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“お前ェはその時、声を出さずにはいられなくなる”
ムワンバのいいようになるものかと、オリトは口と喉を押さえつけながら、副官に引かれて歩いていた。
北の地へ向かう道すがら、耳と目を容赦なく刺激してくる戦闘の騒ぎに、今にも胸が張り裂けそうになる。夜を破ろうとする爆撃や、火矢までもが飛び交っていた。ラテガと一度足を踏み入れたことのある栄えた街が、すっかり顔色を変えてしまっている。
誰かが「赤空のリカオンだ」と吠えている。頭を低くさせ、率いられるがまま歩いている最中、僅かに見た、ムワンバ達とは違った容姿の兵達。相手はこちらと似た集まりではなく、もっと部隊が整っていそうな存在に思えた。草や土に紛れられそうな格好から、夜に溶け込めるような恰好をしている肉体的な人々に、オリトは思わず、失われた調達局の男を思い出した。彼の身形に似た人々の他、ラテガと物乞いをしに訪れた際に見た警官服の人々。故郷や、ムワンバ達の拠点周辺の地域に比べれば、遥かに富が渦巻いている地域だ。そこに、まるで凶暴な野犬のように牙を剥いて襲い掛かろうとする兵達を見て、オリトは訓練場から耳にしたことがある掛け声を思い出した。
「奪うの……?」
奪われたのだから、我々も奪うまで――争いに争いを重ねている様が、何度も頭で繰り返されるのを見たオリトは、両耳を塞いでキュッと目を瞑る。
(何も取り戻せてない……争いしか生まれてないじゃないっ……)
足が竦み、歩幅が小さくなると、副官の怒号が頭から降りかかった。首から勢いよく引かれて転んだところで、一部の空が赤く光るのが、地面がパッと染まるのを見て分かった。
(もうやめて……)
どこからともなく沸き上がり、太い根として喉を這い上ろうとする怒りを感じると、オリトは土を握りしめた。
それに気づかず副官は、オリトを首から持ち上げ、「立て」と何度も命じる。そこへ、誰かの手がオリトの鎖を奪い取った。
「どういうつもりだアシャ!」
急に駆けつけた彼女に、副官は怒鳴った。しかしアシャは、オリトの鎖を手に巻くと、慣れた手つきで彼女を背負い、身を屈めた。
「歩かせたから使えない、なんて説明を司令官にするつもり?」
「弾が当たりゃあどう説明する気だ!?」
「そちらが、ね」
アシャは淡々と言い放つとその場を走り、激戦区に伸びる道から大きく逸れていった。
アシャの温もりを全身に受けたオリトは、身体を突き破ろうとしていた怒りが瞬時に治まっていく。何も言わず、ただただ速やかに路地をすり抜けていく。
「風みたい……」
オリトは目を見開き、思わず呟いた。しかしアシャは、そんな声などまるで聞こえておらず、息を荒げながらどんどん道を外れていく。
街から遠ざかり、街を囲む木々の中に踏み入ると、オリトは胸騒ぎがして後ろを振り返った。間隔を空けながらだが、争いはまだ続いている。その光景に寒気がすると、先で待ち構えているであろうムワンバの顔が浮かんだ。
アシャの走る方向を見ている限り、彼の居場所からは圧倒的に離れている。彼女は北へ向く様子はなく、いよいよ下りはじめ、逆の道が見えてきた。
拠点へ戻っているのだと分かると、オリトは焦りながら周囲を見回した。どこかから誰かに目をつけられていないかと、気が気でなかった。すると
「伏せてなさい!」
乱暴な声は鞭のようで、オリトは打たれるようにアシャの肩に顔を埋めた。
茂みを激しく掻き分ける音がする。長い草が自分達を隠しているのだろうか。ふわっと、細長くて平たい何かが髪に触れるのを感じた。土と草の匂いが、硝煙や火薬の臭いを消してくれているのが分かる。拠点の近くへ下れば下るほど、この草は短くなっていくはずだろうと想像した。
その想像の中を駆け抜けていたかのように、アシャの足がふらふらと緩まり、やがて止まった。酷く息切れしながらも、背中のオリトをそっと草の中に下ろすと、共に身を潜めた。
「足が速いのね」
オリトは、膝の間に項垂れるアシャの背に手を添えながら、ぽつりと呟いた。息を荒げながら、アシャがどうにか笑うのが聞こえた。そして彼女は、そっとオリトの頭を撫でると、その肩を優しく掴み、汗だくの顔を向けてきた。
「先に、行きなさい……皆、きっと、ボートにいる……次は、貴方が走るのよ……」
オリトは目が泳いだ。このまま共に同じ場所へ行くのではないのかと、表情だけで問いかけたのがアシャに伝わったようで、彼女は首を横に振って微笑んだ。
「私にはまだ、やることがある……このまま、一緒に下りたら、マズイの……」
「なら手伝うわ!」
「オリト、ラテガにすぐ、伝えてほしいことがある……」
アシャが咳き込むところに身を寄せ、オリトは続きをじっと待った。
アシャは辺りに目を這わせると、オリトを包み、そっと地面に腹ばいになった。そして、草の隙間から見える拠点を眺めながら、しばし息を整えていく。
残った訓練兵達が見張りをしているが、その守りは充分に薄く、この様子なら子ども達は上手く擦り抜けられただろうと悟った。そして、羽織のジッパーを下ろすと、たすき掛けのようにして結び付けておいた黒い布を解き、オリトに引っ張り出した。
「貴方が持ち歩くわけには、いかなかったでしょ……ここで渡すしか、なかった……」
「アシャはどうするの?」
「私は兵よ……別のやり方で行く……さぁ聞くの……」
アシャは言うと、オリトに黒い布を頭から被せ、端を結びながら口を開いた。
「私達は遠い所へ行く……それは、人数がいなければできないの……仲間が集まった今、それが叶うわ……」
「ラテガにそう言えばいいの?」
布にすっかり包まれ、顔だけが闇に浮かび上がるオリトの姿に、アシャは静かに笑った。
「いいえ、彼にはこう言うの……“像が戦う時、苦しむのはいつも草”、“知恵は神ノ樹のようなもの”、そして“象を食べる最良の方法は、一口ずつ”」
オリトは目を丸くさせた。どれも聞いたことのない言葉の並びで、故郷で使っていた言語とも公用語とも違う。なのに、根が水をぐんぐん吸いこんでしまうように、その言葉を小さく繰り返した。
もっと中身を知りたそうな顔をするオリトの肩を、アシャは力強く掴んで抱き寄せた。
「大きな音がする。周りを見て、合図をよく聞いて」
オリトはそっと身体を離されると、夜の草陰に、アシャの勇ましい顔が浮かび上がった。とても柔らかく明るい笑顔は、そこの月を眺めるように穏やかで、その一方である人の影を蘇らせた。
「母さん……」
アシャはもう一度オリトの髪を撫でると、彼女の身体の向きをくるりと変え、その小さな背中を押した。
「さぁ行って!」
オリトは押されるがまま緩い坂道をトトトッと下ると、慌ててアシャを振り返った。彼女は大きく頷くと、早くも別の目的に向けて横道に逸れていく。
何があるのかと首を傾げてしまうが、オリトは遠ざかっていくアシャの姿をしばし見送ると、言われた通り真っ直ぐ皆の元へ駆けた。
【ことわざ紹介③】
「像が戦う時、苦しむのはいつも草」
「知恵は神ノ樹のようなもの」
→知恵はバオバブの木のようなもの
「象を食べる最良の方法は、一口ずつ」
※それぞれの意味は後に本編中に説かれます。
※【ことわざ紹介】は、本編終了後のあとがきでも紹介中です。




