<16>
アシャの中で何が起きているのか分からないまま、オリトは瞬きすると、しばし思い出さずにいた故郷を頭で眺めた。
「朝陽が昇る丘があって、オグヨが飛んでくる。色々な村があって、長く歩けばスクールがある。もっと長く、ずっと奥まで歩けば、アムードゥ族の村がある。神様の木や精霊と話ができる人達が住んでるところ。でも……」
昨日まで過ごしていた自分の村を、やっと落ち着いて思い出しながら声に乗せられた。なのに、強い風が黒煙を運ぶように、見てきたものは激しく燻んでいく。そこに、村の人達の顔が遠ざかるのが見えた。
「ムワンバ達が来ていれば、皆ちゃんと暮らせてるのか分からない……歌は、こうして心配になったり、寂しくなると歌う。ダヨと母さんが歌うのを覚えた」
浮き沈みするオリトの声が静かになると、アシャは、オリトが布を握る手を両手で包むと、少し力をこめた。
「本当は話すのが上手かったのね」
この問いかけに、オリトはふと、ラテガに言われたことを思い出してしまった。
「違う。ただ思ったことが、勝手にどんどん言葉になるの。あたし、やっぱり子どもじゃないんだわ。子どものフリした大人かも……」
魔物や、子どもではない、と自分を表現するオリトの顔は、次第に曇っていく。アシャは笑みを仕舞うと、オリトの小さな肩を摩った。
「他人と違っていると分かると、いいことばかりでないということにも気づきやすくなる。でも、そこだけを見ないで。もっと広く、鳥みたいに世界を見渡してみたら?」
「オテンガみたいに……?」
ハヤブサを思い出しすオリトに、もしくは、とアシャは言い添えた。
「風みたいに……すると、どうして自分にそんなことができる力があるのかが、きっと分かる時が来る。私は、貴方の力は誰かを救えると本気で思ってる。だって、私もマライカもジャバリも、ラテガも同じで、貴方に助けられた」
オリトは目を見開くと、アシャの手の中で両手を握りしめた。この冷たくて暗い、外には凄惨な空気が漂う世界を一時忘れてしまうほど、今流れている時間が心地よかった。仄かに温もりを感じ、肩や手の力が抜けていくと、肩に触れていたアシャの手が離れた。すると彼女は、人差し指を立てた。
「貴方は、もっと自分の力を知ることよ。上手く付き合うことで、皆を導ける」
これまで禁じられるばかりだったことを許すなど、アシャが初めてだった。試して力を学べなど、母やダヨは言わなかった。オリトは少し戸惑ったが、自分の中にある何かと向き合うことで心地よかった、あの丘でのことを思い出すと、だんだん背筋が伸びていった。
アシャはオリトに微笑むと、彼女が被る布にじっと目を這わせた。頭から足首まで綺麗に収まっている。すると、これと同じ大きさのものがあと三つあるのだと、オリトが部屋の隅を指差した。
だがオリトは、あることにうっかりしており、それを口走った。
「でも食べるものが要る――」
「要らねぇよ」
だが、間髪入れずに転がり込んだ低い声にアシャが振り向いた時、驚いたオリトはその後ろに身を潜め、顔だけを覗かせた。ギイイッと扉が開いた先に、ラテガが壁を頼りに入って来た。
「その代わりにアシャ、一丁でいいから武器をくれよ」
それがあれば、途中で獲物を狩ることもできるし、身を守れるだろうと、ラテガは淡々と口にする。その言い分にアシャは納得するも、少し間を置いてから告げた。
「銃は私が持つ。貴方はオリトと一緒に誘導をして」
ラテガは目を尖らせると、アシャの背後に身を潜めるオリトを見た。
その視線が痛く、オリトは眉を顰め、うつむいてしまう。それに気づいたアシャは、オリトの頭を撫でると、彼女の背中を優しく押し、ラテガの前に導いた。
「貴方達の能力で、助け合える社会にするの。そのために、明日ここを出る。オリトが知っている村を目指して」
村と聞いて、ラテガはオリトに眉を寄せた。
「信じられるのか? そこの人間を。俺やマライカは、村の人間にそっぽを向かれたんだぞ。変わった形だからって」
「フォーティー達はそんなんじゃない」
暗がりで目を光らせるラテガに、オリトは咄嗟に前のめりになる。
「長い年月をかけてあらゆるところを旅してきた人間には、違いがあるものなんだって」
ミルクと蜂蜜は色が違うが、同じ器で仲良く暮らす――アシャはふと、オリトの声からそんな言葉を思い出し、紡がれていく話に耳を傾けた。
「異なる文化のもとに生き、それぞれのやり方や考えで大切にしているものがある。それに互いに向き合い、耳を傾け合って、大事にする。傷つけるのではなく。そして、違いを否定するのではなく静かに認め合い、共に大地を分け合って生きていくんだって。リティーノ村では、皆で一緒に生きていく方法を知れるわ」
だんだんと近づいてきたオリトから、ラテガは顔を背けずにはいられなかった。心臓が身体を叩いてくる。熱い何かが胸で小さく渦巻いている。少し唾を飲んだとて、火のような何かが鎮まることはなかった。二人はきっと、しんとした牢に立っているだけなのだろう。全身が奏でる騒がしさなど知らないまま。アシャすらも、と、じりじりと彼女に横目を向けた。
「聞いただろう、アシャ……言いたかないが、俺はオリトが怖い……」
アシャは、すぐに返事ができなかった。ラテガはその、何を考えているであろう静かな彼女の表情を横に、溜め息を吐きながら背を向ける。
違うものの見方を持っているからこそ、受け入れるのが難しい。だから関係作りは少しずつ様子を見ながら、なんて単純な表現で片付けられなかった。オリトの声もだが、発言の内容の独特さに、壁に縋る手が拳になっていく。
神が誤って人間に憑りついてしまった
そんな考え過った時、アシャの呼ぶ声がした。
「だからこそ、その目でオリトを見て、貴方なりによく確かめてみて」
ラテガは二人に振り向かないまま、ノブに手をかけた。そして、派手な音を立てずに扉を引いたところで、アシャが近づく気配がし、大きく避けてしまった。
とっさに廊下に出てしまい、擦り足の音が際立った。辺りには誰もおらず、ラテガはそっと胸を撫でおろす。
そして、やって来たアシャをそろりと見上げながら、一歩、また一歩と、距離を開いていく。
アシャはラテガの警戒する動きに表情を変えないまま、訊ねた。
「右足の腫れ、痛む?」
端的な質問にも関わらず、それは縄のように身体を縛りつけてきた。だがラテガは、ただ首を振り、平気であることを装った。
「いつも通りだ。明日だって動ける」
近くにいながら、アシャがどこか遠くに感じてならなかった。この感覚に絶えられず、ラテガは心よりも先に足に導かれ、隣の牢へ向かった。すると
「貴方に言っておきたいことがある」
アシャの声はまたしても、身体をビリリと痺れさせ、足を止めてきた。どういう訳か、今度は首に鎖を繋がれる時と同じくらい、強い引きを感じてしまう。でも振り返らずにはおれず、縛りつけてくる何かに逆らいながら、肩越しに彼女を覗った。
「私達に必要なのは作物の種と、そこから芽生える希望。銃弾ではなく」
ラテガは微かに息を漏らしてしまった。目がだんだん見開いていくのを、止められなかった。
「武器を捨てて両手を空けておかないと、誰も助けることはできない」
柔らかいながらも強さを含んだアシャの言葉は、耳から全身に迸るようにメキメキと這っていく。でも、いつまでも止まない胸の沸騰するような感覚が、我慢の蓋を蹴飛ばしていた。
「あんたの言ってることは、めちゃくちゃだ……」
同じ温度で言い返すと、ラテガは、指導兵アシャの存在を牢の扉で打ち消した。
二人のやり取りを見つめていたオリトは、ラテガから感じ取れた冷ややかな空気に身震いした。アシャは、ラテガがいたところを眺めて立っている。この場の闇がアシャを包んでしまっているようで、オリトは思わず彼女に抱きついた。
「ラテガの足だって、きっと治せるかもしれない」
フォーティーが持つ伝統的な治療法が、きっと彼を助けてくれる。オリトはアシャに話すと、彼女は暗がりの中で笑顔を絞り出した。その場が、そっと小さな明かりに照らされるようだった。するとアシャは屈み、真っ直ぐな瞳を向けてきた。
「頼んだわよ、オリト。貴方だから、皆を振り向かせて、導けるの」
アシャの手を肩に感じた時、オリトはそこからの熱が全身に滲み渡っていくのを感じた。その温もりはやがて、喉にまで達すると、淡い金色の光が、アシャの驚く顔を浮かび上がらせる。
「あたし、下手くそでグズだけど、諦めない」
【ことわざ紹介②】
ミルクと蜂蜜は色が違うが、同じ器で仲良く暮らす
→日常の食材を用いて平和を表現する言葉です。肌の色や部族、考え方が違えど、互いを尊重し合えば平和に共存できるという、多様な在り方を受け入れて調和することを意味しています。
※本編終了後のあとがきでも紹介中。




