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家に戻ると窓が開け放たれており、砂埃が朝陽に包まれて躍るのが見えた。オリトはそれらの輝きを、先ほど丘で見た輝きの舞に重ねた。
ぼんやり眺めていると、プラスチック製の四角いカゴが裏返ったまま引きずり出された。母は、一握り分を集めるのがやっとの豆を蒸したものを手際よく器に盛ると、そこへ出した。
「食べてしまって。今日はガラクタ集めを手伝うのよ」
母は娘が何かを言うよりも先に、壁に掛けていた布を取ると、忙しなく娘の頭を包んでいく。いつも変わらない、隣人が綿で織ってくれたターバンだ。鮮やかな緑色と赤色、ところどころに黒色と白色のアクセントが混ざる草花の模様をしたそれを巻くのは、オリトの絶対的な決まりだった。
母の手つきは荒く、オリトは布で締まりすぎた耳の上の辺りに指先を突っ込んだ。そのせいで金色の髪が少しはみ出てしまうと、母は手を和らげ、綺麗にそれを隠して整えた。
「今朝は珍しく魚がたくさん獲れたらしいの。だから仕入れに行ってくる。あなたはその近くで仕事をするのよ。母さんが見えるところでね」
オリトが豆を呑み込んで口を開こうとすると、母は大きな空のリュックサックを引き出しては、表に出て行ってしまう。
オリトは器を洗い桶の中に入れた。兄姉や母の食器が、濁った水の中に漬かったままになっていた。
そして、自分よりもやや小さい、しかしガラクタを詰めれば足が取られるくらい大きくなるリュックサックを見下ろした。細い線で描かれた綺麗な人の絵がついた、泥にまみれた桃色の鞄。どこかの国からの寄付で、あちこちを巡り巡ってきたものだと聞いたことがある。
だが、それも自分が生まれる前の話だ。大きな震災で陸がバラバラになった今、今日この日を食い繋げるかどうかが、きっと世界中で起きているかもしれないらしい。と言ってもこの村では、変わらぬ貧困に拍車がかかったに過ぎない。人々が口々にそう言って笑っているのを聞いて四年。オリトはもっと、目と耳と、なにより頭を働かせるようになっていた。
リュックサックを背負っていると、母に履物を出された。昨日、母がマーケットにある靴の修理店で、昔に織った布と交換してきた、子ども用のゴム製サンダルだ。足の甲まで覆われ、ガラクタだらけの中を歩くのにはピッタリのものだった。踵の引っ掻け紐は、草を織った太い縄を締めつけたもので、丈夫な修理品だ。
それを履き終えてすぐ、オリトは母に慌ただしく手を引かれた。母は、空のカゴを頭に乗せ、修繕した手提げ袋を肩に引っ掛けていた。
朝に母と歩く時は息切れすることが多い。一歩進むごとに三歩も駆け足せねばならない。つまり、いつも駆け足をしたままということになる。時々荷車を引いて通り過ぎる人を見かけるが、オリトはまさに、それが自分のように思えた。
それもいつものことで、余程のことでなければ母にゆっくり歩けなど言わなかった。目星をつけた仕事場にいち早く向かわねばならないのは、この村では当たり前だった。
「ニュオックとディエル」
大角の雄ヤギと、小ぶりの角の雌ヤギを指差し、声をかけてみても、母は振り向こうとしない。オリトは口を尖らせ、少し胸が熱くなると、それを冷ますように風が柔らかに吹きつけた。母の頭にも巻かれた同じターバンの端が、そっと揺れた。
目覚め一番に浴びた風よりも冷ややかさを覚えた時、オリトは、道のずっと先に目を凝らした。地面をだんだん、小さな振動が迫ってくる。と、その正体はじきに、真横から照りつける朝陽を受け、車体の影を長く伸ばした。
「ファラス!」
馬が見えるなり叫ぶと、母に口を覆われた。そのまま、顔から背後に押しやられてしまう。オリトは半ば手提げ袋の下に追いやられ、母の背中の影にすっぽりと収められてしまった。それと同時に、ぐんと風が吹き上がったかと思うと、砂煙が舞った。
砂がもわもわと漂う中、蹄は一瞬にして通り過ぎていく。そして、その姿が完全に見えなくなると、母は娘を自分の前の方に寄こした。まるでボールを前後させ、相手に奪われまいとするかのように。
あちこち追いやられるオリトは、頬を膨らまさずにはいられなかった。するとまた、風が宥めようとするように冷たい空気を運んできた。
「大声を出さないで」
やっと母が話したと思いきや、この結果だ。いい加減、オリトは痺れを切らした。
「はやく言わなきゃ!」
口調は強いが、ちゃんと小さな声で母に訴えた。
「あたしが先に分かったのよ」
目に留まるものを、なにも常に気の向くまま声にしている訳ではなかった。何に気をつけるべきかは、今日までずっとこっぴどく言われ続けているのだから。
「そうね。助かった」
母の声が柔らかくなると、撫でてくれる手の温かさに気持ちが鎮まっていく。母は頭のカゴの位置を直すと、微かに息を吐いた。そして、もうじき着く仕事場の方に目を向けた。早くも何人かの村人が、ガラクタ集めを始めている。その先では、どこから引きずり出してきたのか分からない、魚を受けるには十分すぎるくらいの盥を抱えた誰かが、海辺へ降りていくのが見えた。
母は娘の手を引いて走ると、近辺に山のように嵩張るガラクタや漂流物一帯を前に、しゃがんだ。
「いいわね、母さんが下で仕入れをする間、あなたはそれが見えるところで仕事をするの。誰にもついて行かないこと。それから――」
「風のおはなしを誰にもしないこと。ターバンを取らないこと。大きな声を出さないこと。父さんのことを聞かれたら、向こう岸で電工をしてるって言うこと。馬車が見えたら隠れることは、どうしてかまだ聞いてない」
だから心から言いつけを守る気になれないと、オリトはぶすっとした顔で母に訴えた。
母は背後に見える人々の動きを忙しなく見回しては、一息つき、じっと娘の目を見た。
「馬車は見回りよ。彼らはオテンガと同じ。目をつけられれば、私達がどこの誰で、何をしているのかを調べられる」
「なら隠さずに言えば来なくなるんじゃないの?」
馬車にはハヤブサのように目がいい人が乗っている。燻んだ軍服や警官服の大柄な男達だ。彼らが来ると、大抵の村人が身を竦めていた。時に彼らと対面する人は、いつも強張っており、多くを語らないようにし、一方ではそれに努めているとバレてしまわないように装っている。そんな空気に漂うヒリヒリとしたものを、オリトはよく感じてきた。
「あの人達の馬車がいつも空っぽなんておかしい。ここのゴミをいくらでも積めるのに」
母は首を振ると、娘のふっくらとした頬を包み、静かにするよう細い息を立てた。
「よく思い出して。あの人達と、私達の違いを」
オリトは眉を寄せた。言われた通りすぐに隠れてきたので、思い出すのに少し時間がかかった。
「身体が丈夫そうな人が多い。あと、口から煙を吐いてる人も。それから……馬車がいつも空だっていうのは違った。ここの誰かが乗っていくのを見たことがある」
母は頷くと、娘の唇にそっと指先を添えた。
「いい子。それを忘れちゃだめ。あなただけじゃない、他の誰も、一人としてその馬車に乗ってはいけない」
何故なのか――それを聞くよりも先に母は立ち上がると、共にガラクタが横たわる広間の半ばまで来ては、離れていった。
風の音だけになった。轟々とした音は、オリトの胸にどんよりと残るものをそのまま表現しているようだった。
母の背中がみるみる小さくなっていく。その行き先からは騒がしい声がする。大人になっても、兄姉と自分がするような喧嘩をするようだ。それもまた、じっと見てはいけないと言われていたのだと、オリトはくるりと背を向け、リュックサックを下ろした。




