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オリトが招いた巨大なトルネードは、人の肌だけでなく、拠点一帯の建屋にも深い傷をつけていた。中には大破したところもあり、拠点の皆は一時、いつかの大震災を思い出していた。
兵達は騒ぎ、動揺するばかりだった。掻き集めた銃器が失われ、身に携えられるものは数種類のナイフくらいだった。
脱走計画が失敗に終わった翌朝。オリトは、酷い頭痛と喉の痛みで目が覚めると、そこにはラテガがいた。辺りを見回すと、いつもの牢の中だった。何故、生きているのか――真っ先に口からこぼれ出ようとする言葉は、喉の激痛に遮られてしまった。
何故また、この牢にいるのか。何故ラテガも一緒にここにいるのか。他の皆はどうしたのか。アシャはどうなってしまったのか。問がなだれのように押し寄せては目が眩み、喉が疼くと空咳が追い打ちをかけてくる。
オリトの痛々しい咳き込みと共に、スゥスゥと冷風が吹きつけると、ラテガは羽織っていたあの黒い布を引き寄せた。
「起きられるか?」
オリトはこくこくと頷くと、ラテガに支えられながら身を起こした。背中から伝わる彼の手はとても冷たく、オリトは慌ててその手を握った。
「外に出りゃ平気だ。こんなに寒いのはここだけだ」
オリトは驚きに顔を上げ、ラテガの手を摩るのを止めてしまう。
「昨夜のあれ、何だ? 今だって、何か力を使ってるだろう?」
不思議な質問に、オリトは一つ瞬きをする。あの場で三人が銃を向け合ったことは覚えているが、そこから何が起きたのかはすぐに思い出せなかった。
オリトのぽっかり口を開けた表情に、ラテガは眉を寄せる。
「……何か言ってみろ」
しかしオリトは、つい、ラテガの顔に見入ってしまう。額や頬に、細かな引っ掻き傷のようなものがあった。首にも幾つか刻まれ、服も同じように点々と割けている。腕や、杖を握る手、指の部分は関節にまで傷を負っていた。あまりにも痛々しく、オリトはその傷に触れるかどうかのところで止めた。
「刃みたいな大旋風が起きたんだぞ? お前が全身を光らせて呼び寄せたのに……覚えてないのか?」
ムワンバも他の兵も、アシャ達も同じ怪我を負ったと聞かされ、オリトは身体がよりいっそう冷たくなる。頭や、何より喉が痛むのはそのせいなのかと、少しずつ記憶を手繰り寄せていく。
ところが、何かを言いたくてたまらないのに、声は息にしかならず、あんなに浮かんでいた言葉は心の中に閉ざされてしまう。
(あたしのせいで、皆が傷だらけになってしまった……)
「あの大声のせいで話せないのか?」
ラテガがオリトの腕を掴んだ時だった。オリトは居ても立っても居られず、彼の腕を払い除けて牢の扉まで走った。
どうしたのだと驚くラテガの声がしても、彼を振り向く気になれなかった。話せないのは本当だが、話すべきでないという気持ちに満ちていくことの方が正しかった。
唾を飲むだけでも疼く喉を掴むと、手の冷たさが優しく痛みを和らげてくれる。それでも、やはり声は出なかった。
(あたし止めるよ、ラテガ……)
心では言いたいことが紡がれるのに、喉がそれに蓋をしてしまう。そうされることが正しいと思えてならなかった。
牢の扉の前で肩を縮めていくオリトに、ラテガは顏を顰める。何か言いた気のくせにそうしない態度を見ておられず、足を乱暴に引き摺って追いかけた。
「痛くたって、一言でも言ってみりゃいいだろ」
口調を荒げながらオリトの肩を掴んでも、オリトは酷く嫌がり、その場から大きく遠ざかった。それにまたしても苛立つのだが、彼女は困惑と怒りがまぜこぜになった眼差しを、泥だらけの髪の隙間からギリリと向けてきた。
「どういうつもりだ……」
だが、ラテガははっと口を噤む。自分もまた、そんな風に誰かを見たことがあるような気がして、オリトと静かに向き合った。似たような目つきで仲間を怖がらせた記憶が、その姿を通して胸を突き刺してくるようだった。両腕を抱えて萎縮するオリトは、目を見開いたまま動かない。
「……お前のことだから、どうせ自分を責めてるんだろう」
まだ微動だにしないオリトに、ラテガは息を吐き、緊張を解していく。
「アシャもマライカも、ジャバリもエシェも無事だ。無事なんだ。これは信じられないことだ、オリト。だから俺は、お前がまだ何か力を使い続けてるんじゃないかって……もしそうなら、一度休め」
最高司令官を裏切る上に銃を使って反発までした。そうなれば命が亡いなど、この世界では当たり前だった。ぼろきれのように扱われて殺されるか、即刻殺されるかのどちらかでしかないというのに、生きている。
「俺達は罰せられて当然だ。特にアシャは、あんな無茶をしでかした。なのに誰も、俺達に手出ししない。どういう訳か、そうできないでいる」
ラテガが話し続けても、オリトは黙りを貫くだけだった。髪の奥で揺れていた目は、いつの間にかうつむき、陰に落ちてしまっていた。
真っ直ぐなオリトは、その気持ちを素直に声にしてきた、とても分かりやすい少女だった。その上、仕草や行動で何を考えているかも手に取るようだった。それなのに、今の彼女は枯れた枝のようで、何を考え、何を感じているのかが一切読めない。それがもどかしく、ラテガは痺れを切らした。
「そのまま死ぬまで話さないつもりか。声を閉ざして、一体何になる」
石のようになるオリトを見て、ラテガはどうしても声を強めてしまう。彼女の頑なに口を閉ざす様は、本当にもう、この先一言も声を発しないつもりでいるかのようで、恐ろしさすら覚えた。
変わり果ててしまった友達を振り向かせるにはどうすればいいか。そんなことを今まで考えたことなどなかった。考えられる訳がなかった。なぜなら、いつかオリトから乱暴に身を引いた時、小さな呟きが風に乗って聞こえてしまったのだ。
“あなたはムワンバ……”
それが、自分がなりたかった存在で、得たかった生き方だっただろうか。あの時、振り向きさえしなかったが、一人になってから考えずにはいられなかった。そのキッカケを与えてくれたのが、最も小さな少女であることにも恥じた。それでも、あの恐ろしい存在に似通った皮を剝ぐことは難しく、仲間の声を無視して武器を手にしてしまった。それを扱うことが、最速で最良の防御方法だと信じ込んで――
「なぁオリト……」
カランッと軽やかな音が牢に響いた時、オリトはやっと、その音の出所を探ろうと顔を僅かに上げた。見ると、ラテガの杖が転がり、彼は片足の力だけで立っていた。
「どこかできっと、幸せになる。なってみせる。そのためにも、両手は空けてる方がよかったんだ」
ラテガの空いた両手がおもむろに差し出されるのを見て、オリトは彼の勇ましい光が宿る眼差しを受け止めた。
「アシャや皆がお前を抱きしめて風を治めたのを見た時、思ったよ。俺はバカだったって。だから、お前もそんなバカは止めろ」
言葉や手足による暴力ではなく、時間をかけてゆっくりと向き合う。その人と、その人の中に渦巻くものに耳をすませ、対話をする。それが“よく見ること”なのだろうかと、ラテガはアシャに言われたことを引き出しながら、試し続けた。そして、やっと尻尾を掴めたように目を合わせてきたオリトに訊ねた。
「死ぬその時まで絞り出されるのは意志で、人はそれを聞きつけるために、命が終わる瞬間まで聞く力を残しておけるんだと。なのにお前は、それでも話すことを止めるのか?」
ラテガの震えを帯びた懸命な言葉を、オリトは一つひとつ聞いていた。聞いていたのだが、何も答える気になれなかった。一言答えるだけでも何かが起きてしまいそうで、身体を抱きしめる両手に力が入ってしまう。恐怖と寒さが合わさって、頭が上手く回らなかった。ただそんな中でも、たった一つのことをじっと想い続けていた。
(アシャと、ラテガと、マライカと、ジャバリと、エシェ……)
彼らの名前を心で呟き続けることが、自分を保つことに繋がっているような気がした。彼らをただただ想い、その顔を頭に浮かべることだけが、今の自分にできることだった。
(アシャと、ラテガと、マライカと、ジャバリと、エシェ……)
「どこ行くんだよ!」
ラテガの呼びかけも他所に、オリトは牢の扉を押し開けた。ギイイという重い感触も忘れ、あっさりと外に出ると、足が速まっていく。
「待てよ!」
オリトの頭の中には、皆の顔でいっぱいだった。笑った顔、怒った顔、泣いた顔、勇敢な顔と様々だ。そのいくつもの顔が失われないよう、祈り続けた。武器ではなく、花や土に触れる皆を思い浮かべた。
(あたしが導くはずだった……)
思い浮かべた光景は、ふわっとどこかに吹き消され、暗い建屋の一部になってしまう。
(下手をしたせいで、まだここにいるんだ……皆の“自由”が……)
熱い息が喉をヒリつかせてくるのを堪え、とにかく居慣れた場所へ向かおうと走った。ラテガの呼びかけに、最後まで振り向かないまま――




