<9>
情報屋は、廃れたホテルの壁に立てかけていた商売道具と、酒瓶と硬貨入れを纏めたカゴを取り、廃退した地をあてもなく進んだ。
備わった良質な腕の提供と、後付けされた条件である兵力としての加担を約束に、国を復旧し、富を得る。歪な顔を見せるようになった地は間もなく、新しい一日が始まろうとしており、漁に出かけるボートのロープが解かれていく。それとは別に、向こう岸へ行くボートも解放の支度がなされていた。
波止場の門番である警官服の者達が海辺を歩いていくのを見ていた情報屋は、横転した廃墟の柱に座る子どもを見つけた。ガラクタの色に溶け込んでいたせいで、すぐに人がいるとは気づかなかった。目を凝らすと、頭に布を巻き、結び目から長い端くれを棚引かせた、たまに見かける物乞いの少年だ。
情報屋は、あまりに動かない彼が石にでもなってしまったのかと、なんとなく近づいてみる。だが、その首が僅かにこちらを向くと、手持無沙汰のような彼ににんまりとした。
「お前さんの腕は上がったのか? わしみたく、向こうに渡る仕事をもらえりゃあ、いいもんだぞ」
少年は声がする方に流し目を向けるだけで、何も言わないまま、また海を見た。
「俺はここでいいよ」
少年は、少し声色を高く言い返した。
情報屋は彼の隣に並ぶと、同じように遠くを見つめ、ほんの二、三滴へばりついていた酒を舌先から迎えた。
「餓鬼のくせに欲がない。ここでいい飯が食えりゃいいってか」
「そうさ」
少年は情報屋に笑いかけると、肩に預けていた杖を頼りに立ち上がる。足の横に置いていた袋から、天日干しして作られた小魚を取り出すと、何度も噛んだ。
「……そいつは家畜の餌にするもんだぞ」
少年は気にもせず、またそれを口に入れる。そしてふと、情報屋に向き直った。
「ねぇ。もう、ここに来られるか分からないんだ。この足だし」
彼は言うと、右足のズボンの裾を剥がすように捲った。外にさらしやすく、内側に大きな切り込みを入れている。
情報屋は目を細め、彼の足に身を屈めると、左足よりも圧倒的に太くなった右足と、ズボンの仕組みを見て、スカスカの歯が見えるほどに口を開けた。
「こいつは期限付きの商売道具か?」
情報屋の歪んだ上目遣いに、少年は何食わぬ顔をした。
「ならよかったんだけどね、切り落とせば済むんだし。でも、俺そのものが道具なのさ。時がきたら俺ごとなくなる。だから色々と見ておきたいし、聞いておきたいのさ」
情報屋は立ち上がると、伸ばしざらしの髭に触れる。
「この先はどんな風に広がってるの? どのくらいで、おじさんが行っているところに着けるの?」
真っ直ぐな質問に情報屋は拍子抜けするも、少年の真剣な眼差しに、どことなく身体が痒くなる。
「お前はどう想像してるんだ」
少年は、どんよりとした空気の中に暗く佇む向こう岸をしばし眺めると、情報屋を見上げた。
「いい場所ならムワンバはとっくに自分のものにしてるのに、そうじゃないみたい。優れた外国人がいるのかとも思ったけど、違うようだし。近いから、得られるものはこことさほど変わらないのかなって。つまり、大したことない」
「愚かだ、坊主」
情報屋がペシャリと跳ね返すと、少年は瞬きし、首を傾げた。
まるで絵に描いたような疑問を滲ませる顔と、考えに自信があったような眼差しに、情報屋は首を横に振る。
「あっちには衣食住の原料が残ってる。それを捌ける人間も。今や大陸が削れ、盗賊が常に現れるような日々と隣り合わせじゃあなくなった。海があそこを囲い、誰の手も簡単に届かなくなった。その中で、わしら一味が最もあの地に近くなった。つまり、もうムワンバの手中だ」
それを聞き、少年は目を見開いた。
「なら気が変わった。ここでいいとは言ったけど、意外と向こうへ渡れる時がすぐにきそう」
こちらの領土が広がるならば仕事が増えるに違いない。足も、向こうならば動かしやすいかもしれない。そう少年が語ると、情報屋は鼻を拭って首を竦めた。
「そいつは知らん。お前さんがそのまま象にならんかったらの話だ」
そして咳払いすると、酒瓶にしかめ面をしては、適当に歩き出す。と、何かを思い出し、肩越しに振り返った。
「すぐそこに見える陸だ。朝飯を食い終わらんうちに着く」
そう言うと、ゆらゆらと遠のいていく情報屋に、少年は半ば声を張って礼を言った。そして、彼とは反対側の道を進んだ。
杖でガラクタをどかしながら、ラテガは頭の中で地図を描きつつ歩いた。そして、嘗て街が広がっていた地域に踏み入ると、気だるさに溜め息を吐いた。
普段過ごす拠点から橋を渡り、波止場まで来るのは久しぶりだった。空模様を見る限り、この先天気が崩れるだろうと見た。あまり周辺をモニターできないところ、少しでもチャンスがあれば、身体に鞭打ってでも動く。作戦実行の時のために備えておきたかった。
円形を崩したショッピングモールに、人影が行き来するのが辛うじて見える。辺りの店舗も含め、物品の所有など誰でもよくなっている。武装団が立ち入らなくても、どこかから喧噪がしてくるのは日常だ。
震災後の復旧は大して追いついていない。その最中でも続いていく生活を、何とか以前のように立て直したいと思っている人は大勢いる。だが、それと同じくらい、今こそ力を我が物にしようとする人もいる。
この地に自由に転がるようになった“富”――流れ出た金銭や食料、武器、ライフラインになるものの奪い合いは、未だに絶えることを知らないでいる。
どの組織の領域でもないグレーゾーンの地。最後に訪れた時は、目を覆いたくなるような人の姿がゴロゴロしていたが、今は片付いていた。
点々と店が見えてくると、ボロボロのテラスが三つ並んだ小さな飲食店を見つけ、迷わず立ち寄った。以前に訪ねた時に見知った人ではなくなっている。
食品系の工場から徐々に復旧させつつあるのか、点在する店舗の商品は少しばかり見た目がいい。だがそんな真新しいものを手に入れるには、金銭を求められる。
「何か残ってない? 処分に困るものでいいよ」
コーヒーの匂いがするが、こんな荒野で豆を獲り、煎って抽出するといった本格的なことはできない。物販が多いエリアでの生存者は、そこらに転がっている商品を開封して暮らすのが当たり前だ。
奥から不愛想な女性が顔を覗かせてきた。この店らしい格好はしていない。恐らく、放浪の先に辿り着いた空の店で、新たな暮らしを始めているのだろう。シャツや革製の上着、頑丈で暖かそうな靴はどれも良質なものだった。
女性は目を細め、のろのろと入ってきた少年の頭から足先までをじっと眺めた。
ラテガは辺りを見てから、店の入り口のすぐそばにあった瓶用のプラケースを指差す。
「ちょっと座っていい? 歩きすぎて疲れたんだ、すぐ帰るからさ」
言うそばからそのプラケースをひっくり返し、腰を下ろした。そして、持っていた杖を壁に立てかけると、左右の足をさらすようにズボンの裾をたくし上げ、手で風を送り、熱を逃がす素振りをして見せた。布の影から、ほんの僅かに流し目を向ける。女性の顔が曇ると、言葉を探るのに手こずっているのか、調理場らしき奥のスペースへ立ち去った。




