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先に食事処を出たラテガは、後の人々にぐんぐん追い抜かれていった。足を引きずる彼にオリト達が追いつくと、マライカとジャバリは何も言わずに持ち場へ分かれていった。しかしオリトは二人について行かず、そのままラテガの隣についた。
しばし歩くと橋が見え、不安定なそこをオリトは慎重な足取りになる。だがラテガは、何も構わず進んでいく。
そして人気がだんだん薄れてきた頃。ラテガは、涙目を拭うオリトを横目に見ては、どこか遠くに視線をやった。
最後に泣いたのはいつだっただろうか。毎度降る雨などへでもないこの世界に、今この瞬間まで負荷をかけ続けられている。そんな中で、頭が勝手に過去を振り返ろうとする。
蟲の声のようなオリトの啜り泣きが、いつかの自分を浮き彫りにさせようとする。それだけならばまだマシだというのに、それに絡みつく痛い言葉までが容赦なく引き出され、もう、時など遡ることはできない。まるで、自ら首を絞めているような感覚に陥ってしまうのだ。
そして気がつくと、オリトは静かになっていた。何を考えているのか、どこか迷いを含む眼差しが、数歩先の地面を捉えている。昨夜とは違う様子を見せる少女に、ラテガはどうしても違和感が拭えないでいた。子どもでありながら、それらしくない瞬間を見せる彼女は、一体“何者”なのか。印象を変えてくる特徴は、この地で生き延びるには油断にもなりかねないと見た。
「感情的になりすぎるな」
オリトはくるりと振り返り、前を向いたままのラテガを見上げた。
「動きの読み合い。ここはそういう世界だ。前の生き方は捨てろ」
ラテガの横顔は冷たい。なのにその眼には、マライカやジャバリにも似た光が確かに潜んでおり、オリトはそれを覗き込もうとする。けれども彼は、ふいと、そっぽを向いてしまった。そこにまた新たな壁を建てられたような気がすると、貰った言葉を一度胸に仕舞っては、口を開いた。
「どこに行くの?」
ラテガは彼女をチラと見ると、雨に濡れた顔を拭った。
「次の飯を取りに行く。ついて来るなら……だまって従え」
妙な間の中に浮かんだ彼の表情は、食事の際に見かけた時のそれとなんとなく似ていた。オリトは言われた通り、コクリと頷いた。
霧雨が止んでも、雲がどこかへ流れていくことはなかった。しんとした薄暗い空気が漂う“先行く世界”をしばらく進み続けた時、オリトは、この沈黙に嫌気がさし、小声でラテガに話しかけた。
「どうしてここにいるの?」
ラテガはすぐには答えなかった。杖が砂地を叩く音が、等しい間隔で沈黙を転がっていく。
オリトは、ラテガの向こうに少しずつ見えてくる風景に目をやった。点在する崩落した建物の合間から、白い煙が立つ建造物や、電柱が見える。まるで、崩落した建物の向こう側こそ“先行く世界”らしさが広がっているようだ。
もしかすると、そこに父がいるのだろうか。そう頭に過った時、やっとラテガの声がした。
「俺の周りからだれもいなくなったからだ」
ラテガの言葉の中に紛れた足音が、少し重く聞こえた。オリトは彼の足から杖の手つき、歩行、息遣いに視線を這わせていく。昨夜の彼なら杖を投げつけてきただろうが、今はそんな様子はなく、むしろ自身を見せつけているようで、何も言ってこない。
自分の村にも身体に不便を感じている人はいた。だが彼のように沈み、鋭い目をしていただろうかと、故郷の人達のことを思い出す。
「働きに行ったきり?」
ラテガは首を竦めるだけだった。そしてだんだん、オリトの方に寄り掛かるようにして歩くと、徐々に街から遠ざかり、反対側に広がる人気の無い荒野へ逸れていく。
オリトは眉を寄せ、胸の中に再び質問が沸き上がった。でも、あまり立て続けに話しかけては怒られるかもしれないと、また口を噤んだ。
ガラクタが山ほど寄せられた場所に辿り着くと、オリトは以前の暮らしが過った。なだらかな坂を描きながら、それらは海へ向かって広がっている。ガラクタの浜辺と例えるのがいいだろうが、村の仕事場のように、ここに漁師がボートでやって来ることはなさそうだった。
オリトは荒れ果てた光景に、瞼が半ば下りていく。冷ややかな風が僅かな砂埃を含んで吹きつけた時、心がチクチクと痛んだ。故郷の“追いかける世界”には、もっと色があったような気がした。ただ見て捉えられる色ではない、もっと、生きた色がそこには転がっていたように感じてならなかった。
ガラガラと音がし、オリトは振り向いた。ラテガが杖を上手く操り、ガラクタを弾きながら坂を下ろうとしている。
彼が向かう先には、曇天がそのまま振ってきたようなどんよりとした海が広がっていた。雨季の影響で、海や川の流れは日々変わっていく。先ほどのスコールが水を濁し、波が少し高く上下し、流れも速く見える。
「待って」
オリトは反射的にラテガを止めると、何をしようとしているのか分からないまま、彼が行こうとする先を見ては振り返る。
ラテガはしばしオリトを見つめると、杖を持ち上げ、海やその周辺を指し示し、声を可能な限り潜めながら話した。
「俺達はこの海を渡って、向こうの陸に行く。ここにあるガラクタは、マライカやジャバリがわざと集めて海に寄せたものもある。少しでも足場を伸ばすためだ」
そう言うと、彼はガラクタの浜を辿って、自分達が先ほどまで過ごしていた拠点の方角を杖で指した。
「瓦礫がずっと続いてる。だから、さっきの橋を渡らなくてもここへは来れる。足場は悪すぎるけど、お前やマライカ達なら問題ない」
その言葉に、オリトははっとした。昨夜、マライカがラテガに、自分達も助けになりたいと話していたことを思い出した。
ラテガは次に、杖を元の地点に戻すと、少し下った先を示した。オリトはそこに、何やら真っ黒な布が靡いているのを見た。目を凝らすと、隙間から木材がチラと顔を出した。
「船着き場のそばに転がっていたボートだ。ほとんど修理は終わってる」
オリトは目を丸めた。聞くと、マライカとジャバリが夜中に抜け出し、数日かけてここに運び込んだという。そしてラテガは、仕事の隙を見て破損個所の修繕に努めたそうだ。
ラテガの顔が、時折ターバンで隠されてしまう。その隙間から見える眼差しには、悔いも潜んでいるが、諦めないという静かな意気込みが光っていた。
「これで昨夜のことは想像ついたろう」
オリトは肩を落とした。自分も外へ抜け出してきた。欲しい空気を求め、会いたい生き物を目指して走った。考えれば考えるほど、身体をうんと伸ばして過ごせていた自分が“自由”であったことに気づいていく。しかし目の前の彼やその仲間達は、それを選んでしまえば――
「命が助かろうとも、手足や唇を奪われるやつもいる。二人がそうならなかったのは、アシャがいたからだ」
ラテガは言うと、オリトにそこで待つよう言い添え、一人で坂を上っていく。
オリトは遠ざかるラテガを見上げながら、聞かされたことから湧き出る違和感が、手足の先の痺れに変わっていくのを感じていた。
そして、ラテガが数歩進んだところで振り向き、オリトを見下ろすと、杖で海を指した。
「流れ方とその速さ、波の高さ、風の強さをよく見て覚えろ」
オリトは瞬きを忘れ、そそくさと来た道を戻っていくラテガと海を何度も見返した。そして何も言い返さず、ガサガサと瓦礫を押しやり、岸辺に近づいていく。
そこに身を屈め、うんと顔から近づいた。潮風にも濃い雨の臭いが混ざっている。波は風に押され過ぎて、ピチャピチャと顔を濡らしてきた。風は髪や服をすっかり後ろの方へ追いやってしまう。故郷で浴びていたそれとは違い、ここでの感触は、例えるならばピリピリとした緊張感だ。でも、こちらが諦めない限り向き合うことはできるような気がした。
「渡れると思う」
ころんっとした声に、ラテガは目を見開く。早すぎる回答に、大きく坂の下を振り返った。そこには、金色の髪が乱れる中こちらを見上げる、平然とした表情のオリトが立っていた。




