<13>
鉄扉越しに聞こえるエシェの声が、だんだん小さくなっていく。その合間で聞こえてくるジャバリの懸命な励ましの声や、マライカの鼻歌が、これまで負ってきた胸の傷に沁み、ジンジンと疼いた。
痛みから逃げるように、アシャは背中を扉から離していく。そして通路をほんの数メートル先に進んだところで、足が止まった。壁を頼りにせずとも、この廃退した刑務所の構造は分かっている。足の意志だけで進んでしまうほどに。それでも迷うように立ち止まってしまったのは、生きる道の分岐点に立ってしまったからかもしれない。
誰かの身体を満たすための奴隷をする傍ら、再び兵に舞い戻った。それも指導兵という立場に置かれ、皮肉にもそれが、“選択ができる”生き方をくれている。ただしその選択は、決して風通しがいいものでもなければ、彩があるものでもない。どのリスクを選ぶかだけの、さして汚れに変わりのないカードが並んでいるだけだ。
子ども達の姿を目の当たりにし、彼らを無意識に包んだ腕から伝わってきた温度によって、何かが、ぐずぐずしている自分を押してきたように感じた。そしてそれは、戸惑う隙など与えることなく反射的に決断させ、瞬く間に言葉になり、口にさせてきた。
「明日……」
改めてそれを口にしてみると、何なら今からでもよかったのかと思ってしまう。だがすぐ、胸の中で否定した。突発的な判断で未来が消し飛ぶことなど、あってはならないと。
廊下に吸い付いたように動かなくなった足元にじっと目を落とすと、それぞれの能力を持つ子ども達が浮かび上がってきた。皆、別の地から連れられ、この場の言葉を覚え、歪なルールに従いながらも、自分を忘れず生きてきた強い存在。何度も命を絶ちたいと思いながらも、この時代を踏みしめている。その理由の頂にはいつだって――
“アシャはすげぇよ!”
“アシャに“自由”を返したいの”
“アシャのように……”
全ての声を、壁の感覚を忘れた手が握りしめた。震えていた唇は、どういう訳か口角を上げていく。胸が裂かれる思いだというのに、痛みを上げるどころか、ふつふつと笑いが込み上げてくる。
すると、真っ暗なはずの足元が、次第に赤い夕焼けの色に染まりはじめたかと思うと、遠くから子ども達のはしゃぎ声が聞こえてきた。ぼんやりとした、それでいて誰のものかが一つひとつ鮮明に分かる声の乱舞。あまりの眩しさに目を細めながらも、それらの出所を求めて目元に影を作り、探した。丈の長い草原を掻き分けるように光の幅を広げていくと、どこまでも続く草原が現れた。清々しい風の中を、子ども達が笑いながら追いかけるのは数々の蝶だ。金色の鱗粉を散らしているのか、辺りは多くの輝きに満ちていた。
草原から一歩前に出た時、小さな声だが、誰かが歌っているのが聞こえた。公用語ではない、その子の村の言葉が柔らかに紡がれていく。似たような語呂が並んでおり、それをもっと近くで聞きたくなると、また一歩、足が前に出た。聞いたことのない歌は、不思議と前向きにさせてくれる。焚火に当たるように、心が温まる。もっと進みたくなる。もっと、もっと速く――
ところが急に、不安の煙が細く立ち上りはじめた。どんなに前に進んでも、歩幅を広げても、その分だけ子ども達が遠ざかっているような気がした。
「待って……」
漏れ出た願いに引き出されるように、更なる願いを重ねてしまう。どこへも行ってほしくない。そう強く思うのは、彼らが穏やかに生きる姿こそ自分が求める“自由”だからだった。
しかし彼らは、こちらを振り向くどころか草原の遥か向こうへ蝶を追いかけに行ってしまう。まるで、自分達の他に誰もいないと思い込んでいるかのように。
子ども達が小さくなるにつれ、足は重くなり、とうとう動かなくなってしまった。優しい風は冷えきり、その場に溢れていた金色の光は夕陽と共に落ちてしまう。藍色の空が、光の無い夜を連れてこようとする。いつも通りの素っ気ない、痛みや孤独を蘇らせる時間を放り込もうとする。
それを恐れるにつれ、背中がぞくぞくしてきた。何かが近づいてきているような気がして、後ろを振り返ろうとする。しかし、首どころか身体が動いてくれない。夜の始まりに拘束されるがまま、背後から迫るものに息が上がる。
その時、ずっと奥に仕舞い込んだ煤だらけの記憶――大地がどこまでも続いていた頃の出来事が、じんわりと薄目を開きはじめた。




