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*新作 完結* 風のオリト  作者: Terra
第四話 自由をこの手で
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<9>




 その時、スルスルと爽やかな風が嫌な臭や砂埃ごと吹き飛ばし、通路の外を抜けていった。その場に、じわじわと薄い陽の光が射したかと思うと、固い皮膚と土汚れに覆われたラテガの両足を包み込んでいく。ラテガは、少しずつ緩やかな陽射しに触れられるにつれて、頬がくすぐられたような気がすると、小さく笑みをこぼした。



 出先で手に入れた大き目の靴をガコガコと鳴らしながら、オリトが近づいて来る。夜になれるとはどういうことなのかと、ラテガは行き先に向かいながら訊ねた。聞くと、その黒い布は、食糧庫の隅に放り投げられていたものだそうだ。


「炭を運ぶのに使ってたんだわ。これがあった箱の下に炭があったから。夜に巻いて歩けば、きっとバレない」


 十分に黒く染まった布を、ラテガが二枚受け取り、手慣れたように身体に巻きつける。


「俺はこの足だ。日が暮れたら、お前に動いてもらわないといけない。上手くやれ」


 それからと、訓練場の出入り口まで来て、ラテガは声を落とす。


「もし、何でこんなものを持っているかと聞かれたら、死人をかくすために拾ったって言え」


 オリトは目を見張ると、ゆっくりと瞬きをした。そして、そろそろと、ラテガの脇腹から訓練場を覗いた。そこには既に、不安定な足取りをした細身で猫背の大人達が数名、鎖の音を立てながら、大きな袋と箒を手に何かに打ち込んでいた。目を凝らすと、動かなくなった人達が横たわっているところに、薄い陽射しが広がっている。乾ききった砂には、いくつもの黒い湿った跡が散り、ところによっては広い染みをつけていた。



 ラテガは、愕然として動かなくなったオリトの横を抜けると、少し先に行ったところで彼女を振り返った。


「来い。何もしてなけりゃ連れてかれるぞ」


 そうされる訳にはいかないと、オリトは手にしていた黒い布を力強く握りしめる。そして、慣れた足取りで行ってしまうラテガの後を、小さな歩幅でついて行った。

 もわもわと砂煙が立ち込める奥に、仕事をする大人と、横たわって動かない人の影が浮かび上がってきた。地面を掃く音が大きくなってくるにつれ、迫りくる遺体に鼓動が肌を突き破ろうとする。


「ラテガ……その人達をどうするの……?」


 陽射しを受け、黄金色に染まる砂煙の中、ラテガは振り返った。


「そこで焼くだけだ」


 どこを指したかも分からないラテガの杖は、ふらりと地面に戻っていく。


「歌やゴマの音では送らないの……?」


 オリトの今にも風に攫われそうな声に、ラテガは息を吐いた。


「まだ言ってるのか……? お前がいたところと同じにするな。感情は捨てろ。それに……」


 逸らされていく目は、すぐそこで砂と血にまみれた遺体に向いていく。


「そんなもん、こいつらには要らねぇ」


 ラテガの横顔は、またしてもどこか鋭かった。オリトは、砂煙が彼を何モノかに変えてしまったような気がし、視界が濡れはじめた。


「あなたのお父さんも、そう言う?」


「言うさ、絶対」


 ラテガの杖を持つ手が、少しだけ力んだように見えた。その表情は砂煙に紛れてよく分からなかったが、それでも、オリトは訊ねてみたかった。


「今のあなたのことを、お父さんは許してくれる?」


 砂のせいで白んできたラテガの顔には、じわじわと影が落ち、やがて表情が歪んでいく。茂みの間から目を光らせる野犬のように、オリトに噛みつきそうになるのを食いしばっていた。


「父さんを生きうめにさせたやつらの前に、今、立ってる。それが、俺が生かされた答えだ」


「人をガラクタのように扱うことを許すのはムワンバだけ。ムワンバは、あなたのお父さんじゃない」


「だからっ……お前のそういう理屈が通る世界じゃねぇって言ってるだろっ!」


 不意に伸びたラテガの手が、オリトの首の枷を掴んだ。引き寄せられたオリトはしかし、こぼれてしまった涙を気にもせず、怯えて閉じてしまった瞼をこじ開け、ラテガの目をじっと見つめた。



 真っ直ぐ向けられたオリトの目は、まるで矢を向けられているようで、ラテガは腹の底が熱くなってくる。今日までありとあらゆる嫌な眼差しを向けられてきたが、オリトの今の眼差しはまた違った。同じ苛立ちをもたらすものの、光を含んだ眼だ。その光は、ただ自分を薄く映し出す彼女の涙だけではない。だんだん、それに気づいていく頃には、眩い金色――太陽を思わせる強い光に変わっていった。



 ラテガは目を細め、首をふらふらと揺らしてしまう。目の前にいるのはいつも通り厄介なオリトであり、本人の身体にも変化はない。ところが、この場の光はみるみる増幅していく。いよいよ片目を瞑るしかなくなったラテガは、オリトの喉に微かな(あかり)を捉えた。



 どこからともなく夏のように暑い風が吹き荒れると、冷たい雲が重々しく裂け、鮮やかな青空がそろりと覗き見た。それをオリトの瞳に見たラテガが、空の異変に思わず振り返ると、射し込んだ陽光にとうとう視界を奪われてしまう。



 オリトは、首の枷に掴みかかるラテガの手が緩んでいくのを感じると、その手を両手で掴んだ。そして、こちらを向こうとしない彼に構わず、胸の内で紡がれていくものを口にした。


「その人達はこれから、静かに土になり、根になり、芽を出して、心新たに生きていく……新しい世界の一部として……お父さんが許すのは、“自由のための救済をするあなた”じゃない?」


 そんな身形には到底そぐわない発言に、ラテガは思考を止められるだけではなかった。今、そこに立つオリトは、まるでこの場に射す光をその喉元に吸収しているかのように光っていた。それは細く、頬や目を薄く這って消えてしまう。服で見えないが、きっと首から下にもその放射状の光は糸のように伸びては消えたに違いないだろう。



 ラテガはただ首を振るのに精一杯のところ、やっと言葉が浮かんだ。一つ息を呑み、腹に収めるべきだと言い聞かせた。なのにその頃にはもう、それは舌を蹴ってしまっていた。


「マモノは俺じゃない……オリト、お前だ……」


 ラテガは見開いたままの目を身体ごと大きく逸らすと、オリトから逃げるように遺体に近づいた。風が辺りの砂を舞い上げ、目を覆いたくなる亡骸は、地面の一部のように白く染まっていた。触れても汚れず、臭いも消えている。信じがたい現象に手が止まると、ラテガは、寝そべる者に降ろされた陽光の柱を捉えた。細い光は徐々に薄れようとしているが、中では砂塵が光となり、昇っていくのが見える。



 曇天から突如として訪れた不思議な光に、先に仕事に取り掛かっていた人々も呆気にとられ、空を仰いだ。それに続くように、ラテガも、遥か彼方で顔を再び隠そうとする太陽に目を細める。



 冷たい風が再び分厚い雲を呼び寄せ、辺りに影をもたらそうとする時、オリトは、堪らなく痛い胸の上で拳を握った。






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