい焼きつけると、こくりと頷いた。




