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マライカは、いつまでもしゃんとしないジャバリの手を引くと、じっと目を合わせる。
「あたし達は、これからもっと違うところを見られる。それがどういうことか分かる?」
そう訊ねるマライカも、オリトに振り向いた。
「いい? あたしとジャバリが兵になるのは、ピンチなんかじゃない。あたし達がこれから見るものを、あんたとラテガに必ず伝える。こうして会って話すのはむずしくなるかもしれない。合図をよく聞くのね」
「合図……?」
オリトは、マライカの力強い眼差しと同時に胸を震わせてきた言葉を、じっと噛みしめた。
「そう。あんたは本当のあたし達を知ってる。耳と目と、頭をよく使って。やれるでしょ、オリト」
マライカの真っ直ぐで力強い眼差しに、オリトは目を見開いていく。その裏側で、ラテガが見せてくれたマライカとジャバリの努力の積み重ねを思い出した。また、目的を失わずに苦痛を乗り越える目の前の皆や、その皆を陰で包んでくれるアシャが過る。
すると、髪がふわりと揺れるのを感じた。オリトは、その感触が加わる方をそっと見上げてみると、エシェが、オリトの汚れ知らずの金髪を掴んでいた。エシェの瞳に自分を見た時、その澄み渡った一つの空間に、ある湖が重なった。
「神様の木のところへ行かなきゃ……」
蟲の羽音のような呟きに、三人が振り向くことはなかった。でもエシェは、一つ瞬きをすると、オリトの髪を放すなり、その頭をトントンと叩いた。
ラテガが食料袋を肩にかけ直す音がすると、通路の向こうでザワついていた音が、大きくなりはじめた。しんとした埃臭い空間に、訓練兵の声が聞こえてくる。その声はやがて、ザクザクとした足音に変わった。
「聞け」
ラテガの慌てる声に、皆が頭を寄せ合った。
「二人は兵舎側にある可能性を探れ。それから、できる限りアシャと話せ。俺はオリトとわたり方を固める」
オリトはラテガの話に聞き入る一方で、来た道をチラリと振り返る。ゆるゆると砂を含みながら這ってくる風が、ある知らせを持ってくると、咄嗟に三人を見上げた。
「皆、戻って来る!」
オリトの声に顔色を変えたマライカは、束の間、ラテガに大きく頷くと、ジャバリの腕を引いて走った。
ラテガはオリトに食料袋を託すと、くるりと向きを返させ、背中を押した。
オリトは肩越しに、どうしたのかと表情だけで疑問を投げかけるのだが、ラテガはマライカ達について行けと指示した。
「走れ! そいつの置き場所は行けば分かる。テーブルに置いたら、その角で落ち合え」
ラテガは言いながら、杖の先で廊下の終わりを示した。
オリトは袋を抱えると、ラテガに頷き、全力で走った。
オリトが廊下を進み切り、角を曲がってからしばらく経つと、訓練兵達がやって来るのが窓から見えた。ラテガはしばしその様子を眺めると、額のターバンを外し、ポケットに潜ませたピストルを抜いた。それにターバンを何重にも巻き付け、更には五つの弾を別で包み、最後に二つが離れないよう束ね、固定した。そして、ベルトのように腰にうまく巻きつけると、包んだモノだけをパンツの右足の内側に入るように仕込んだ。
少々の膨らみは病の悪化を装えるとし、そのままいつも通りに杖をついて歩いた。じきに、訓練兵とすれ違っていく。一部の兵は血の汚れが付着しており、ラテガは目を逸らした。
いくつもの銃撃や爆撃によって迸ったヒビ割れに、ただただ視線を這わせていく。幾重にも広がるそれらの終わりを、取りつかれたように追い求めていく。そうしていると、腹の底から込み上げてくる不快感と怒り、悲しみが、亀裂の溝深くに消えていくような気がした。
無心でヒビ割れを追いながら、兵士からの硝煙と血の臭いを浴びながら、舞い込む砂煙に目を擦りながら、廊下の終わりに着いた。開けた通路を風が吹き抜けてくる。アシャが立ち去った廊下から、素っ気ない風が吹いてくる。冷や汗に脂汗、仲間を説得するためにかいた汗、一人になって一時的にホッとしている汗が、キーンと身体を冷やしてきた。その冷たさが、次の仕事を臭いとして運んでくる。誰かに命じられずとも、分かっている。
本当は、こんな灰とゴミだらけの土よりも、生きた赤土が見たい。その土を突き破って顔を出す植物が見たい。その植物がどんな花をつけ、どんな実をつけ、どんな満腹感をくれるのかを知りたい。新しい話を聞いてみたい。それら全てを体験できる未来があるという朗報が聞こえる世界で、一度でいいから深呼吸をしてみたい。誰かが死んだという情報に、生き埋めにさせられるよりも――
「俺もあそこに座ればよかったか……」
訓練場で起きたであろうことが過ると同時に、口走っていた。死が起きた瞬間の風はいつだって、そんな気持ちにさせてくる。でもそういう時は、アシャの言葉をどうにか引っ張り出すようにしていた。
“ラテガというの……なら、あなたが勇ましい存在であるということを、両親はちゃんと見抜いていた”
石になっていく足で踏み留まれている。それにはきっと意味がある。ラテガは、ずっしりと重くなっていた頭を上げた。いつもはもっと長い時間、暗い気持ちに引き摺り込まれているのだが、今日は視界が広がるのがとても速いように感じた。
もうじき辿り着く汚れた訓練場を見据えると、そこは妙に明るく、変に温かさを感じた。その先に広がっているであろう無残な情景と合わせると気味が悪かったが、足は竦むことなく、真っ直ぐ任務に向かっている。これは、今までに無い力強さのように思えた。一体何故、こんな風に歩くことができるのか。ふと立ち止まり、胸の中で首を傾げる。
毎日、ヒリヒリとした痛みを身体のどこかしらで感じてきた。先ほどの、マライカやジャバリ、エシェと居た一瞬でも、ずっと筋肉が張り詰めているような感覚を拭えないでいた。それが今、どうしてこんなにも和らいでいるのだろうか。既に他の奴隷達が始めているであろう遺体処理に、これから加わらねばならないというのに。そこへ
「ラテガ!」
透き通った声に呼ばれるがまま、ラテガは大きく振り向いた。そこにはオリトが、大きくて真っ黒な布を両手に広げ、他にも三枚ほど、身体や手に巻きつけて歯を見せて立っていた。
「これで夜になれるよ!」




