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*新作 完結* 風のオリト  作者: Terra
第四話 自由をこの手で
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<3>




「いい加減なこと言うな」


 ラテガは声を強めた。矢のようなそれはしかし、サラッと流されたようで、オリトは態度を変えなかった。

 オリトは自ら広げた導線をゆっくりと踏みしめながら、ラテガに近づいていく。


「お前にたのんだのがバカだった。ジャバリに任せる――」


「あたしがここに来た時と似てるからよ」


 またも石を投げられたような発言に、ラテガは目を尖らせた。だが、そこから飛び込んできた真っ直ぐに見上げてくる、彼女の澄んだ茶色の瞳に、どういう訳か口を止められてしまう。


「あなたやジャバリは、身体一つでこの海や川を渡ったことはある?」


 その時、ラテガの杖を握る手が強まった。その力はだんだん腕をさかのぼり、肩や首を震わせる。


「……わざと言ってるのか」


「あたしの言うことがデタラメでない理由が分かるかと思って」


 ラテガの目が左右する。微かに揺れた視界の中でも、オリトがブレることはなかった。幼い身体から湧き出てくる奇妙な凄みのようなものに焦り、それを視線だけで探ってしまう。


「あたしは数で表すやり方は知らない。でも感覚なら分かる」


「……もう少し確実でないと。“思う”じゃマズイ」


 ラテガは言うと、踵を返すのだが


「でも、舵をどう取るのか分からなかったから。それに、あたし達子どもだけなら考えやすいけど、大人のアシャがいるならどうなのかと思ったから。ボートをよく見てないし」


 子どもだけ――それがふと、ラテガの脳裏に打ち止められた。それに力を奪われるように、杖を握る手が緩み、肩の力が抜けていく。



 いつも現れる、“非現実的だ”と囁くもう一人の自分の声がこだましている。それがオリトの言葉によって輪郭を得たように思えた。ここの息苦しさから出たいのは、決して自分達だけではないのに、作戦はどうしても自分達で収まる規模になってしまう。

 そこから蔓のように引き出されるのは、頭脳の無さと肉体的な力の無さだ。それは、自分達に“選択の余地はない”と囁かれているように感じてならない。



 望んでいることをして生きるのが、あまりにも難しすぎる。でもそれは、この地だからかもしれない。負の感情が渦巻く中でもそう思い直せるのは、アシャが見た世界を聞いて知っているからだ。その世界に近づけば、厄介な足のことも少しは好きになり、生きてみようと思えるかもしれない。でも今は、そんな遠過ぎる、もしかすると訪れないかもしれない先のことは、考えられない。


「オールと布はある。でも布は目立つし、あまり使いたくない……」


 帆になるくらいの布もあるのかと、オリトは遠くで身を隠すボートを眺めた。そして、ラテガの言い分をじっと噛みしめながら、反対側に浮かぶ故郷を見据える。その時、自分がここへ流れつく前に目標にしていたものが閃いた。


「神様の木が立があるところは、あの陸よりも少し前に出てる。少しだけどね」


「……は?」


 顔を歪めるラテガに、オリトは拠点がある方角を指差した。


「あたしが流れ着いたところは、向こう。そこから出た方がいいかもしれない。朝陽が見える丘に近いところへ行けるんじゃないかしら。それに、もしかしたらフォーティ――」


「知らないくせに……」


 ラテガは唸るように呟くと、歯を鳴らした。杖にはまた、力が入ってしまう。オリトの言葉を落ち着いてかみ砕こうとする前に、腹の底から湧き上がってくる焦燥感が、視界や頭に靄をかけてくる。



 オリトは口を噤んだ。そこにるラテガは、先ほど一緒に歩いていた時とは違っていた。全身から棘のようなものが、ピンと立っているようだった。


「俺はここを知ってる……お前はここを知らない……指図するな……」


 怒りが混ざり込む小さな声に、オリトはしばし耳を傾けた。その間、頭の中ではマライカやジャバリの涙が浮かんだ。初めて彼らに会い、彼らと一つの空間を共有した昨夜が。


「そうね……でもそれで、あなたが言う“自由”を手に入れられるの?」


 ラテガはカッと目を見開くと、拳の力が漲った。振り上げられた杖に、オリトは首を竦め、うつむいた。

 だがその時、足元のガラクタが、ぐわんと音を立てて転がったかと思うと、風が吹き上がり、ラテガの足がよろめいた。手にしていた杖は呆気なく落ちると、彼はどうにかバランスを取り、立位を保った。

 オリトは驚き、咄嗟にラテガに手を差し伸べるも、彼は上半身から激しく身を引いた。


「お前は子どもじゃねぇのかよ!?」


 唐突な言葉に、オリトは差し伸べた手から冷たさが迸るのを感じた。言い方は違うが、その表現をされることに先に肉体が怯え、唇が凍りつく。


「それか、子どものフリをした大人か!? 昨夜はてんで話せなかったくせに、急にペラペラと! だれだ!?」


 野犬の吠え声のような言葉に、オリトは差し伸べた手から怯み上がる。

 ラテガは荒くなる息をどうにか抑え、杖を乱暴に掴むと、激しく振り回してオリトを遠ざけた。

 オリトは逃げるように後ずさると、距離が開いたところでラテガがそそくさと立ち上がる。彼は麓のガラクタを蹴飛ばし、更にオリトを追い払った。


「かんちがいするな、お前はたった四つのガキだ! “風”か“使いマ”か知らねぇが、ここは人間の世界だぞ! それらしくしろ!」


 言い捨てるや否や、ラテガは大きく翻り、雑な足取りで坂を上った。ゴロゴロと転がるガラクタを、オリトは脛に受けた。痛みに唸るよりも、その衝撃がもたらした気づきをラテガの背中に見出した。その瞬間、ふっと身体の力が抜けると、もう口走っていた。


「あなたはムワンバ……」


 言い終えるまでに、ラテガの頭は見えなくなっていた。




 埃だらけの寂しい風が、ようやっと脛に痛みを根付かせはじめた。見ると、微かに血が滲んでいる。オリトはその場で丸まると、足に刻まれた今までの傷跡に触れた。目に見えて数えられる傷と、そうできない傷があるということに、静かに気づいていく。



 オリトは、少しだけ濡れてしまった視界越しに、辺りを見回した。そこには、確かに変化を見せる世界がある。なのに、その変化はどこかおかしいと感じてしまう。

 故郷よりも広い住処があり、お金があり、食料があり、電気がある。でも


「歌えない……笑えない……」


 力はある。しかしその働き方は、故郷にあったものとは異なっている。

 オリトはまばたきすると、そっと立ち上がり、暗い海と向き合った。故郷での温もりは、ただ肌を寄せ合うことで得るのがやっとだったが、心地よかった。お金は無かったけれど、一人ひとりが持つ技術によって引き換えられるものがあった。痛みや寂しさもあったが、ほんの僅かでも癒してくれるものがあった。


「違う……」


 考えついたものに、オリトは一度首を横に振ると、胸の中で言い換えた。癒してくれるものを見出す力が故郷の人達にはあったのだと思う、と。そして再び、足元を見渡した。


「もっと風が通るようにするといいんだわ」


 そうすればきっと花が咲き、焦げ臭さが消え、もしかすると


「オグヨがくるかも……」


 オリトは、一帯に滞るガラクタの数々に目を這わせていくと、夜中に抜け出し、脱出の準備を密かに続けるマライカとジャバリを想像した。そして、働く(かたわ)ら涙する彼女や、いつ何時痛みを与えられるか知れない瞬間が横にありながら、可能性を見出そうとする彼を思い出すにつれて、自分ができることが何かを思い耽っていく。



 目と鼻の先に故郷がありながら、遥か遠い世界になってしまった。生き方の違いは天と地のようで、ここでは枷をつけられ、家族の元へ帰れない。

 喉や手足首に着けられたそれらに触れてみた。それが意味する“自由”に、どうしても首を傾げてしまう。脳裏にムワンバの顔が過り、それが歪んで消えていく。その歪みはまるで、先ほど見届けたラテガを表すようで、身震いがした。


「ムワンバが増えてしまう……」


 トップが人々に落とし込む“自由”に染まれば、この先何が起きるのか。どこまでも深く思考の渦に入り込んでいくにつれ、チクチクと、冷ややかな風がオリトの頬を刺した。それは、今日まで感じてきた風とは違っており、眉がじわじわと寄っていく。何か(・・)が遠ざかっていくような感覚が強く、それに合わさるように心が微かに痛みはじめた。


「……?」


 オリトはぐるぐると周りを見た。だが、風が運ぶ何か(・・)の正体が分からない。また、言葉にもなってこない。これに奇妙さを覚え、状況をどのように受け止めていいか分からず、足は勝手に坂を上っていく。

 胸の痛みが増していき、目が熱くなっていく。酷く寂しい気持ちが、身体の中心で大風を起こそうとしているようだ。そして、その更に真ん中の部分――しんと鎮まり、風が吹かない狭い場所から聞こえてきた。


「……泣いてるの?」


 風が泣いているように思い、オリトは戸惑った。バタバタと坂を駆け上がり、そこに広がる荒野から、その先の半端に栄えた街を見据えた。肌を刺してくる風が強まり、鼓動が全身に鳴り響く。膨らんでいく寂しさに、目に溜まった涙がこぼれた。霞んだ視界がハッキリすると、汚れた空気の先に山を見た。その山のてっぺんに視線を置き、じっと表面を下るように景色を見渡した、その時――建屋の合間を縫うようにして吹いた強い一風が、顔にぶつかった。


「父さん!?」


 オリトは目を見開くと、向かうには遠すぎる荒野の先へ駆け出した。風が運んできたのは間違いなく、遠ざかる父の気配だった。


「どこへ行くの!?」


 その気配はまるで、横殴りされるロウソクの火のように弱まっていく。灯が消えようとしている様子が浮かび上がると、焦りは大きな恐怖に変わっていく。


「死んじゃダメ!」


 甲高い声が地面のゴミをガランと転がした。足元など気にもせず、不用心に一直線に走るオリトの息は、だんだん荒くなっていく。そしてやがて、目の前に身長よりも高い崩れかけたコンクリート壁が立ちはだかると、迷わずそこに手をかけた。砂埃がこびりついた足で、どうにか壁をよじ登ろうとすると、摩擦の痛みが這い上がってくる。にもかかわらず、乱暴な動きは止まることを知らない。


「父さん!」


 壁を抱え込む腕はとうとう支えきれず、オリトは呆気なく落ちた。周りが見えず、一心不乱に風が訪れた方角に目を剥き、前のめりになり、獣のように地面を掻くようにして前進する。

 その時――誰かに胴体から大きく抱え込まれ、オリトは壁に登れず派手に転んでしまった。そのまま口を乱暴に塞がれ、その人の口の中で精一杯にもがいてしまう。






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